今回で、連載スタートから1年になります。思い返せば、ヒロック初等部が開校する直前に連載をスタートし、子どもたちの成長する姿に私自身が学びながら、言うなれば子どもたちの代弁者となって書き連ねてきました。記事を読んだ方からいただくフィードバックは、まさに今の日本という国の子ども観、教育観の現在地を表しているんだなぁと、初心に立ち返りながらさまざまに考えさせていただき、またヒロックという学びの場に還元してきました。

ヒロック初等部を創設してもうすぐ1年となる今回は、テストも、宿題も、「これをやらなければならない」といったノルマも、比較もない学び場で、子どもたちが見せてくれている現在地をシェアしたいと思います。

しゃべることで脳のエンジンが回り思考が深まる

子どもたちは1日を通して、本当によくしゃべります。しゃべりながら考え、しゃべりながら作り出していきます。私も公立学校現場の経験が長いですが、ヒロックに比べて公立学校では、ほとんど子どもがしゃべる時間はなかったなぁと感じます。私の息子も登校渋りでしたが、行きたくない理由を聞くと「しゃべれないから」と言うんですよね。普段そんなに目立ちたがりなキャラでもないので、意外な返答でした。

よく学校では「子どもたちの発言を引き出す」とか「対話の力をつけるために」と言いますが、そもそも圧倒的にしゃべってよい時間が少ないのかもしれません。とくに小さい頃は、しゃべることで脳のエンジンが回って、思考が深まるんだなぁと、子どもたちを見ていて感じます。

また、成長することを心から喜んでいる姿にもしばしば出会います。私が大人向けの講演会などで「成長」というキーワードを出すと、しばしば「成長を求めるなんてかわいそうだ」みたいな批判を受けます。

私は、成長は楽しいもので、明日へ希望を持つ力だと信じて、今でも曲げずに主張しています。ノルマや評価、誰かのための成長ではなく、単純に自分の能力が拡張する体感。子どもたちはというと、できないことができるようになった、もしくはできるようになっている自分に気づいたとき「あたし、成長した!」と目をキラキラさせて、興奮しながら伝えてくれます。自分で選び、自分で歩を進めたからこそ喜びに満ちていて、もう一歩を踏み出すモチベーションになるんだなと感じます。

自戒を込めて「もっと子どもの心に目を向けて」

そして、子どもたちはとてもやさしいですね。困っている子がいると、とにかく集まってきます。何ができるかを考えるより前に、取るのも取り合えず駆けつけて、おろおろします。解決するとほっと胸をなでおろし、再び遊び始めます。友達の成長に対しても、自分のことのようにうれしそうな顔をします。「すごいよね、僕なんてすごく時間かかったのに」と、恥ずかしがることもなく称賛します。

比較のない世界では、誰かの能力が上がったり、評価されたりすることは、必ずしも自分の評価が相対的に下がる結果を生まないんですよね。これって、もしかするとスポーツの応援に近いのかもしれません。自分のひいきにしているチームや選手がよい成績を収めたら、自分だってうれしくなりますよね。

できないことがある子にもやさしいです。遅刻しがちな子や掃除をしない子がいても、これっぽっちも責めたりなんてしません。自分ががまんしてやっているわけではないし、その人が楽をしていようが苦手なことがあろうが、直接的には自分には被害はないわけですから、それもそうだよなぁと感じます。連帯責任とか、忍耐を強要したりするから、結果的に手を抜いたり、できないことがある人に腹が立つのかもしれません。

