1959年3月。日本銀行総裁の山際正道が「デノミネーション(通貨呼称単位の変更)は機会を見てやりたい」と発言した。これを受けて、朝日新聞は全面的に支持する社説を掲げ、デノミ論議に火がついた。
〈月給が万円単位であったり、国の予算が兆円単位であったりしては、記帳上にもいろいろ不便があり、手間がかかるばかりか、カネの値打ちも軽視される〉
〈好機をとらえてデノミネーションを実施することは、ためらうべきではあるまい。(中略)この辺で戦後インフレの建設的な後始末を講ずることが必要である。政府の本格的な検討を望むものである〉(59年4月20日付朝刊)
すると6月、今度は首相の岸信介が遊説先の記者との懇談でこんなことを言った。
「経済情勢の安定している今がデノミを実施するのによい時期と思う。大した問題ではなさそうだからやれればやったほうがいい」
デノミ論はますます過熱し、印刷など関連企業の株価が急騰。その一方で、終戦直後の預金封鎖と新円切り替えの体験から、現金や預金を持ったままではまた損をすると思い込み、株や宝石を買う「換物運動」に走る人たちもいた。
慌てた蔵相の佐藤栄作は火消しに走り、6月5日の閣議で「論争が経済界や一般の不安を起こしている。政府としてはデノミネーションは行わないことにしたい」と報告。異例の閣議了解により、戦後初のデノミ論争は封じられた。
次に盛り上がったのは4年後の63年2月。山際が再びデノミに言及したのがきっかけだった。
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