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キャリア・教育 #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

「大河ではあんなにお調子者なのに…」ドラマではまだ描かれていない《豊臣秀吉》の"あまりに残虐すぎる"一面

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秀吉が鳥取城の兵糧攻めをした時に陣を敷いた丸山城(現在は河原城に)(写真:nisikawa / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

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連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第29回は「鳥取の渇(かつ)え殺し」と後世で語られた秀吉の兵糧攻めについて『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。

後世にも語られる「秀次事件」

「今回の大河では、秀吉のことを“気が優しいお調子者”として描いているけど、ここから残虐なところをどう描くんだろうね?」

先日、物書き仲間の岡部敬史さんと都内の偉人スポットを巡りながら、自然と大河ドラマ『豊臣兄弟!』の話になった。互いに毎週楽しみに観ながらも、同じことが気になったようだ。

主人公の秀長はともかく、秀吉まであそこまで“いい人”で描いてしまってこの先、大丈夫なのか、と。秀吉の暴虐さは、豊臣政権最大の汚点とも言える「秀次事件」からも明らかだからだ。

秀吉が57歳にして待望の実子・秀頼をもうけると、わが子に政権を継承させるため、甥の秀次の存在が邪魔になったらしい。秀吉から謀反の疑いをかけられた秀次は、切腹を命じられたばかりか、さらにその妻子など一族まで含めて39名も処刑されるという惨劇が起きた。

この事件によって、豊臣政権は秀次という重臣を失ったばかりか、豊臣一族の結束をも破綻させた。さらに、最上義光や京極高次といった秀次と関係の深い大名たちの離反を招き、政権基盤の動揺につながった。何よりも、妻子までをも処刑するという行為は、豊臣政権の残虐性を天下に知らしめる結果となった。

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