INDEX
「渋谷はつまらない町になった」—— その声の正体を探るべく、前編では町の成り立ちを見てきた。「大学」を足がかりに渋谷への送客に成功した東急だったが、その先は開発が難しい谷底の都市だった。
対して渋谷の「空気」を支配したのが文化の魔術師・西武だった。その証跡は、間もなく幕を下ろす西武百貨店A館・B館を結ぶ空中の橋や、宇田川の暗渠(あんきょ)を跨ぐ隠された地下通路に息づいていた。
後半ではさらにいくつかの場所を歩く。話題の細木数子を生み、あのマドンナも立ち寄った渋谷百軒店にも訪ねてみたい。
「無印良品」に象徴される渋谷の多様性
渋谷一の美観とも言える「公園通り」の中腹—— 。今や全国区となった無印良品だが、破格の安さという訳でもなく果たしてどこに魅力があるのかと話題に上ることがある。
無印は実はアメリカの“シンプルなカメラ”に原点を持つことをご存じだろうか?
西武創業者の子の1人であり、堤義明の異母兄にあたるのが堤清二氏(1927~2013年)だ。氏は意外にも彼は「作家」という肩書を持つ。谷崎潤一郎賞など数々の賞を受賞し、経営者の道楽とは言えない水準だ。
その独自の感性に引っかかってきたのが、1963年に視察に訪れたアメリカ郊外にデパートを展開するシアーズ・ローバック社のカメララボ(商品研究所)だ。そこではヤシカ、ミノルタ、ニコンなど当時メジャーだったカメラを取り寄せ、批判的な視点も加味して研究していた。例えば子どもの運動会なら1/500の高速シャッターは重装備に過ぎる。ボディーの素材も豪華すぎないか?
こうして完成した、反消費主義とも言えるシンプルなカメラが無印良品のヒントとなった。
写真は筆者愛用のモバイルバッテリーケースだ。色合いがちょっと変わっており、決して洗練されたデザインではない。流通・陳列・撮影の文脈では不利な色であろう。しかし徐々に旅のカバンと馴染み、自分との波長も合って来るから不思議だ。

