アナログにはない、ICTの学習における強みは「音」
――学習支援にICTを活用しようと思ったきっかけを教えてください。
学びにくさのある子どもたちのために、以前からいろいろな方法を試して教材開発をしており、その一環でパソコンや学習ソフトも使い始めました。パソコンをはじめICTツールの強みは音が出ることと、反応が返ってくること、そして反復が苦手な子も楽しく繰り返せること。しかし、昔のパソコンはノート型のものでも大きく、パソコンがある場所に子どもが移動する必要があり、学習の中に滑らかに反映される状態ではありませんでした。
そこで使い始めたのが、持ち運びがしやすく学習系のソフトも充実していた任天堂DS です。DSはタッチパネルで書き込めるし、音によるフォローが可能。文字のお手本を見てもどう書けばいいかわからない子でも、動画で書き順や書き方を把握しやすいのです。ただ、パソコンソフトと同じくDSソフトも高価なので、東京に用事があるたびに中古ソフトのお店で使えそうなソフトを何時間もかけて探し、自腹で購入していましたね。
──学習における困り事をICTで支援する「魔法のプロジェクト」に、2011年度から参加されています。
日本でiPadの発売が始まった当時、私の周りにはiPadを売っているお店はありませんでした。しかし、DSを活用していたので、タッチパネルかつたくさんのアプリを安価で入れられるiPadは絶対に学習に使えると確信しました。その頃の「魔法のプロジェクト」は特別支援学校が対象でしたが、iPadを活用するというので、「特別支援学級の教員が応募してもいいですか」とお願いし、ラッキーなことに選んでいただいたのです。
──先ほど、ICTツールの強みは「音が出ること」とおっしゃっていましたが、具体的にはどういうことなのでしょうか。
例えば文字の学習では、音と文字の形がつながることが重要です。読みに困難がある子の中には、繰り返し書いて漢字を練習しても、音を紐づけて覚えられない子がいます。そういった子は、作業記憶によって形は記憶できても、思い出して読んだり書いたりすることが難しくなります。ですから、音と形をつなげ、両者をセットで覚えられるようにする必要があります。
以前は、自作のアナログ教材では音をつけるのが難しく、誰かがそばにいて音を教えてあげなければいけませんでした。その点、パソコンやDS、iPadなどは音の出る教材を使うことができ、誰かがいなくても自分一人で学習できるのです。
──そうしたICTの強みが生かされた事例があれば教えてください。
以前、なかなか漢字が読めるようにならない子がいて、「よく使う漢字リスト」を作ってあげても効果が見えませんでした。漢字辞典で読み方を調べることも、小さな文字がびっしり並ぶ中から必要な情報を探さなくてはいけなくて、その子にとっては負荷が大きかったのです。
そこで取り入れたのがiPad。辞書アプリは手書き入力で形から調べることも、知りたい文字の音から調べることもできます。そういった調べ方を教えただけで、その子はものすごい勢いで漢字を読めるようになっていきました。
あまりに意欲が向上したので、「先生が教えるのとiPadで調べるのでは何がそんなに違うの?」と聞いてみると、「先生が教えてくれるってことは先生が賢いってことでしょ。でも、iPadを使っているのは僕なんだ」という答えが返ってきました。端末を使えば誰かがいなくても自分で解決できることが、その子の大きな自信になっていたのです。学びにくさや苦手なことがたくさんあっても、方法があれば学習の主体になれる。その繰り返しが学習の定着につながるし、自信も生むのだなあと実感しましたね。
特別支援教育は「試して比べて調整」の繰り返し
──学習に困難のある子に対して、どのように支援策を考えていくのでしょうか。
よく「この子は読めない(書けない)のですが、どうすればいいですか」と聞かれますが、その背景は一人ひとり異なるので、「誰でもこれをやれば大丈夫」という解決策はありません。
読んだり書いたりして内容を理解するという過程は、ものすごくたくさんの力を使うんです。例えば漢字を書く際には、「記憶する・音と形をつなげて覚える・意味とつなげる・文字を線に分解できる・バランスよく配置する」など、さまざまな要素が求められます。私はそうした要素のすべてに課題のあるお子さんにお会いしたことはありませんが、その中の1つでも課題があると、周囲からは「全然書けない」「書こうとしない」という姿に映ってしまうことは起こりえます。
子どもを見ていれば、困っているという「現象」は絶対にわかります。そこで「この困難はどこからきているのか」と背景を予想し、その子にどんな支援が必要か、手立てを探っていく。使えそうな市販品があれば使い、なければ作って試し、調整してその子に合った学びを作っていきます。
特別支援教育はそもそもオーダーメイド。メガネを選ぶとき、裸眼で見えにくいという現象は同じでも、近視や遠視、乱視など見えにくくなっているという背景に合わせてレンズを選んで試し、調整しますよね。特別支援教育もそれとまったく同じで、試して比べて調整して、の繰り返しなんです。
