名大医学部、慶応医学部、東大理3に"すべて合格"も、「理3を退学」彼が選んだ《その後の道》

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大竹さんは1970年3月、愛知県の蒲郡市に、公務員の父親と主婦の母親のもとに生まれました。

小さいころの大竹さんは、本を読んだり、山の中に入って遊ぶのが好きな子どもだったそうです。

「父方は農業の家系で、母の血筋はみな教育者の家系でした。私はそれをどちらも受け継いでいて、本を読むのが好きでしたし、山や田んぼでメダカやトンボ、クワガタを捕まえるのも好きでした。友達はそんなにいなかったのですが、自然と本が友達という感じでした」

読みきれないまでも、小学生のときには西洋の文学作品や、『古事記』なども読んでいたと語る大竹さんは、小学校のときのテストは満点以外を取ったことがありませんでした。

中学校に入ってからも優等生ぶりは変わらず、テストはほぼ満点で成績もずっと1位。成績をキープしたまま高校受験に臨んだ大竹さんは、県有数の進学校、愛知県立旭丘高等学校の普通科に無事進学しました。

叔父の死をきっかけに医学部目指す

「高校に入っても1番を取れるだろう」と思っていた大竹さん。

しかし、ここで初めて1番以外の点数を取るようになり、「350〜400人ほどの同級生の中で3年間、ずっと10位前後だった」と語ります。

「高校に入ってからは満点が取れなくなってきました。中学時代は90点が自分にとっての失敗だという気持ちだったのですが、高校に入ってからは60〜70点も取るようになったのはショックでしたね。もともと、私の勉強法は授業で言われたことを後回しにせず、その場で全部吸収して次に進むスタイルだったのですが、高校で出される課題が多すぎて手に負えず、だんだんできなくなりました」

最初から理系に進もうと決めていたため、必修の文系科目に力を入れず、0点を意図的に取ったこともある大竹さん。そんな当時の彼の夢は、医者になること。そのきっかけは、叔父が癌で早逝したことが大きかったようです。

「それまでは虫をはじめとする動物の研究職に就こうと思っていましたが、叔父が亡くなってからは、癌を世の中からなくすようなことができればいいと考え、研究医になろうと思いました。そこで東京に行きたかったこともあって、東京大学の理科3類を志望するようになりました」

現役のときは模試で理科3類のE判定しか取ったことがなかった大竹さん。共通一次試験(現:共通テスト)で800点中720点という結果を見て、この年は理3の受験を断念します。さらには志望学部を変えて受験した東大の理科2類も落ちて、浪人が決定しました。

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