長い歴史を持つ都立の名門である日比谷高校。校長の武内彰氏は私立全盛、公立凋落と言われる中、独自の改革で東大合格者をはじめ、進学実績を復活させた立役者として知られる。そんな武内氏は今回、コロナ禍でどのような手を打ったのだろうか。
東京都教育委員会は4月1日、新学期から再開予定だった都立高の休校延長を決めた。それを受けて日比谷高校では、まず9日に学校のウェブサイトに「オンライン授業実施に伴う環境整備について(お願い)」と題した文書を保護者向けに掲載。同時に全校生徒のインターネット環境、デバイス所有の有無などについて調査を行った。
15日には、プレオンライン授業として1コマ30分、1日計4コマで、Zoomを使ったライブ配信および学習支援クラウド「Classi(クラッシー)」に課題対応を掲載するなどオンライン学習支援が始まった。4月下旬には、すべての生徒の家庭でデバイスがそろったという確認も取れたという。
その後、5月末まで休校が延長されたのを受けて、5月7日からはZoomを使ったライブ配信のオンライン授業を本格スタート。オンライン学習支援のときは希望者のみの参加だったが、オンライン授業については原則として全員参加とした。本番のオンライン授業でも、1コマ30分を続けたが、1日計7コマに変更した。
どうだろうか。ここまでの流れを見れば、スムーズにオンライン授業に移行できたと思われるかもしれない。だが、武内氏も、この状況を当初から予測していたわけではなかった。
「こんなことやっていられない」という教員も出る中…
「新型コロナウイルスの感染拡大以前は、そもそもオンライン授業の準備は何もしていませんでした。当初は3月の1カ月間を休校すれば、4月から通常どおりの教育活動に戻れるだろうと甘い見通しを立てていました。しかし、4月以降も休校が続くことを知って、大きな危機感を覚えました。そのため、4月2日に副校長と進路指導主任と3人で相談して、オンライン授業をやろうと決断したのです」
4日後の4月6日、職員会議で方向性を示し、進路指導主任をリーダーとしてオンライン授業のプロジェクトチームを組成。チームを中心に具体策を検討してもらうよう指示した。翌7日には早速、全教員に対して、オンライン授業に関する研修会を実施。10日には、オンライン授業のデモンストレーションも行われた。併せてオンライン授業に向けて、東京都が配布した教員向けデバイス40台も用意された。しかし、必ずしも全教員が同意していたわけではなかったという。
「研修会では、こんなことやっていられないと途中退席する教員もいました。その前に私は、やれるところからやろう、やれる人からやってみよう、と申し上げていました。そこで安心された方もいましたが、いざ具体的な研修が始まると、オンライン授業を不安に思った先生がいたことも事実です」
こうして一部の不安要因はあったものの、4月15日からオンライン学習支援が始まり、4月22日には、5月7日から正式にオンライン授業を開始することが職員会議で示された。しかし、自宅にパソコンや通信ネットワークを持っていない教員もいたため、実際にオンライン学習支援でライブ配信できたのは当初14名しかいなかった。そのほかの教員は自宅勤務で、学習支援クラウドの点検に努めたという。
「オンライン授業を決定した22日の職員会議では、言い方に非常に気をつけました。生徒のためにやろうと言っても、納得されない先生もいます。そこで私もよく考えて、こう言いました。
“緊急事態宣言が出ているため、校長としては先生方の安全と生徒の学びの両方を保障しなければいけない。最終到達点は、すべての先生たちが自宅からオンライン授業を配信できること。そうした環境を整えることが私のミッションです。しかし、現実的にはなかなかできない。デバイスも限られている。公私混同になるかもしれないが、もし私用のパソコンで、ライブ配信してもいいと思われる方がいれば、自宅から配信してほしい。学校にも通信回線はあるので、どちらかを選んでほしい”そう伝えたのです」
結果、過半数の教員は自宅から、残りは学校からのライブ配信が行われた。こうして5月7日から時間講師7名を除いた全教員のライブ配信授業が始まったのである。
休校が明けてからも、オンライン授業を継続
6月に入って学校再開が決まると、準備期間として分散登校が要請された。しかし、1度に対面授業ができるのは1クラスの半分程度。日比谷高校では、すでにオンライン授業で通常の授業ができていたため、分散登校を実施すれば効率が悪くなることが予想された。そこで、武内氏は東京都教育委員会に申し出て、オンライン授業継続の許可を得たという。
「分散登校は対面授業ができるというメリットがあるのですが、同じ授業を2度行うなど教員の負荷も大きく、オンライン授業がフルラインでできているのであれば必要ないと判断しました。6月2日からは1コマを40分に増やして、オンライン授業を継続しました」
実際のオンライン授業では、これまで板書一辺倒だった教員も、プレゼンテーションソフトを使って画面共有で生徒に提示するなど、これまでの授業とは変化が見られた。生徒の中には、実際の対面よりもオンラインのほうが話せるという子も少なくなかったという。
「私も試行錯誤の中で、授業では数多くの失敗をしましたが、その失敗事例についてプリントを作り全教員に配布して共有化することに努めました」
一方、オンライン授業で経験したメリット、デメリットについてはどう考えているのか。
「オンライン授業は、一定の知識を効率よく伝達するのに優れていると考えます。実際、授業では生徒間の対話を積極的に実施していました。“ブレイクアウト・セッション”と称し、Zoomでクラス内を3人ずつのグループに瞬時に分け、生徒たちに対話を促すなど、話し合いができる点がよかった。
一方、本校ではセキュリティーを確保するため『ビデオを停止』して授業に参加させています。教員は、生徒の顔が見えない状態で授業しているのです。しかし、それでは生徒の様子や反応がわからない。そうしたやりづらさが教員にはあったと思います」
こうして何とか難しい局面を、見事な突破力で乗り切った日比谷高校だが、制約が多いといわれる公立校で、なぜスムーズにオンライン教育を実施できたのだろうか。武内氏が言う。
「“すべての責任は校長が取る”と言ったことは大きいと思います。オンラインで何か不具合が生じたり、セキュリティー上問題があったりした場合、職を辞するという形で責任を取るとプロジェクトリーダーに宣言しました。それが教員たちが動く決定打になりました。また、本校のミッションを理解してくれた教員たちが迅速に動いてくれたことも重要でした。どちらが欠けても駄目だったと思います」
さらに、東京都教育委員会がサポートしてくれたことも大きかったという。学校の事情を把握し、教員の勤務形態についても柔軟に対応。オンラインの運用では担当者を派遣し、そこで試験的に行われたことが、その後、ほかの都立高でも共有されたという。
日比谷高校では6月29日から対面授業に切り替わったが、これからのオンライン授業について武内氏はどのように考えているのだろうか。
「基本的に教育効果として大きいのは、やはり対面授業です。対面授業に代わるものはないと認識しています。全面的な対面授業が許される限り、そちらを最優先で実施していきたい。今後は土曜講習、冬期・春期の講習、または保護者会など一斉に集まることが困難な場合などに、オンラインを活用していきたいと考えています」
とはいえ、これから都立高校ではマイクロソフトのTeamsの導入を予定している。11月には本アカウントの配備が完了するというが、東京都主導のICT支援講習なども順次スタートする予定という。日比谷高校といえば、ほかの都立高校のみならず他県の教育委員会からも視察が相次ぐ模範校だ。今後の取り組みも目が離せない。
(撮影:尾形文繁)