1286校が利用している「いじめ対策アプリ」のルーツとは?
いじめの認知件数や重大事態件数が過去最多となる中、児童生徒の声なき声を拾い上げるツールとして教育現場で活用が広がりつつあるアプリがある。匿名かつチャットでいじめの報告や相談ができる「STANDBY」だ。現在、33の自治体が導入しており、私立校を含め1286校が利用している。自治体は教育委員会が主体となって導入するケースがほとんどだが、2023年度は、北海道旭川市、大阪府八尾市、三重県伊勢市の市長部局が、こども家庭庁の実証事業の枠組みで導入した。
そんないじめ対策アプリはどのようにして生まれたのだろうか。
スタンドバイの創業者である谷山大三郎氏は大学時代、教員を目指していたものの教員採用試験に不合格となり、卒業後はリクルートに入社。しかし、子どもと関わる仕事がしたいという思いを捨てきれず、学生時代に働いていたNPO法人企業教育研究会に転職して教育現場に携わるほか、母校の千葉大学で非常勤講師を務めるようになった。
その仕事の中で海外の教育サービスを調べているうち、雑誌でいじめ対策アプリの「STOPit(ストップイット)」がアメリカで広まっていることを知る。「これで日本のいじめ問題も解決するのでは」と思った谷山氏はいてもたってもいられなくなり、先方にコンタクトを取って単身渡米。直談判の末、2015年にSTOPitの日本代理店となり、2016年にサービスの提供をスタートした。
担任の先生がいじめを止めてくれた「原体験」
背景には、自身がいじめられていた頃の原体験があった。「口下手で猫背だった」と、振り返る谷山氏。小学校5年生くらいからいじめられるようになってだんだんエスカレートし、ひどいときは背中をいきなり蹴られることもあったという。
「そんないじめを止めてくれたのが、担任の先生でした。ずっと両親にも言わず我慢していたのですが、あるとき先生がクラス会を開いて、『人を傷つけるいじめは絶対に許さない』と皆の前で言ってくれたのです。子どもは苦しいときほどSOSを出しませんが、誰か1人でも味方がいたら生きていける。そんなことを実感した体験でした。私も先生のように、苦しんでいる子どもを助けたいと思い、行動を起こしたのです」
ただその頃、学校がテクノロジーを取り入れることはまだ珍しく、立ち上げ当初は苦戦した。教育学部出身だったこともあって知り合いの教員などに話をして回ったが、見向きもされなかったという。誰かを助けたいときや自分を助けてほしいとき、いつでもどこでも相談・報告できる環境を「学校外」につくれるのがこのアプリのポイントだと谷山氏は考えているが、その仕組みに抵抗感を示す教員もいた。
「学校の問題は学校で解決すべきだと考える文化が根強い学校が少なくありません。『子どもが何を書くかわからない』『命に関わる深刻な相談があったらどうするのか』など、チャットでの相談は危険すぎると言う人や、『そもそもアプリで相談など無理だ』と言う人もいました」
そうした中、大阪府の羽衣学園中学校・高等学校での導入が決定。その後、2017年に千葉県柏市が採用したことを機に、自治体単位での導入も増えていった。また同年から、アプリの導入校にはいじめ予防を目的とした出前授業もセットで実施している。有効ないじめ予防策としてエビデンスがあることで知られる「傍観者教育」を軸にした授業だ。
「これは恩師である千葉大学教育学部の藤川大祐教授の研究に基づいた傍観者教育で、千葉大学、敬愛大学、柏市教育委員会と開発した独自の教材を使っています。私や学生、NPO関係者が講師となって訪問あるいはオンラインで行っています」
アプリ導入後、相談件数が9倍に増えた自治体も
こうした同社のサービスが広がったのは、「結果が出たことが大きかった」と、谷山氏は話す。例えば柏市では、電話やメールの相談窓口を設けていた頃は、1カ月で1件相談があるかないかだったが、同社のアプリを導入したら1年間で相談件数が約9倍に増えたそうだ。
チャットで相談できるので、SNSに慣れた子どもたちはきっと使いやすいのだ。学校名や学年といった属性は相談者に伝わるが、本人が開示しない限り匿名で相談を続けられる点も安心なのだろう。
相談員は公立校であれば自治体の教育委員会が担うパターンと、自治体が設けた外部機関のカウンセラーなどが担うパターンがあるが、いずれの場合も児童生徒とチャットでやり取りをして主訴を受け止める。そして、状況に応じて先生に相談するよう助言したり、解決の選択肢をいくつか提示したりして、本人がどうしたいかを尊重しながら対応していく。ただし、「死にたい」と言うケースや金品が奪われているなど、事態の重さによっては至急介入する場合もあるという。
