そのような偏った結果が偶然には起こりえないことは、統計的に考えて研究者には明らかだった。なかには呆れるほど厚かましい学生も数人いて、なんと42回続けて6が出た、と主張した。
だが、別の興味深い事実をデータが示していた。実験で不正を働いた学生と、結果を正直に報告した学生とでは、志望するキャリアに違いがあった。
大きい目が出たという虚偽の自己申告をしていた学生は、平均的な学生よりも、インドの腐敗した行政職に就くことを志望する割合がはるかに高かったのだ。
行政職が清廉で透明なデンマークで別の研究者のチームが同様の実験をすると、結果は逆だった。
出た目を正直に自己申告した学生のほうが、公務員を志望する割合がはるかに高く、噓をついたのは、とんでもない大金持ちになれそうな他の職種を志望する学生たちだった。
腐敗した制度が腐敗した学生を引き寄せ、公正な制度は公正な学生を引きつけたのだった。
修復すべきなのは破綻した制度
ひょっとすると、権力が人を変えるのではなく、これは環境の問題なのかもしれない。
善良な制度は、倫理的な人が権力を求めるという好循環を生み出しうるのに対して、劣悪な制度は、平気で噓をつき、不正を働き、盗みをし、ついには頂点に立つような人間の悪循環を生み出す可能性がある。
もしそうであれば、私たちは権力のある人に注目するのではなく、破綻した制度の修復に的を絞るべきだ。
(翻訳:柴田裕之)
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