中学3年生で文科省を目指した理由とは?
現在、鎌倉市教育長を務めている岩岡寛人氏は、文科省の若手官僚の一人。東京大学教育学部卒業後、2008年に文科省に入省し、以来、義務教育学校制度や学校規模適正化の指針作り、幼児教育や保育の無償化などのさまざまなプロジェクトの制度構築を担当してきた。在任中には米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の公共政策大学院で修士号を取得している。
その後、鎌倉市長の松尾崇氏から声がかかり、20年に鎌倉市教育長に着任した。これまでも文科省から地方自治体の教育長に出向するケースはあったが、岩岡氏のように35歳の若さで就任するケースは珍しい。さらに就任以来、「子どもたちが20年後の社会で必要な力」を身に付けるための独自の取り組みを推進し、関係者から注目を集めている。
そんな岩岡氏が、文科省に入って教育行政に携わりたいと考えたのは、中学3年生の時。何とも早い目覚めだが、どんなきっかけで教育に関心を持ったのだろうか。
「小学生の頃から、人の役に立つ度合いが大きな仕事をしたいと思っていました。世の中にはさまざまな社会課題があることを学校で学ぶ中、もしかしたら社会課題をたくさん解決できる人を育てることこそが、役に立てる度合いが大きい仕事ではないかと思うようになったのです」
そこで教育分野、当然ながら教師という選択肢が浮かんできたが、もっと役に立とうとするならば、すてきな教師をたくさん育てる仕事を目指せばよいのではないかと考え、中学生にして文科省を志すようになった。
その後、実際に文科省に入り、さまざまな教育行政に携わってきたが、これまでのキャリアは現在の仕事にどのように生かされているのか。
「教育長の仕事とは、地方自治体において教育行政に携わる仕事です。私は、議会、首長、財政当局、学校、市民などのステークホルダーとどう合意形成をして政策を作ればよいのかといった力を鍛えられてきましたので、組織を動かす行政手腕が問われるという点では、これまでのキャリアが役立っていると考えています」
「“学びのタクト”を子どもに渡す授業」を研究するフェーズへ
その言葉どおり、岩岡氏は教育長に就任してからさまざまな改革を行ってきた。最初に着手したことの1つは、GIGAスクール構想の推進だ。まずはICT環境の整備に力を入れた。
「鎌倉市が導入した1人1台端末はiPadセルラーモデルなので、学校だけでなく、自宅や外でもネットワークに接続できるという強みを持っています。また、学術情報ネットワーク『SINET』に接続するとともに、下流部分も専用回線を確保したので、市内公立の全小中学校において高速で安定した通信ができています」
AI教材「すららドリル」などを活用して個別最適な学習を進める一方、1人1台端末と向き合うだけの授業にならないよう、学びの成果を共有するメディアとして、OS内蔵の電子黒板「ミライタッチ」も市内小中学校の全教室に導入。指導者用デジタル教科書や授業支援ツール「Google Classroom」などもこの電子黒板のみで操作できるので、教員たちからは使いやすいと好評だという。
「そのほか、GIGAスクール担当者を各校に配置するとともにモデル推進校を3校選び、その取り組みを横展開していく仕組みも構築しました。結果、この2年間でずいぶん1人1台端末の活用が進んだと思います。今後の課題は、1人1台端末を使った授業を進化させること。電子黒板も掲示だけでは主体的・対話的な学びを達成できません。もっと“学びのタクト”を子どもに渡していくような授業を研究するフェーズに入ってきています」
最近注目されている教育データの利活用についてはまだ進んでいないというが、どう考えているのだろうか。
「ソフトウェアごとにデータが蓄積されているため、それらを掛け合わせて分析するのが難しい現状があります。また、留学時に教育経済学を学んだ観点から言えば、教育データによってマクロ分析はできますが、子ども一人ひとりに個別最適化するためのミクロ的なデータ活用についてはまだ技術や科学的知見が不足しています。多くの自治体で実現可能なデータ連携や分析のあり方については、今後の技術や研究の進展を見ながら模索していかなければならないと考えています」
「今やるべき」を実現する「鎌倉スクールコラボファンド」
岩岡氏は、「鎌倉スクールコラボファンド」という独自の取り組みも推進してきた。社会に開かれた教育課程を実現するため、ふるさと納税の仕組みを活用して教育委員会の下に設立したガバメントクラウドファンディングだ。
「今、学校にはプログラミングやSDGs(持続可能な開発目標)、PBL(課題解決型学習)など社会要請に基づく教育テーマが大量に流れ込んできていますが、先生方はやりたいと思っても制度などの事情から実現が難しいことも多く、疲弊しています。企業なら新たな取り組みに対して適宜必要な資金が投入されますが、公教育は無償なのでそうはいかない。そこで、未来を見据えた教育の実現に向け、外部の人材や組織と連携するための資金を市内すべての公立小中学校に提供しようというのが、このファンドの狙いです」
