「米不足」ゆえに至った太平洋戦争への回帰不能点
日本の「株式投資忌避」を生んだ戦時介入の顛末
日本型雇用システムを生んだ戦時戦後の平等革命
意外な石橋湛山、軍部協力し外地で『東洋経済』
「ぜいたくは敵だ」が戦意高揚ではなかった切実
国債を発行し続けたら何が起きたか?日本の経験
中国大陸で軍資金を生んだ「預け合い」のカラクリ
ある経済学者が戦力分析で思い知った日本の弱点
軍人60兆円、民間人「未補償」、80年後も戦争は未完
「巨額の賠償」を免れて日本が戦後復興できた理由
日本は80年前の1945年8月10日、ポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏することを決めた。一般にそれは1941年12月の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争の終わりだと見なされる。
しかし、同時に始まったのが8年にわたる戦争経済の清算だった。1937年の盧溝橋事件をきっかけに勃発した日中戦争から続く戦争経済は、大きな負債を基に成り立っていた。
清算を迫られた負債とは、内地で発行した国債にとどまらない。
戦闘終結の前から動き出した「戦争経済の清算」
1945年8月10日、大蔵省外資局長の久保文蔵は終戦決定の報を受けると、横浜正金銀行の東京支店に向かった。日本銀行本店と通りを隔て、現在は三菱UFJ銀行日本橋支店がある所だ。久保が横浜正金銀行の電話を使って密命を伝えた先は上海大使館。金塊を処分し債務を返済すべし──。
