「国際学習到達度調査(PISA)」などから国レベルの教育課題を分析
――大野さんは、2022年4月から、文部科学省 国立教育政策研究所で2つの組織のリーダーを務めていらっしゃいます。教育データサイエンスセンター、国際研究・協力部ではそれぞれどのような活動をしているのでしょうか。
教育データサイエンスセンターは、21年10月、国立教育政策研究所に新しく設置された組織です。教育は、現場の先生方の経験値で感覚的に語られることもありますが、データによって教育を見える化し教育実践や政策に生かしていくことも求められる中、文科省が実施する各種調査、国の研究成果や自治体の取り組み事例などを集約する「公教育データ・プラットフォーム」の構築などの事業を進めています。
国際研究・協力部は歴史の長い部署で、OECD(経済協力開発機構)の「国際学習到達度調査」(以下、PISA)、「国際教員指導環境調査」(以下、TALIS)などの国際共同研究を進めています。私は、これまでに、OECDパリ事務局に2年間勤務、JICA(国際協力機構)の専門家としてカンボジア教育省の教育政策アドバイザーを2年間務めた経験もあり、日本の教育をグローバルな視点でずっと追いかけてきました。
――PISAの実施や運営はどのように行っているのですか?
PISAは、OECDがその国の教育制度の長所や短所を明らかにし、政策立案のための基礎的なデータを提供することなどを目的に2000年から3年ごとに実施している調査です。参加国はOECD加盟国を含めた世界約80カ国・地域の義務教育を終えた15歳の生徒を対象に、読解リテラシー、数学的リテラシー、科学的リテラシー3つの分野で出題し能力を測るのですが、日本では全国の高等学校や高等専門学校など約200校、約7000人の生徒さんに協力いただいて実施しています。3分野以外に、生徒の家庭環境や学習条件などの調査、ICT活用調査も同時に行っています。
最近では、18年に続き、22年に「PISA2022」を実施しました(新型コロナの影響で1年延期)。今年の12月に「PISA2022」の結果を公表する予定です。
生徒の学力が高く、「知・徳・体」をバランスよく育む
――グローバルな視点から見た日本の教育の強みは、どんなところでしょうか。
まず第一に言えるのは、生徒の学力の高さです。日本の生徒のPISAの平均得点の推移を見ると、読解リテラシーはその年によって多少の変動はありますが、数学的リテラシー、科学的リテラシーはずっと世界トップクラスで、2018年調査では、数学的リテラシーの平均得点は527点でOECD加盟37カ国中1位(OECD平均489点)、科学的リテラシーの平均得点は529点で2位(OECD平均489点)、読解リテラシーの平均得点は504点(OECD平均487点)で11位でした。PISAの問題は、いわゆる“知識を問う”内容ではなく、思考プロセスの習得や概念の理解を重視し実生活で使える応用力を問う内容です。平均的にこれだけ高い学力を持っている日本の子どもたちは、「基礎的な生きる力を持っている」と解釈しています。
また、日本の教育は、「知(確かな学力)・徳(豊かな心)・体(健やかな体)」をバランスよく育てることを大切にしています。これは、グローバルな視点から見た日本の教育の強みでもあります。日本の学校では、知識や技能の習得に加えて掃除、給食、係活動、学級会などの特別活動を当たり前のように行っていますが、他国ではこのような活動はあまり見られません。この特別活動は、諸外国、とくにアジアや中東から強い関心を寄せられていて、エジプトでは日本の特別活動の教育モデルを採用したり、シンガポールの学校では掃除を取り入れたりしています。
PISAでは3分野以外にも「革新分野」と呼ばれる21世紀型能力の調査も行っているのですが、15年の調査では、問題を解決するために周りの人と協力しながら取り組む能力を測る「協同問題解決能力調査」で日本はOECD加盟国中1位でした。授業だけが学びではなく、特別活動などを通して自分の役割を持ちながらグループで協力して物事を進め、思いやりや協調性、自律心などを養い子どもの全人格的な形成を担っているところが、日本の学校教育の特徴であり、強みといえると思います。
――そのほかに、グローバルな視点から見た日本の教育の強みはありますか?
