「模擬は模擬にすぎない」学びの意味を生徒に伝えるには
神奈川県立瀬谷西高等学校でシティズンシップ教育を担当する黒崎洋介氏は、学生時代から、従来の社会科教育に疑問を抱いていた。
「用語集の知識を詰め込んで受験を突破するだけが社会科の科目ではないはずです。もっと実社会で役立つ資質や能力を伸ばすことができるはずだと考えていました」
教員になってからも、生徒にとって身近な社会課題をテーマに授業を行うことを心がけている。太陽光発電の普及とその是非、集団的自衛権について、子どもの声は騒音か否か――など。時事性と争点性がある題材を選び、生徒たちにディベートをさせることで、問題を「自分事」と捉えてもらおうと取り組んできた。生徒同士の議論では、人権侵害に当たる発言があったり、あまりにも偏った意見が出たりすることもある。そうしたときにはきちんと注意し、反対意見にも耳を傾けさせ、別の立場から考えさせるなど、教員がその都度フォローしながら導いていく。
シティズンシップ教育の代表的な取り組みでもある模擬投票や模擬議会も実施した。
「議会の流れや法案の通し方を体験してみることで、生徒たちは、政治家たちが日々どんな業務を行っているかが想像できたのではないかと思います」
だが黒崎氏は、この手法に限界も感じるようになった。
「学びが学校の中で完結している状況に変わりはなく、あくまで模擬は模擬にすぎません。私が目指すのは、社会に開かれた形でのオーセンティックな学びなのです」
現代は学びの意味が見えにくい時代だと同氏は続ける。そしてそれは、とくに高校の「普通科」において顕著だという。
「学びに対するインセンティブが大学の合格だったり、あるいは落第しないことだったり。後者になるともはや脅しですよね。なぜ勉強するのか、さらに言えばなぜ学校に行くのかという問いに答えを示す1つの方法がシティズンシップ教育ではないか。私はそう考えています」
黒崎氏の言葉どおり、少子化の影響もあって、全国の公立高校は定員割れを起こす例が増えている。実は瀬谷西高校も例外ではなく、2020年の入試を最後に新入生の募集を停止した。同校には現在3年生のみが在籍しており、来年4月には県立瀬谷高等学校と統合されて横浜瀬谷高等学校となることが決まっている。
校長の小林幸宏氏は2020年4月に瀬谷西高校に赴任してきた。すでに同校が再編・統合し完校することが決まっていたが、「生徒たちに寂しい思いをさせたくないと思いました。最後の生徒をどう卒業に向かわせるか、それを考える必要があると思ったのです」と語る。学校運営には通常の「アドミッション・ポリシー」に代えて「グラデュエーション・ポリシー」を掲げ、学校を挙げて持続可能な社会の担い手を育むシティズンシップ教育に取り組むことにした。
「どうせ瀬谷西だから」を「瀬谷西だからできた」へ
小林氏は同校の生徒について、自己肯定感が低い生徒が多いと教員から聞いていた。何とかすべく取り組んだのが、シティズンシップ教育の一環として「総合的な探究の時間」を活用した「SEYANISHI SDGs Project」だ。これは学年全員で取り組む大きなプロジェクトと、生徒自身が選んで参加する16のプロジェクトという2層で実施し、最終的な成果を2022年11月の「瀬谷西SDGsフェスティバル」で公開授業として開催するというもの。
全員参加のプロジェクトは、通学路でもある環状4号線(海軍道路)沿いに花を植える「フラワーロードプロジェクト」と、遠足として実施した江の島の「ビーチクリーン」運動の2つだ。前者は地域の人の協力を得ながらの取り組みで、「横浜市環境活動賞」児童・生徒・学生の部で大賞も受賞した。後者は識者による講演でマイクロプラスチックに関心を抱いた生徒たちが、自発的に「やりたい」と声を上げて実現したものだ。
また、16のプロジェクトは環境や経済、社会といった分野で大別され、その中でさらに「小麦」「地産地消」「動物愛護」など細かなジャンルに分かれている。ここではその1つである「美容プロジェクト」を紹介しよう。黒崎氏はその経緯を次のように説明する。
