一方のタワレコ。洋楽のレコード盤のフロアではJBLの最高級スピーカーからまるでジャズ喫茶のような素晴らしい音質で音楽が流れていた。自由で年代を選ばない渋谷らしい光景である。
「宮下公園」に見る重層的な町の時層
「渋谷がつまらなくなった」という意見のなかで、宮下公園がやり玉に上がることがある。区立宮下公園の一部が屋上にシフトし、下が施設になったのがミヤシタパークだ。
確かに1階の屋外部分には現代的な“横丁風横丁”(横丁を模した現代的な店舗群)が並ぶ。建物内は流行りの店が揃う。辛口になるのは理解できる。
ただ評価したいのは中央の階段だ。店内を通ることなく公園に行けるのは良心的な設計である。施工は三井不動産だが区のにらみが効いているのかもしれない。
ところでこの宮下公園は、ミヤシタパークからさらに北へと延びている。この独特な細長い形状はなぜ生まれたのだろうか——?
実は終戦直後、山手線などには線路の両側をまるごと緑地帯とする「戦災復興計画」が存在した(越澤 明 『東京都市計画の遺産』)。
実現していれば山手線の車窓は“右も左もずっと緑”が実現されていたのだ。その後計画は縮小されたが、宮下公園はこの計画の一部にあたる。
経緯を聞きに渋谷区役所の都市計画課を訪ねた。東京都の都市整備局(換地担当)を紹介されたが、戦後すぐのことで詳細な記録は手元にはないとのことであった。
そもそも江戸・東京の町は、明暦の大火、関東大震災、第2次大戦の3つを契機に大きく生まれ変わった。第1回東京オリンピックと小泉政権期の規制緩和も、都市の変化を後押しした要素である 。明治の鉄道開通で町が急速に発展した渋谷に影響が大きかったのは、大戦と2000年代の東急東横線地下化に伴う再開発だ。しかし「戦災復興計画」は緊縮財政などで一部でしか実現しておらず、再開発も駅一帯に限られている。
町歩きが楽しい「レトロの魔法」がかかった渋谷の町はこうして我々の手にある。
その魔法がかかった場所が、宮下公園至近にあるのんべい横丁だ。
外国人観光客は、宮下公園下の現代的な“横丁風横丁”にも多いが、何割かはこちらの本物に吸い込まれてゆく。
公園の敷地ではないが、その価値を決定づけた場所だと筆者は感じる。映え重視の人工的なスポットだけでは、インバウンドや若い世代の関心の中長期的な維持は難しいと筆者は思うからだ。