先生同士で授業を互いに見て検討し合う授業研究も、日本では当たり前のように行われていますが、授業の質を高める有効な手段として世界的に注目されています。先生が学び続ける姿勢が高い水準の教育を支えている要因になっており、インドネシアなどでも参考にされています。
「TALIS」は小中学校の教員および校長への質問紙調査を通して学校の学習環境や教員の勤務環境に焦点を当てた国際調査ですが、18年の調査では、「児童生徒が授業を妨害する」「教室内はとても騒々しい」などの数値が調査参加国の平均値と比べて低く、学級において規律や良好な学習の雰囲気が整っているといえます。
子どもたちの自己肯定感、教員の自己効力感が低い
――グローバルな視点から見た日本の教育の課題はどんなところにありますか? 調査結果からお感じになることを教えてください。
日本の教育の強みのところで申し上げた、「子どもたちの協調性」はいわゆる「同調圧力」も生みかねず、一斉授業の中で周りと同じように行動するよう求められる面もないとはいえません。「他者との違いを認める子どもたちの育成」という点では弱いかもしれません。
内閣府による「我が国と諸外国の若者の意識調査」(2018年)を見ると、「自分自身に満足している」という項目で、米国、英国、北欧など他国は肯定的な回答が約8割を占めているのに対し、日本は約45%にとどまっています。また、日本財団による「18歳意識調査第20回 国や社会に対する意識調査」(19年)によれば、諸外国と比較して、社会課題を解決しようとする意識を持つ若者が少ないことが明らかで、子どもや若者の自己肯定感の低さや生きづらさを感じる現状が見えてきています。
また、「TALIS2018」によると、日本の小中学校教員の1週間当たりの仕事時間の長さはOECD加盟国を含めた48カ国中最長で、中学校の課外活動(部活動)の指導時間がとくに長いという結果になっています。一方、日本の小中学校教員が職能開発活動に使った時間は、参加国中で最短です。
なお、教員不足は23年5月に開催されたG7富山・金沢教育大臣会合では日本のみならず各国共通の話題となりました。処遇を含む働きやすい労働条件の整備、部活動の地域移行など教員の負担軽減のための実効性のある制度改革が急務といえます。
さらに、教員の自己効力感については、「児童生徒が学習の価値を見出せるよう手助けする」などの項目に対し、「できている」と肯定的に回答した教員の割合は中学校で約34%と、参加国平均(中学校約83%)と比べて非常に低い結果となっています。日本人は謙虚な気質でこのような主観的なアンケートに対して低めに回答する傾向がありますが、そのバイアスを加味しても、低すぎるように感じます。日本の先生方は、子どもたちの学力、生きる力を確実につけ、国際的な調査でも結果を出しているのですから、もっと自信を持ってほしいと思います。
――先生方の自己効力感が低いのはどうしてなのでしょうか。
これは私の主観的意見ですが、現場の先生たちが、その存在を認められ、褒められるような機会が少ないのではないかと感じています。自らも学びながら子どもたちの成長に直接関わる教員の仕事は、とてもすばらしいものです。抽象的な表現になりますが、保護者、地域、そして社会全体で、「教員はすばらしい仕事で、価値ある仕事である」ということをさらに認め、教員という職業の社会的価値を取り戻すことが、自己効力感の向上につながるのではないでしょうか。
日本の教育は大きな転換期、過渡期を迎えている
――2020年度から新しい学習指導要領が始まり、GIGAスクール構想スタートから3年目を迎える現在、日本の教育の現在地についてどのように捉えていらっしゃいますか?