学校が要望を出し、教育委員会で承認されればファンドの資金を活用できる。実際、2020年~22年までに約1500万円の調達に成功しており、この資金を基に、複数の学校が大学や企業、NPO法人など外部組織とコラボレーションし、プログラミング授業、STEAM教育、キャリア教育などを実現してきた。
例えば、SDGsをテーマにしたプロジェクト型探究学習を行った小・中学校では、それぞれ慶応大学とNPO法人未来をつかむスタディーズと連携し、課題ごとに知見のある大人を招き、学びを深めることができたという。
「教師1人でクラス全員の興味・関心に丁寧に伴走するのは困難なので、これまでは何か1つテーマを選んでみんなで取り組む形が多かった。しかし、外部とのコラボレーションにより、南ベトナム出身の難民の方を招いたり、フードロスに取り組む地元のカフェの方に探究の伴走をしていただいたりと、子どもたちの興味・関心に合わせた学びができたのです」
この探究学習に取り組んだ児童たちの、1年後の変化が興味深い。授業実施の前後で「自分たちが動くことで、地域や社会が変わっていくと思う」という質問に対し、「とても思う」「思う」と回答した児童が38%から81%に増加。「SDGsは遠い世界の話ではなく、自分とつながりのあるものだと感じている」という質問も、「とても思う」「思う」と回答した児童が26%から93%に増えたのだ。
「通常なら、こうした教育活動を学校単独でやるには何年も研修が必要ですし、予算執行にも時間がかかります。しかしこの仕組みなら、年度内に教育活動を始められるのです。ケース・バイ・ケースですが、一単元の伴走程度なら、学校の申請から1週間で実現が可能。長期の活動でも1~2カ月でスタートできます。社会のゴールがどんどん変わる中、『今やるべきだ』と思ったことをスピーディーに実現できるこの仕組みは、日本の教育のゲームチェンジにつながるかもしれません。一緒に取り組む自治体を増やし、全国展開できないかなと考えています」
25年開校予定の不登校特例校でも「ULTLA」を活用
もう1つ、鎌倉市の特徴的な取り組みが、SPACEと連携した「かまくらULTLAプログラム」だ。不登校、あるいは学校を休みがちな小4から中3までを対象とした3日間の探究プログラムで、児童生徒は親元から離れ、地域特性を生かしたアクティビティーに取り組む。
「Uniqueness Liberation Through Learning optimization and Assessment(学びの最適化とアセスメントを通じた個性の解放)」から名付けたこのプログラムについて岩岡氏は、「子どもたちの学びの特性を花開かせる探究プログラム」と言い、説明する。
「私は学習の個性化が重要だと考えていますが、子どもたちは自分の個性や特性に合った学び方をしてよいことも教えられていないし、その方法も知りません。また、そういった特性や興味・関心と学校特有の環境が合わない子は、どの場面でもきっと学校がつらいんですよね。適応指導教室やオンライン学習支援も大切ですが、学校特有の環境を取り出して渡されているだけと感じる子もいると思うので、個性や特性を発揮させてあげる働きかけも必要だと考えました」
具体的には、子どもの関心領域や認知・学習特性をアセスメントし、その結果に応じて、一人ひとりに合った学び方で探究ワークショップを実施。その後、学びの成果発表会を開催し、大人からフィードバックを受けることで子どもの自立の基礎づくりにつなげていくという流れになっている。
参加者からは「自分の取扱説明書がわかった」「不登校でも社会は受け入れてくれるんだということを感じた」などの声が寄せられており、中には学校に楽しく通えるようになった子もいるという。
「2025年に市内で開設予定の不登校特例校(中学校)でも総合的な学習の時間において、ULTLAを活用する予定です。市内の公立小中学校でのULTLAの横展開も視野に、拠点化を図っていきたいと考えています」
今後の鎌倉市の教育課題と展望についてはどのように捉えているのだろうか。
「私の今期の任期は7月までとなっていますが、まいた種が花を咲かせるところまではきたのではないかと思っています。これからは市内のあらゆる学校で、多様で柔軟な実践がもっと広がっていくこと、また、新たな実践が持続的に生まれていくような組織・環境づくりが取り組むべきポイントではないかと考えています」
最後に、日本の教育行政のあるべき姿について、どう考えているのかを聞いてみた。
「あるべき教育行政の姿は今後もどんどん変わっていくと思います。ただ、学校教育の観点から言えば、子どもたちの現在と未来の視点に立つことが大切だと考えています。子どもたちは将来幸せになるだけではなく、今幸せでなければなりません。そのためにも、今後もさまざまな連携や取り組みを実践しながら、教育、そして教育行政について考え続けていきたいと思っています」
(文:國貞文隆、注記のない写真:今井康一撮影)