蓑手章吾(みのて・しょうご)
HILLOCK(ヒロック)初等部 校長
公立小学校で14年勤務した後、2021年3月に東京・世田谷にオルタナティブスクール、ヒロック初等部を創設、22年4月に開校。専門教科は国語。特別支援学校でのインクルーシブ教育や発達の系統性、学習心理学に関心を持ち、教鞭を執る傍ら大学院にも通い、人間発達プログラムで修士号を取得。特別支援2種免許を所有。プログラミング教育で全国的に有名な東京・小金井の前原小学校では、研究主任やICT主任を歴任するなどICTを活用した教育にも高い関心と経験を持つ。著書に『子どもが自ら学び出す!自由進度学習のはじめかた』(学陽書房)、共著に『before&afterでわかる!研究主任の仕事アップデート』(明治図書)、『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)、『個別最適な学びを実現するICTの使い方』(学陽書房)などがある
(撮影:今井康一)

同時に、子どもは誰かの役に立ちたいとも思っています。面倒くささ以上に、自分の能力が何かの役に立ったり、誰かが喜んでくれたりすることのほうがうれしい。大人の何倍もうれしいのでしょう。損得勘定や掛け値なしに、貢献したいとうずうずしています。

時には、友達を傷つけてしまったり、他者を不快な気分にさせたりもします。しかしその99%は、傷つけることや不快にすることが目的ではないんですよね。不器用だったり、慣習を知らなかったり、相手の気持ちを推測できなかったりするだけなんですよね。

私たち大人は、つい事実だけを見て「なんでそんなこと言うの!」「本当に嫌なことばかりして、いじわるね!」なんてジャッジしてしまいがちですが、もっと子どもの心に目を向けて、どんな動機や願いがあるのかを感じ取る練習をしなきゃいけないなと、自戒を込めて感じます。

子どもは大人にとって「異文化で多様性に満ちている」

大人の判断ということで言うと、例えば友達がみんなの前で話している時に、聞いていない子がいると「話している子がかわいそう!」なんて思ったりしますよね。でも意外と、話している本人に聞いてみると、全然そんなこと思っていないことが多いです。聞いてほしいわけじゃなくて、しゃべって満足、ということも。

同じように、1人でお昼を食べていても、本人はむしろそうしたいと思っていることもあるし、ちょっかいを出されたり、変なあだ名で呼ばれていても、それが友達同士のコミュニケーションの形ということもあります。大人が自分たちの文化や価値観で決めつけず、まずはちゃんと気持ちを聞くことが大切だなと思う日々です。反対に、どうってことないように思えることで深く悩んでいたり、気にしてないふりをしているだけということも。さりげなく、気にはかけつつ、手はかけすぎずを心がけています。

ヒロック初等部には「自由」という時間があります。大人からすると、さぞ遊び倒すか、ごろごろするかと想像しがちですが、子どもたちは学習したり、時間が足りなかった調べものをしたり、工作の続きをしたりと、自分のニーズに沿って有効に活用するんですよね。個々によって必要な時間は違うので、それを調整するゆとりの時間って、子どもにとっても当たり前に必要だよなぁと、改めて気づかされます。

多様性にも寛容です。外国人講師が来て、日本語でコミュニケーションが取れなくてもさほど気にしないし、障害があるといわれる子がいても自然と受け入れて、柔軟に自身や学級のあり方を変えていきます。LGBTQの授業のときも「男の人同士が好きになったり、結婚しても別にいいじゃんね?」と、大人の先入観や偏見をいともたやすく越えていきます。

こうして子どもたちと接していると、子どもというのは大人にとっての異文化で、多様性に満ちているなぁと思うと同時に、自分や社会の矛盾や偏りに気づかされます。ベストセラー本や話題のセミナー以上に、学びの場の子どもたちの姿から多くの学びを得る日々です。

「大人ももっと学ばなきゃ!」と言われるようになってきましたが、教育や子育てに関しては、目の前の子どもから直接教わることが実は何よりも大きいし、圧倒的に足りていないと痛感しています。微力ながら今後も、ヒロック初等部の子どもたちから学んだことを、特等席にいられる幸運な“翻訳家”として、今後も多くの大人文化圏の皆さんにシェアしていこうと思います。

(注記のない写真:ペイレスイメージズ1(モデル) / PIXTA)