「生きる力」は学習指導要領ではずっとうたわれてきていますが、20年度からの新しい学習指導要領改定において、探究活動などの重視により「生きる力」をどのように育んでいくのか、知識だけではなく思考力・判断力・表現力などを子どもたちが身に付け「持続可能な社会の創り手」となるようどのように育んでいくのか。これらの実現に向け、先生方が努力されている最中であり、まさに今、大きな転換期を迎えているといえると思います。
また、20年度からGIGAスクール構想による取り組みが進み、多くの学校の授業でICTが活用されるようになりましたが、ICT端末を文房具として使いこなす学校もあればそうでない学校もあり、現状では学校間格差があるのも事実です。将来的には探究的な学びにもICTが自然と使われていくのが理想ですが、「PISA2022」のICT活用調査結果などを参考にしながらより具体的な議論を推し進めていく必要があるでしょう。
――コンピューターを使用して試験を実施するCBT(Computer Based Testing)の導入も少しずつ進んでいます。
北欧では、15年の時点で普段の授業のテストにCBTが使われていました。日本でも近年、英検やTOEICなどで用いられるようになり、21年12月から希望する全国の小・中・高等学校などでの導入をスタートした「文部科学省CBTシステム(MEXCBT:メクビット)」の活用も進んでいます。全国学力・学習状況調査も25年からCBTを順次導入することが決まっています。こうしたICT端末を活用した学校教育も、今まさに「過渡期」を迎えているといえるでしょう。
日本社会に根差したウェルビーイングを目指して
――日本のこれからの教育に必要なことは、どんなことでしょうか。
2023年6月に閣議決定された「教育振興基本計画(2023〜2027)」におけるキーワードは「ウェルビーイング」(身体的・精神的・社会的によい状態にあることをいい、短期的な幸福のみならず、生きがいや人生の意義などの将来にわたる持続的な幸福を含む概念)です。「ウェルビーイング」は、OECDで以前から提唱されてきた考え方ですが、日本の教育振興基本計画に今回初めて書き込まれました。
子どものウェルビーイングは、OECDによると「物質的な状況」「身体的な健康状況」「認知的・教育状況」「社会・情緒的な発達の状況」の指標が使用されていますが、そのうち日本では子どもの「主観的幸福度」(生活満足度)がとても低くなっています。
「教育振興基本計画(2023〜2027)」には、日本社会に根差した調和と協調に基づくウェルビーイングを教育を通じて向上させていくことや、子どもたちのウェルビーイングを高めるためには教師をはじめとする学校全体のウェルビーイングが重要であり、子どもたち一人ひとりのウェルビーイングが家庭や地域に広がっていくことが大切であることが述べられています。
――子どもたちの主観的幸福度を上げていくためにはどうしたらよいのでしょうか。
すでに、学校・先生方が工夫しながら実践しているケースも多いですが、「一斉授業による教育」から「子どもたち一人ひとりの可能性を引き出す教育」へのシフトチェンジをさらに進める必要があるのではないでしょうか。
近年、不登校が増加傾向にあります。学校は、教科の学びや特別活動などを通して他者と協働しながら生きた体験やいろいろな発見ができる場ですが、学校に行きづらい子に対しては、アバターやメタバースなどのICTを活用して家庭以外の居場所をつくる取り組みは現代的な解決策の1つだと思いますし、オルタナティブスクールなど他国の政策から学ぶ必要もあるかもしれません。
これからは、教育現場においてもAIの活用が前提となっていくでしょう。つい先ごろ、文科省は学校での生成AIの利用に関する暫定的なガイドラインを公表しました。ChatGPTなど生成AIを含めた近年のデジタル技術の急速な発達が教育に与える影響を認識しながら、教員は子どもたちの学びのファシリテーターとしてデジタルの活用を含めすべての子どもたちの可能性を引き出す教育とは何かを考え実践していくことが、子どもたちのウェルビーイングの向上につながっていくのではないでしょうか。
(企画・文:長島ともこ、注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)