日本初・公立高校のマンガ学科とは?

卒業生は7000人を超える、「南郷(南阿蘇地域)」の歴史ある高校だ

熊本県立高森高等学校は今年で創立75年目、全校生徒数は、わずか79人という小さな公立学校である。ピーク時の生徒数は600人ほどだったが、少子化が進み、公立高校の授業料無償化(現在は、高等学校就学支援金制度)によって都市部への流出も加速。ここ10年は1学年2クラス80人の募集に対し、生徒数が定員を割り込むどころか、その半分にも満たない状態が続いていた。同校の山中圭介校長が語る。

山中圭介(やまなか・けいすけ)
熊本県立高森高等学校校長
1962年生まれ。59歳。熊本県出身。大東文化大学文学部中国文学科卒。87年、熊本農業高等学校で国語科教師として教員人生をスタート。その後、阿蘇高等学校、熊本西高等学校に勤務。2007年から熊本県教育庁学校人事課で4年間、熊本県立教育センターで1年間教育行政に携わる。その後教頭及び副校長として高森高等学校、翔陽高等学校、第一高等学校で学校経営に携わり、17年からの3年間、熊本県立教育センター審議員として管理職研修中心の業務に関わる。20年より現職(高校はいずれも熊本県立)

「1学年の生徒数が40名を下回る状態が今後3年間も続けば、県からは分校化も検討すると宣告されていました。私たちも、ありとあらゆる手を尽くして必死に努力し、過去10年で1学年の生徒数が41名以上になった年が3回ありました。しかし、どうしても都市部への流出を防ぐことができず、最近は1学年が30人にも満たない状態となっていました。私たちは地域の学校として、地域の子どもたちの夢を実現させたいと努力してきたのですが、非常に厳しい状況に置かれていたのです」

そんな高森高校が2023年4月から全国の公立高等学校で初めてマンガ学科をスタートさせることになった。なぜマンガ学科を新設するに至ったのだろうか。

「歴代の校長にとって、とにかく生徒数を確保することは重大使命でした。定員の80人には満たなくても、2クラスはどうしても確保したい。そう願って必死の努力を続けてきました。しかし、どうしても1クラス分が空いてしまう。これをどうにか埋める方法はないのか。外部の有識者などの意見も聞き、検討を重ねました。例えば、全国展開できるような学科をつくって、他県から生徒を呼び込むべきだという話もありましたが、学生寮がなく、全国から生徒を受け入れることはできないという結論に至るなど、なかなか解決策は見つからなかったのです」

地元高森町からも、高齢社会に対応した福祉に関する学科をつくったらどうか、あるいは、16年の熊本地震を受け、防災に関する学科をつくるのはどうかといった意見が出た。こちらも検討されたものの、最終的には高森高校だけではどうすることもできない日々が続いた。

しかし、そこに一大転機が訪れる。山中校長が言う。

「地元高森町の草村大成(くさむら・だいせい)町長から『南阿蘇にある唯一の県立高校がなくなったら絶対に困る。町が精いっぱいバックアップするから』と言われました。数年前から支援金として入学金や教科書代を負担してくれていたのですが、さらに町が応援体制を敷いてくれ、生徒数の確保に向けて新たに動き出すことになったのです」

シリコンバレーのような、漫画家が集う町に

高森町は熊本県の最東端部に位置し、人口は約6000人。南阿蘇の豊かな山野に囲まれ、農業と観光が盛んで、ペンションやキャンプ場が点在する。いくつかの工場もあるが、近年はほかの地域と同様、人口減少に直面していた。

そこで町長は、選挙マニフェストにマンガを基軸にした町の活性化を掲げ、熊本県出身で幼少期を高森町で過ごしたことのある元『週刊少年ジャンプ』編集長の堀江信彦氏が率いる出版社コアミックスに協力を打診。町有の遊休施設をコアミックスが購入し、第二本社を20年に設立、アーティスト育成施設「アーティストビレッジ阿蘇096区」を開設した。

(右上)コアミックス代表取締役社長・堀江信彦氏(右下)(左)コアミックスの第二本社「アーティストビレッジ阿蘇096区」

それに伴い、コアミックスと高森町が協力して、国際的な漫画キャンプを開催し、海外から漫画の愛好家たちを集め、日本の漫画文化を伝えると同時に、本格的な漫画家志望者にはコアミックス第二本社で編集者が指導するという取り組みも行われた。高森町とコアミックスが共同で、高森町を米シリコンバレーを手本とした、漫画を中心としたエンターテインメントの一大産業地域、「マンガシリコンバレー」にしたいという構想を推し進めていたのだ。