「美容に関心のある生徒たちが、美容院のことを調べる中で、ヘアカラー剤のキャップが大量のプラスチックゴミになることを知りました。何か有効活用する手立てがないかと彼女たちが調べたところ、近くにラップフィルムなどをリサイクルしてゴミ袋にする企業があることがわかったのです」
そこで生徒たちはその企業の協力を得て、カラー剤のキャップを再生してもらい、美容室で使うカットクロスに作り替えるというサイクルを実現させた。自身の興味から課題を知り、解決策を考えて自ら動く。この流れの中で学びが「自分事」になり、生徒たちが自信をつけていったように見えると小林氏もうなずく。
「SDGsというと海外の貧困問題や大きな環境問題を扱いがちですが、あまり遠い話だと子どもたちも実感が湧かないのだと思います。マイクロプラスチックのことも、江の島が身近だからこそ、生徒の反応も大きかった。テーマの選び方次第で、どこの学校でもすぐに実行できることだと思います。『どうせ瀬谷西だから』と言っていた生徒たちですが、『瀬谷西だからできた』と思ってくれたら本当にうれしいですね」
「問われているのは大人の意識」18歳を信用しているか
生徒の反応は、彼ら自身の進路選びにも如実に表れた。
「フラワーロードプロジェクトなどを通じて地域貢献の楽しさを知ったある生徒は、街づくりが学べる学部を選んで進学を決めています。また資源循環プロジェクトに参加した別の生徒は、目立たなくても資源活用に尽力している人たちの存在を知ったようです。『そうした人たちの声を発信したい』と、メディア制作が学べる学部を選びました」(黒崎氏)
「模擬」ではない現実社会の人や物に触れたことで、生徒たちが感じる学びの意義も具現化したのだろう。黒崎氏が繰り返し強調するのは、「本物に出合うこと」や「社会に開かれた学び」の重要性だ。
「実生活に接続する学びからでこそ、これからの社会で必要な力が得られると思います。文部科学省もそうした資質を求めているはずですが、学校は以前と変わらず閉じた場所のままなのです」
シティズンシップ教育には低迷する投票率を上昇させる役割も期待されているが、そこに黒崎氏が考える「オーセンティック(本物)」を持ち込むことは非常に難しい。例えば今年の夏、宮城県の高校生が参院選についての自作ポスターを校内に掲示したところ、学校から「政治的活動だ」と注意されたことが話題になった。また現役の政治家を学校に呼ぶなら、特定の政党に偏らないよう配慮する必要がある。学校で手に取れる新聞は、各紙を用意して世論や思想のバランスを取ることも求められる。黒崎氏は「問われているのは大人の意識」だと語る。
「18歳選挙権は、18歳が主権者として十分に判断することができるからこそ実現したはずです。若年層の投票率を高めたいと思うのならば、高校生を政治的に未熟な存在として扱うのではなく、彼らを信じて託してほしい。そのためのシティズンシップ教育であり、右とか左とかいったイデオロギーではなく、デモクラシーの質をいかに深化させていけるかが重要なのです」
大学に行くため、資格を取るためだけの勉強なら、わざわざ学校に通う必要はないと黒崎氏は指摘する。黒崎氏の言うように効率をとる子どももいるのだろう。子どもたちの状況が多様化していることもあるだろうが、学校に通わずに学べる通信制高校の学校数と入学者数は、少子化の今日にあっても右肩上がりだ。だが黒崎氏は、生徒が集まる場所としての学校で、もうひと踏ん張りしたいと考えている。
「社会に開かれた教育を実現していくことが、『自分事』として生徒の関心を深め、学びに背を向ける子どもをつなぎ留めることになるのではないかと思っています。学校って面白いんだぜ、ということを、もっと子どもたちに伝えていきたいです」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:大澤 誠)