──同じ困り事に見えても、その背景や課題は異なるということですね。
はい。ICTを使うにしても、読めないなら読み上げ機能を使えばいいというような簡単な話ではないんです。
例えば「書くこと」が困難である状況が共通する子どもたちがキーボードを使おうとするときも、A君はローマ字打ちがいいけど、Bさんはひらがな打ちを好み、Cさんはフリック入力だと負荷が少なく、D君は手書き入力が楽そうだということがあり、その子にとって何が適切かは異なります。キーボードは「得た情報を記録する」「気持ちを伝える」といった目的を達成する手段でしかありません。どんな手段なら目的を達成できるのか、そこを考えることが大切だと思います。
子どもに何らかの方法を提案しても、「使いにくい」と言われることはあります。また、勉強に抵抗感がある子は何を提案しても「嫌」となることも。そんなときは、複数提案します。それでも「どれもダメ」と言われたら、「どっちかといえば?」と聞くと、子どもは案外、「どっちかといえばこっちかな」と答えてくれるんですよね。そこにたくさんのヒントがあり、なぜこの方法を選んだのか、どう工夫すれば使えるのかを考えていくと見えてくるものがあります。「方法はきっとある」と信じていて、今日も明日もそれを探す旅の途中です。
──学習に困難のある子の支援にICTを取り入れる意義をどう捉えていますか。
ICTはすごく有能で、使いやすい選択肢。ただ、アナログの教材やICTツールの中からそれぞれの学びに合わせて選び、場合によっては組み合わせて使うことが大事だと思っています。
以前は、支援に使う機械は高価で大きくて重いうえ、卒業したら使うことはできないものもありました。しかし、タブレット端末やスマートフォンは、今や誰もが日常的に使う身近なツールで、スクショやクラウド共有など学校で覚えたスキルを卒業後も使うことができる。今の学びが、人生の手立てになる点も魅力的です。
方法を補って「今」の学習に参加できることが大切
──学習に困難のある子を支援するうえで、どんな視点を持っておくべきでしょうか。
困っている人がいたら助けたいと思いませんか。手を貸すのは自然なことですよね。その際、意識したいのは、「学びは豊かに生きていくための手立て」だということ。そうした視点が大事ではないかと思います。
以前、あるセミナーで「漢字が書けなかった子が書けるようになった」事例を紹介したとき、その場にいらした東大先端研の中邑賢龍先生に「漢字って覚えなきゃいけないの?」と聞かれたことがあります。「漢字を覚えるのはいいこと」という思い込みがあった私は、その場で固まってしまいました。
「何のために文字を学ぶのか」を置いてきぼりにして、「読めなければ、書けなければ」と追い詰めるから苦しく感じる子が出てくる。みんなと同じ方法で学びにくいなら、もっと豊かな選択肢があっていいはず――中邑先生の問いかけにより、そのことに気付くことができました。
教員は「Aができなければ、Bに進んではいけない」と積み上げ思考で考えがちで、努力すれば何とかなるという価値観もまだ強いですが、それでは学びにくさのある子を追い詰めてしまうことがあります。長い訓練や積み重ねではなく、方法を補って「今」の学習に参加できることが大切だと感じています。実は、「Aを補いながらB に進むことで、Aができるようになる」のはよくあることなんです。
例えば、あるお子さんは注意を継続することが苦手で、みんなが足し算・引き算を学んでいたときに教室にいられませんでした。3年生から教室で過ごせるようになりましたが、立式はできるものの足し算・引き算はできないままなので間違えてしまい、意欲を失っていました。かといって、自分一人だけ低学年の計算練習をやりたいわけではありません。
そこで、オリジナルの計算尺を提案しました。これは、計算が苦手でも「正解」が導けるツールなのですが、自分で確認できる方法を持てたことで本人の意欲が高まっていき、3年生の算数の学習に取り組む中で足し算や引き算に触れる機会が増え、やがて計算尺がなくても解決できるようになっていきました。
苦手なことを苦手な方法でやり続ければ子どもの意欲を削り、学校や教室が「できないことを感じる場所」になってしまいます。それぞれがスタートラインに立つための“方法という武器”を渡すことが必要。「こうすればできる」を考えて、子どもが自分の力でできる体験をたくさんさせてあげたいと思っています。
──近年、インクルーシブ教育が推進されています。その実現のために何が必要だと思いますか。
多様な選択肢が必要でしょう。学校や学びが子どもを追い詰めてしまう状態というのは、おそらく方法が足りないのです。子どもたちには多様な学び方から自分に合った方法を選び、それをお互いに尊重しながら生きていってほしい。そうしたインクルーシブな環境をつくるには教師の数やスペースなどの問題もあるかもしれませんが、すべての学校が学び方の選択に対して柔軟に対応できるようになっていくといいなと思っています。
(文:吉田渓、写真とイラスト:井上氏提供)