「そなたの容貌、美しく…」 大河「豊臣兄弟!」 信長がべた褒めした正妻"ねね"、浮気ばかりの秀吉との関係

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戦国時代の女性
(写真:しまじろう / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第8回では、豊臣秀吉の妻「ねね」について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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宣教師も呆れさせた秀吉の女遊び

豊臣秀長が兄の秀吉にいざなわれて、織田信長に仕えたのは、いつの頃だったのか。定かではないが「桶狭間の戦い」の後、永禄5(1562)年頃ではないか、と考えられている。

その年に秀吉が足軽組頭にまで昇進しているからだ。家臣を率いる立場となり、信頼できる身内の秀長に声をかけたというのは、ありうることだ。

秀吉にとって、この出世は「自分の歩んできた道は間違いではなかった」と、確信させるものだったらしい。ちょうどこの頃に妻を迎えて心機一転、新たな人生をスタートさせている。

相手は、秀吉と同じ足軽組頭をしていた杉原定利の娘「ねね」である。出家してからは「高台院」と号することになるが、実際の名は判然としない。

「ねね」は『太閤素生記』などに出てくる名だが、自筆の書状には「ね」とだけある。これに敬称をつけた「おね」という呼び名も広まっているが、秀吉が愛称として「ねね」としている書状もある。そのほかの書状では、禰、禰々、寧、寧々などの表記があり、実にややこしい。

本稿では、今回の大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、おなじみの「寧々」で統一することにしよう。

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