「生まれつき指が6本&猿顔&低身長」"醜悪"と評された豊臣秀吉が天下人になれたのはコンプレックスのお陰
あまたの資料で語られる「猿顔」
豊臣秀吉と言えば「猿顔」で知られています。江戸時代初期の旗本・土屋知貞が記した秀吉の伝記『太閤素生記』には秀吉のことを「猿」と記した箇所が散見されます。
また、秀吉と接した人も、彼のことを「猿かと思えば人、人かと思えば猿」(頭陀寺城の城主・松下加兵衛)と言ったと書かれているのです。江戸時代初期の儒学者・小瀬甫庵の著作『太閤記』のなかにも、秀吉と初めて会った織田信長が、秀吉の顔つきを「猿にも似たり」と評する記載があります。
16世紀の絵師・狩野光信が描いた「豊臣秀吉像」(京都・高台寺所蔵)の秀吉も(あくまで筆者の主観ですが)どことなく、猿に似ているように思います。
毛利氏の家臣・玉木吉保は秀吉を実際に見たようですが「赤ひげに猿眼」(玉木の著書『身自鏡』)と書いています。この場合は、秀吉の容貌が猿に似ているというよりは、猿のような眼つきをしているとの意味ですが。そうしたこともあって、日本人は秀吉の顔つきを「猿」に似ているとみなしてきました。





















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