2018年より、日本国外での漫画の発展を目的に行われている「くまもと国際マンガCAMP」

そうした中、プロの漫画家や編集者らが高森町に来て、海外の人たちに漫画を教えているのだから、高森高校でも漫画家志望の生徒に何か教えられるのではないか、そんな意見が出てきた。ならば、いっそ町と高校が一体となり、「マンガ学科」をつくってみてはどうだろうーー。それが、町長から高森高校へのオファーにつながったのだ。

「実際にオファーを受けたのは、前任の校長が退職する直前の20年3月ごろでした。私は前任の校長から話を引き継ぐ形となり、アイデアとしてはすばらしいものの、実現するには何から手をつけていいかわからない、大きな課題を抱えることになったのです。ただ、その時点で全国から生徒を呼び込むにはマンガ学科をつくったほうがいいという考えはありました」

そう語る山中校長は今年で校長就任3年目。熊本県内の複数の高校や教育委員会事務局などの要職を務めたベテランで、20年4月に高森高校に校長として赴任した。

実はちょうどその頃、県教育委員会では組織改革が行われている。そこでは高校魅力化プロジェクトを本格化するため、その政策を強化する布陣が敷かれ、全県立高校の魅力化を図る取り組みが加速されようとしていた。山中校長は教頭と共に、県教育委員会の高校魅力化推進室に足しげく通い、マンガ学科新設への思いや支援を呼びかけ続けた。しかし、結果として、思うような成果は得られなかった。山中校長らは諦めることなく、水面下で県外のユニークな学科を持つ学校のカリキュラムなどさまざまな情報収集に1年近くを費やすことになった。

「教育委員会から正式なゴーサインが出ていないため、私と教頭の2人だけで水面下で動いていたのですが、町のオファーに対して返事もできず、つらい日々を過ごしました。しかし、これではらちが明かない。そこで決断したのです。ほかの先生方に学科改編の必要性を説明し、共通理解を図って、協力を仰ぐことで、教員一体となってマンガ学科をつくろうと。プロジェクトとして動き出すことを決めました」

官民連携による、強力なバックアップ体制

早速、山中校長らは、マンガ学科を新設することを草村町長に伝えた。そこからの町長の行動力はすごかったという。

「町長も熊本県教育委員会に、マンガ学科設置を継続して働きかけていました。その熱意が実り、コアミックス、高森町、県教育委員会、高森高校の4者協定を結ぶことになりました。それが2021年9月のことでした」

4者協定の様子。写真左から、熊本県教育委員会教育長・古閑陽一氏、高森町町長・草村大成氏、熊本コアミックス代表取締役社長・持田修一氏、高森高校校長・山中圭介氏

この4者協定を結んだことが後に幸いする。県教育委員会をはじめ、各方面を説得する際、この4者協定が根拠となって折衝がスムーズに進むことになったのだ。その結果、22年3月、ついにゴーサインが出ることになった。そして同時に普通科を地域の探究学習に重点を置いた「普通科グローカル探究コース」(定員40人)に改編することも決まった。

こうして23年4月からスタートすることになったマンガ学科の定員は40人。プロの漫画家を目指す子どもたちをはじめ、将来漫画関連産業で働きたい子どもたちに対し、コアミックスの協力の下、実際にプロの漫画家や編集者らが指導する形を取る。漫画制作の機材や通信インフラも用意する。生徒は全国から募集する方針だ。そのため現在、町役場のプロジェクトチームが中心となって、学生寮など住環境の整備が進められている。

今年7月にはオープンスクールが開かれた。漫画家を目指す中学生たちが全国から集まり、漫画編集者らの授業を受けた。山中校長がそのときの印象をこう語る。

オープンスクール参加者130名のうち、およそ8割が「マンガ学科」志望だったという

「参加した子どもたちは自分がやりたいことができると目をキラキラとさせていました。マンガ学科に絶対に入学してみたいという熱意を抱いた子どもたちがほとんどだったのではないでしょうか。保護者も地元や出版社のバックアップがすごいと学校の印象を変えられた方が多かったと感じています」

来年、マンガ学科の新設で新たなスタートを切る高森高校。山中校長は熱意ある言葉で次のように今後の抱負を語ってくれた。

「高森高校に入って、新たな道を切り開いてほしいですね。マンガ学科では漫画家や編集者など漫画の夢を実現させた先生たちが教壇に立ちます。そんな成功した人たちが近くにいるからこそ、学べるものがあるはずです。プロの漫画家になりたい、漫画関連の仕事をしたいという子どもたちはぜひ高森高校を目指してほしい。そして、将来漫画を通じて世の中に貢献できる力を、マンガ学科で身に付けてほしいと思っています」

(文:國貞文隆、注記のない写真:すべて高森高校提供)