経済の捉え方には「お金」と「働く人」の2種類がある

お金があれば生きていけるのでしょうか。登場人物の中学2年生の優斗くんは「将来は、年収の高い仕事につきたい」と考え、投資銀行勤務の七海さんは「生きていくにはお金に頼るしかない」と考えています。おそらく皆さんもそう思っているのではないでしょうか。しかし、謎の老人ボスはこう言います。「お金自体に価値はない」「お金で解決できる問題はない」「みんなでお金を貯めても意味はない」。いったいどういうことでしょうか。まずは、3択クイズを出します。ぜひ考えてください。

(出典:田内氏の講演スライド)

正解はAです。「どういうこと?」と思う方も多いでしょう。もし「学校で勉強できるのは誰のおかげ?」と問われたらどう答えますか。もちろん「親など保護者のおかげ」と答えるでしょう。それは、「お金」の出所が保護者だからです。

しかし、もう1つの考え方があります。それは勉強を教えてくれるのは先生だから「先生のおかげ」というものです。こちらは働く「人」に着目しています。

世間では「お金」に注目した経済の捉え方が一般的です。例えば、働いて給料もらう→洋服を買う→ボーナスもらう→旅行するというように、洋服が買えるのは「過去に働いたから」で、お金をもらうと嬉しいのは「将来使えるから」と、私たちは自分の時間軸で経済を捉えています。

一方で、働く「人」に注目した経済の捉え方は、私たちが今生きている空間=社会の中で、働く人がいるから生きていけるという考えです。私たちは1人では生きていけず、毎日、数千、数万の人に支えられています。先ほどのクイズは、自分1人なら「A平日に働いてお金を貯めておく」もふさわしいですが、周囲の空間=社会のことを考えれば、日曜日に働く人がいなくなりますから生活が回りませんよね。ですから、皆がやるべきこととしてはふさわしくないのです。実は年金問題も同じで、一口に多くの人がお金を貯めれば解決する問題ではありません。皆がお金を使わなければ景気が悪くなり、給料も上がらず、年金の掛け金を収められません。お金を考える際は、働く「人」に注目して「社会」を見つめることも重要なのです。

(写真:東洋経済撮影)

お金は「働いてもらうチケット」、発行しても豊かにはならない

田内学(たうち・まなぶ)
お金の向こう研究所代表
社会的金融教育家、作家
元ゴールドマン・サックス金利トレーダー
(写真は本人提供)
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出張授業・講演の依頼、問い合わせは、book_pr@toyokeizai.co.jpまで
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そもそもお金とは何でしょう。お金に価値があるなら、たくさん印刷すればいいし、暗号資産が増えれば世界は豊かになる。いろんな問題が解決できそうですが、果たして本当でしょうか。

もし無人島で生活するならお金は必要ありませんね。では、なぜ現代社会の生活では必要なのか。それは、「誰かに問題を解決してもらうため」です。お金は誰かに働いてほしいときに渡すチケットで、それ自体に価値はありません。しかし、私たちはお金に価値を感じてしまいます。

律令時代、「和同開珎」という銅銭が普及しました。かつて、国家プロジェクトに携わる労働者には銅銭が支払われていました。平城京の市(いち)では、米・布・銅銭で商品を購入できましたが、米や布が生活必需品であるのに対し、銅銭はなぜ価値があったのか。それは当時の税制度「租庸調」で銅銭が納税に使えたからです。

これではピンとこないかもしれませんね。例えばある家庭で、家庭内通貨「マルク」を発行するとします。子どもたちはスマホを見てばかりで家事を手伝いません。そこで、お父さん(中央銀行)が、“1マルク”と書いたカードを100枚作ります(紙幣)。お母さん(政府)は「100マルク借ります」と書いた借用書(国債)をお父さんに渡して100マルクを受け取ります。お母さんはある日、珍しく家事を手伝った子どもたちに3マルクずつ手渡します。この時点では、子どもたちは紙幣に価値を感じていません。

そこでお母さんは「これからは、お父さんもお母さんも家事をしない」、「毎日3マルク支払わないとスマホは使わせない」(強制力の伴う徴税)、「家事をすれば、給料をマルクで支払う」、「ご飯の支度で5マルク、洗濯で3マルク払う」(政府の給料)と宣言します。
この瞬間、マルクに価値が生まれるのです。やがて、子どもたち(民間)の間で発生する経済活動にもマルクが使われるようになり、皆が働いて支え合う社会が実現します。

ここで国について考えましょう。国が何かをつくるときは財源が必要なので、税金を集めなければなりません。通常、増税は国民の負担を増やすと考えられがちですが、例えば先ほどの家庭で、「ご飯の支度」(5マルク)の財源を増税で確保するのと、お金を借りる(国債の発行)のとでは、子どもたちはどちらがラクでしょうか。いずれにしろ子どもたちはご飯の支度をしなければならないので、結局負担は変わりません。実は、増税を避けて国債を発行しても、国民がラクできるわけではないのです。

財源が何であれ国民の負担(労働)は変わらないし、お金を貯めても働く人がいなければ生活はできません。まさしくお金は「誰かに働いてもらうチケット」に過ぎず、紙幣を発行しても生活が豊かになるわけではないのです。

モノの価値は「価格」と「効用」、どれだけ幸せになるが大事

では、お金で測れる価値とは何でしょうか。次のクイズで考えてみましょう。

(出典:田内氏の講演スライド)

