2023年に協定締結、すぐに中学生を派遣するスピード感

奈良県宇陀市には「公民連携まちづくりプラットフォーム」というものがあり、多様な企業などの協力を広く求めている。

「財政も厳しく、自治体だけではスピード感を持って取り組むこともなかなか難しい。民間と連携し、宇陀市のためのさまざまな活動やサービスを生み出したいという思いがありました」

そう語るのは、同市市長公室の参事を務める甲賀晶子氏。公民連携担当とまちづくり推進担当を兼務している。

そのプラットフォームには「オーガニックビレッジの取組を起点とした農と食の活性化」「ウェルネスシティの推進」などいくつかのテーマがあるが、そのうちの「新たな学びの機会の創出」において、ある企業が「エストニアの教育に注目してはどうか。現地をよく知る別の企業を紹介できる」と意見を寄せてきた。その仲介で宇陀市とつながったのが、2018年にエストニアの首都タリンで創業したNext innovation社だった。同社からは共同創業者の一人であるKEY氏が中心となり、人々が宇陀市とエストニアを行き来するプロジェクトが行われている。

まず2023年7月に、エストニアのサーレマー市と教育を中心とした交流についてのMOU(国際交流協定の基本合意書)を締結。ほぼ同じタイミングで、宇陀市内の公立中学校に通う10人の生徒が、サーレマー市で7泊10日間の短期留学を経験した。事前に日本での研修を行ったが、それは子どもたちにとっては意外なものだったかもしれない。

「この交流は、エストニアと連携してアントレプレナーシップ教育を行うという、日本で初めての取り組みです。事前研修も『エストニアについて知ろう』といったものではなく、起業家精神につながるような、自分で考える力をつけるための内容を考えました」(KEY氏)

課題となったのは「現地で質問してみたいこと」や「今の宇陀市について思うこと」「もし市長になったら、どうやって住みよい街にするか」などを自分の言葉で考えること。甲賀氏は「日本の子どもたちはとてもシャイですよね。まして宇陀市のような小さな町には、とくにシャイな子が多いかもしれません」と笑うが、事前研修ではなかなか活発な議論が生まれず、手を挙げることもためらう子どもが多かったという。しかしエストニアからの帰国後、10人の子どもたちは別人のように積極的になっていた。

「日本人は見て終わり」の空気を打破した覚悟と熱意

もちろん、外国での経験は、とくに若者の価値観を大きく変える。どこに行っても大なり小なり成長はするだろう。しかしKEY氏も甲賀氏も、「パートナーがエストニアであることの意味は大きい」と口を揃える。KEY氏がその理由を説明する。

「エストニアは長く旧ソ連に統治されてきました。ソ連崩壊時には『残ったのは人の知恵だけ』と言われていたそうです。その危機感から教育に大きく投資し、とくに近年はPISA(OECD生徒の学習到達度調査)でも上位に位置しています」

ITにも注力しており、オンライン申請の行き渡った「電子国家」としても知られる。最も有名なスカイプを始め、世界的に評価されるユニコーン企業が生まれる国でもある。アメリカでも事業を拡大する自動運転ロボット企業「Clevon(クレボン)」も好調だ。

「エストニアはまさにアントレプレナーシップ教育の国であり、自分で考える力を養っている国。一緒にイノベーションを起こすことを大事にする国でもあります」

KEY氏曰(いわ)く、そんなエストニアでは「日本は見に来るけれど見て終わり。そのあとの発展がない」というイメージが一部に根付いているという。その空気を打破し、宇陀市は単なる視察や見学に終わるつもりではないことをわかってもらう必要があった。

「宇陀市は人口減少と市の衰退に危機感を持ち、覚悟を持って臨んでいるという熱意を伝えて、やっと始動したプロジェクトなのです」

そのため、中学生の短期留学に同行した教員や市職員も「単なる視察」で帰るわけにはいかなかった。甲賀氏は「先生も『授業のやり方がまったく違う』など、たくさんの発見をしていました。私自身も何度か現地に行っていますが学ぶことが多く、教育だけでなくさまざまな視点から市を盛り上げることを考えています」と言う。

そんな大人の覚悟も伝わったのか、子どもたちも短期留学に熱心に取り組んだ。現地ではVIVITAで簡単なプログラミングを経験したほか、サーレマー市の高校では3日間の集中プログラムを受けた。

自主性にあふれる生徒会活動の様子を生徒会長から聞いたし、サーレマー市長にもぶっつけで会って質問をした。もちろん通訳は入ったが、「市長の仕事で難しいことは何ですか?」「学生時代の成績はどうでしたか?」など、自分の言葉で問いかけたという。

2023年7月の短期留学にて。サーレマー高校の生徒会会長兼サーレマー市青少年評議会会長のHelisLuks氏とのディスカッション

子どもたちは激変、教育と産業振興の同時プランも進行中

帰国後に行われた市の報告会では、子どもたち自らが司会を務めた。台本は大人が用意したが、アドリブも入れながら自らの言葉で進行し、「宇陀市をよくするには」と積極的に発言した。さらにエストニアに行った10人のうち5人が、自分の通う中学校の生徒会役員に立候補したそうだ。

「子どもたちは道を歩いていても『あの看板は場所を変えたほうが見やすいのでは』など、まちのことに関心を持つようになりました。生徒会長選挙に出た生徒の全員が、短期留学の経験者だったという学校もあるほど。彼らの変化には私たちも驚いています」(甲賀氏)

すでに絶大な効果を見せる交流の次の一手は、現地の大学などとの連携による日本人向けの留学プログラム「クレボンアカデミー」の開講だ。これまではエストニア語の講義のみで外国人にはハードルが高かったが、宇陀市との連携をきっかけに英語での講義も実施されることになった。

3年間でロボット工学分野の高度なスキルを身に付け、学士(bachelor)の資格を得ることができる。2025年9月のスタートを目標にしており、すでに市内外でも話題だ。

「まだ本格的なPRをしていないのですが、市民だけ、若者だけを対象にしたアカデミーではないので、近隣の高専生や大人からも問い合わせが来ています。もちろん子どもたちも興味を持っているようで、『英語を勉強しなくちゃ』というモチベーションにもつながっているようです」

今年1月、宇陀市はクレボン・エストニアアントレプレナーシップ応用科学大学・Next innovation OÜとMOUを締結

甲賀氏はさらなるプランも進行中だと話す。

「2025年の入学者がアカデミーを修了する2028年を目指して、クレボンの日本支社を宇陀に誘致する予定です。エストニアで学び、宇陀に帰って来て活躍できるよう、産業振興も含めたサイクルを考えています」

この「サイクル」という考え方も、宇陀市がエストニアから学びたいものの一つだ。甲賀氏は言う。

「エストニアでは、成功を手にした起業家が次の世代に資金とノウハウを再投資する環境、スタートアップや教育へのエコシステムが根付いている。少子化が進む日本ですが、もっと若者や子どもを応援する国になるといいですよね。教育エコシステムのノウハウを私たちも学び、宇陀市から全国に発信していきたいのです」

覚悟を持って始めたプロジェクトというだけのことはあり、視察に終わらない壮大な計画であることがうかがえる。人口3万人足らずの町が抱く夢は大きい。

(文:鈴木絢子、写真:宇陀市提供)