具体的ないじめの相談や「友人がいじめられている」という通報は、加害者の名前や状況が明らかになることも多く、学校と連携して解決を図っていく。
「相談者は画像も添付できるので、現場からは対応しやすいという声をいただいています。例えば、『4人グループの中でいじめられている子がいる』と、悪口が書かれたLINE画面のスクリーンショット画像を添えて通報してくれた子がいました。証拠を確認できるため相談員や学校も動きやすいようで、この件も解決に至りました」
「子どもが悩んでいる状態」をいち早く見つけることが重要
同社はよりスピーディーな対応を実現するため、2022年4月より自社開発のシステムに移行するとともに、社名をスタンドバイ、アプリ名もSTANDBYに変更した。現在、同アプリは中学校、小学校(4年生以上)、高等学校の順で導入が多く、スマホや1人1台端末にインストールしている児童生徒は約36万人に上る。最近はとくに1人1台端末を通じた利用が多い。料金は契約内容によって異なるが、児童生徒1人当たり年間数百円で、これまで途中でサービスを離脱した自治体はないという。
いじめの相談は全体の3割。そのほかは、友人関係や家庭の事情、先生や部活動に関する相談が多い。不登校と見られる児童生徒からも相談が寄せられるなど、子どもたちの悩みを幅広く受け止める窓口になっているようだ。
「コロナ禍以降、自宅で過ごす時間が増えたからか、家にいづらい、両親が家にいてつらいといった家庭に関する相談が増えました。また、小学生の相談も増え、中学生の2~3倍はあります。以前よりもちょっとしたトラブルが小学校高学年で起こりやすくなっているかもしれず、ネットいじめも低年齢化してきています。先輩や部活動顧問の暴言、性に関する相談なども増加していますね」
こうしたさまざまな悩みの相談が、深く掘っていくと実はいじめだったということが多くあり、日頃は優等生と見られる子がいじめの主犯格だったり、皆にわからないよう巧妙にいじめたりしているケースが発覚することも少なくないという。
「明らかないじめの相談の割合が意外に少ないのは、被害者はいじめられていることを隠したいですし、最初から正直に話してくれることが少ないから。また、いじめと認識していないこともあります。いじめを早期発見するには、子どもがいじめを受けている事案ではなく、子どもが悩んでいる状態をいち早く見つけて寄り添うことが何よりも大事なことだと思います」
「学校全体で取り組まなければいじめの解消は難しい」
同社は、2021年から健康観察アプリ「シャボテンログ」も展開している。児童生徒が心身の調子を毎日記録することで、自身の状態を“見える化”するアプリだ。児童生徒は自身の過去1カ月のデータを確認することができるほか、画面上から養護教諭への相談をリクエストしたり、STANDBYアプリにつながったりすることもできる。
学校は、教員用管理画面で1人ひとりの状態の変化を見取ることができる。静岡県浜松市、兵庫県三木市、三重県四日市市、埼玉県戸田市が導入しているが、大人たちがこれまで気づけなかった事態を把握できるようになり、子どもたちのケアがしやすくなったとの声が挙がっているという。
「匿名で相談できる場があっても相談できない子は一定数います。そこを何とかしたいと思っていて、子どものSOSを学校全体で共有できるようにもしたかったので開発しました。子どもたちにいじめのアンケートを行う機能もあり、その結果をリスク分析するサービスも行っているのですが、これによりいじめの認知件数が増えたという学校が多いです。実名回答だけれど、意外にも傍観者だった子どもたちはいじめの目撃情報を書いてくれます。紙よりもウェブのほうが報告しやすいのかもしれません」
谷山氏は、「いじめの被害者が、これ以上頑張らないですむ状態をつくりたい」と語る。今後は自社で相談員を抱え、責任を持って相談を受け止められる体制を整えるほか、いじめ防止教育もさらに広げていきたいという。
ただ、STANDBYアプリのように子どもが声を上げられる仕組みは昨今増えてきたが、学校全体としてチームで取り組まなければいじめの解消は難しいと谷山氏は指摘する。
「重大事態になるのは、1人の先生が抱え込んでしまうケースがほとんど。先生たちはさまざまな経験や知恵をお持ちなので、学校全体で対応すれば解決策も見いだせるはず。先生方がお忙しいことは承知していますが、いじめの対応を最優先として取り組む姿勢も必要です。実際、教員同士が毎週情報共有して専門家の意見をもらうなど、全体で取り組む体制ができている学校はいじめを解決できています。子どもの安心・安全が最重要であることを、学校全体、社会全体でマインドセットしていかなければいけないと思います」
(文:國貞文隆、写真:スタンドバイ提供)