この場合、ジュースがまずくても得したと思うのか。あるいは、おいしくても損したと思うのでしょうか。実はモノの価値には、「価格」と「効用」という2つがあります。価格とは、売るときの価値=「商売人、転売する人にとっての価値」であり、一方で効用とは、消費者が使うときの価値(ジュースの美味しさ)で価格は関係ありません。つまり、「お金をいくら使うか」ではなく、皆さんが「どれだけ幸せになるのか」が大事なのです。価格と効用は全くの別物であり、効用の価値は1人ひとりが決めるものなのです。

次に投資を考えてみましょう。世間では「貯蓄から投資へ」が叫ばれていますが、この「投資」は資産運用という意味でしかありません。お金には2つの流れがあります。1つが消費で、服やパンを買うなど、今の生活のために働く人々に流れるものです。もう1つが投資で、将来の生活のために働く人々に流れるものです。国が橋や図書館をつくったり、皆さんが勉強したりするのも将来のための投資です。

ここで大事なのは、「お金を払う人」と「受け取る人(問題解決する人)」が存在することです。投資に流れるお金がどんなに増えても、受け取って課題を解決する人がいなければ社会は成長しません。皆さんは投資を資産運用だと考えがちですが、受け取って課題を解決する人がいなければ、社会は豊かにならないのです。その意味でも、若い皆さんには投資を受け取って課題を解決する人になってほしい。ぜひ投資される側になって、これからの社会を豊かにしてほしいと思っています。

ここまでの話をまとめると、お金は「誰かに働いてもらうチケット」で、私たちは、お金という道具を介して支え合って生きている、ということです。次は、自分が何に価値を感じるのか、幸せのモノサシを持ったほうがいい。そして、1人ひとりが支え合っている社会だからこそ、困っている人を助けるなど、自分が周りにどんな価値を提供できるかを考えてほしいのです。

将来は「2択の選択の積み重ね」で決まる

さて、ここからは、なりたい自分の見つけ方を考えます。皆さんにはやりたいことがいろいろあるでしょう。そして、その実現には多くのハードルがある。そこで私の経験から、やりたいことを実現する2つの考え方をご紹介します。カッコの中に何が入るでしょうか。

①(   )%以上の確率ならトライする価値アリ
②(   )を見つけて仲間を増やす

 

私は、0.1%以上の確率ならトライする価値アリと考えています。0.1%は1000分の1です。テストで1000人中1位になるのは難しいことですが、1000通りから1通りを選ぶのはそれほど難しくないはずです。自分の人生は、これからの選択次第でいくらでも変えることができます。右にいくか、左にいくか。やるかやらないか。人生でこの2択を10回繰り返すと、210=1024通りの未来が出現します。ここから1通りを選ぶわけです。

何かに挑戦したいなら早いほうがいいのですが、多くの人は頭でわかっていてもなかなか行動しようとしません。しかし、将来は2択の選択の積み重ねで決まるのです。

私が社会人になるときの大きな選択は、就職と結婚でした。就職が決まり、結婚を考えたとき、初めの選択として相手に連絡を取りました。結果、今は結婚して子どももいますが、あのとき連絡しなければ未来は変わっていたかもしれません。途中で失敗しても、やることを選択し続けていけば、やりたいことは実現するのです。やる気さえあれば、決断さえできれば、誰にでもできることなのです。

お金はあくまで道具、「社会で働く」ことは仲間を増やすこと

では、「(    )を見つけて仲間を増やす」はどうでしょう。さきほど、お金は「誰かに働いてもらうチケット」と言いましたが、お金がない時代、困ったときに助けてくれるのは周りの仲間でした。一方お金のある今は、仲間でない人にも協力してもらえます。ただし、これはあくまで“協力してもらえるかもしれない”であって、今の時代も仲間を増やすことは大事です。

仲間の作り方と聞くと、SNSのフォロワーを増やすことを考えるかもしれません。しかし、助けてくれるフォロワーはごく一部です。また、愛してくれる人、愛する人とは少なくとも助け合うことができます。私の好きな言葉に「経済とは愛の節約である」というのがありますが、皆さんが家に帰ってごはんを食べられるのも、愛してくれる親がいるからです。しかし、愛で働ける対象は少ない。あくまで愛は限定的であり希少なリソースです。では、仲間はどんなときに増えるのでしょう。それは共通の目標があるときです。学校で言えば、目標を持った部活も団結します。

皆さんが「年収の高い職業につきたい」という目標を掲げても、仲間はできません。私が「本を書いて印税を稼ぎたい」と言って、どれだけの人が応援してくれるでしょうか。しかし、「本を書くことで社会の課題を解決したい」と言えば、興味を持つ人が出てきます。自分がやりたいこと、自分の価値・興味は何か。それを考えて実現させる近道が、やりたいことを仕事にすることです。周囲の人と共通の目標は何か、どうすれば自分を応援してもらえるか。誰を幸せにしたいのか。誰を味方にしたいのか。そこからなりたい自分も見えてくるはずです。

万が一仲間だけでどうにもならないときは、お金の力を借りればいいのです。奨学金などで借金して大学に行ってもいいし、自分のやりたいことを説明して投資家に投資してもらうのもありです。社会のために働くということは、仲間を増やすことでもあります。お金はあくまで道具です。皆さんには、お金を道具としてしっかり使いこなしながら生きてほしいです。

(文:國貞文隆、注記のない写真:Rina / PIXTA)