“やらせる”ではなく、子どもの自発的な行動を促す

モンテッソーリ教育が生まれたのは今から約110年以上前。イタリアの女性医学博士のマリア・モンテッソーリが、子どもを観察することで築き上げた教育方法で、現在ではイタリアをはじめ米国、オランダなど世界の110以上の国・地域で実践されているといわれている。日本では戦後から徐々に広まり、全国の幼稚園や保育園を中心にモンテッソーリ教育が実施されてきた。

モンテッソーリ教育の前提となっているのは、もともと子どもには自ら育つ力「自己教育力」があるという考え方だ。この自己教育力を大人は信じ、子どもが自ら発達、成長できるよう手助けすることを目指す。

あきえ
モンテッソーリ教師(国際モンテッソーリ教師ディプロマ〈AMI〉)
幼稚園教諭・保育士、小学校教諭
公立の幼稚園教諭をしていた頃、日本の一斉教育に疑問を抱きモンテッソーリ教師に。現在は「子どもが尊重される社会」を目指して、モンテッソーリ教育に沿った子どもや子育てについての発信。オンラインスクール「Montessori Parents」の運営、ベビーブランド「mu ne me」の運営、オンラインコミュニティー「Park」を主宰。著書に『モンテッソーリ教育が教えてくれた「信じる」子育て』(すばる舎)、『モンテッソーリ流 声かけ変換ワークブック』(宝島社)がある
(写真:あきえ氏提供)

「モンテッソーリ教育で大切なのは “大人がやらせる”のではなく、子どもが自発的に行動することです。選択権は子どもにあり、やるかやらないかを決めるのは子ども。スタートに主体性があります。自分で選択することを繰り返すことで、子どもの自立につなげていく。私は以前、公立の幼稚園教諭をしていました。幼稚園ではタスクや行事のためにやることが日々決まっていて、子ども一人ひとりの欲求に応えることができませんでした。子どもに『やる』『やらない』の選択権はなく、先生はたとえ子どもがやりたくないと思っていても『どうしたら子どもがやってくれるのか』を考える。このような教育方法にずっと疑問を抱いていました」(あきえ氏)

今も日本の教育は「教えてもらう」のが学びの中心だ。子どもは幼稚園でも保育園でも、先生からやることやゴールの決まったタスクを与えてもらうのが一般的。小学校でも黒板の前に机を並べ、全員が同じ授業を受ける一律一斉スタイルがほとんどだ。学びが受動的で「やる」「やらない」といった自己選択の機会が少ないことはもちろん、時間やゴールも事前に決まっていて一人ひとりが「わかる」「できる」といった喜びを得にくい。

あきえ氏が抱いた疑問は、自身の子どもを育てる中でより強く感じるように。子育てをしながら保育や発達、教育について調べているとき出合ったのがモンテッソーリ教育だった。これまでの疑問がモンテッソーリ教育ならば解決できると、国際モンテッソーリ協会のディプロマコースに通い、協会認定の資格を取った。

「資格を取るまでにはたくさんの学びがありました。例えば、1歳の子どもが自分で靴下をはくのは無理だと考えがちです。しかし通常の7〜8倍の時間をかけて、ゆっくりはき方を伝えると、すぐにはできなくても自分ではけるようになりました。子どもには自ら育つ力があり、それを大人が信じることが大切なのだと実感した出来事ばかりでした」(あきえ氏)

「自ら育つ力」を発揮できる「環境」を整えることが大切

では実際、モンテッソーリ教育ではどのような教育が実践されているのだろうか。モンテッソーリ教育は0〜6歳の乳幼児期、6〜12歳の児童期、12〜18歳の思春期、18〜24歳の青年期と4段階に分けて発達に合わせた教育が行われる。

だが実際、日本でモンテッソーリ教育が受けられるのは、幼稚園や保育園が中心だ。小学校や中学校は、認可外のオルタナティブスクールになってしまうこともあり数自体が少ない。また全国に習い事としてモンテッソーリ教育を受けられるところもある。

「今の日本では、6歳以降に学校でモンテッソーリ教育を受けることは難しいですが、教育を学校だけに任せないという姿勢を持つことも大切だと私は考えています。とくに幼少期の家庭の影響は大きいです。保護者が主体性を持って学ぶことで実践できるモンテッソーリ教育は多くあります」(あきえ氏)

では保護者が、家庭で実践できるモンテッソーリ教育とはどのようなものなのか。

子どもには、大人が教えなくても自ら育つ自己教育力があるというのがモンテッソーリ教育の基本的な考え方だ。しかし、子どもたちに「今やりたい」という欲求があったとしても、取り組める環境がなければ自ら発達、成長することはできない。そのため大人が、自己教育力を発揮できる環境を整えることが大切だという。子どもを観察して、子どもが今やりたがっていることができるように環境を整えるのだ。

具体的に環境は、大きく物的環境と人的環境の2つに分けられるという。物的環境は、子どもがなるべく大人に頼らず、自分の力でできる環境を整えること。例えば、子ども用の洋服を大人しか手が届かない場所に置くのではなく、子どもも取り出せる場所に配置する。洋服もボタンが背中にあるような自分で着られないものではなく、一人で着替えができる洋服を準備するなどだ。

興味を持ったときや必要なときに自ら取り組める環境を整えることで、主体性や自己選択をする力が育つ。たとえできなかったとしても諦めない粘り強さや、物事に取り組む集中力などを獲得することにもつながっていく。まさに自立をいかに手助けするかということだろう。

「人的な部分は、保護者が子どもをどう捉え、どう関わるかが重要です。子どもに対して、育ててあげている、教えてあげていると思っていませんか。そうではなく同じ人格ある人間として対等に接することが大切です。子どもは自分が尊重されているかどうか、敏感に感じ取ります。命令ではなく提案やお願いをすることで、信頼関係が増すのです。大人も子どもの発達について書籍などで知識をつけながら、子どもの育ちを助けることが必要だと思っています」(あきえ氏)

モンテッソーリ教育の実践で大人が気をつけるべきポイント

この子どもを対等に見て尊重するというのは、モンテッソーリ教育を実践するうえで大人が気をつけるべき大切なポイントだ。一人の人格ある人間として向き合うことが、自尊感情や自己肯定感を育んでいく。

「自分も完璧ではないという、謙虚さを持つこと。子どもが間違えたことをすると、大人はつい命令口調で注意をしてしまいます。人間としてお互いリスペクトして関わることが重要で、できなかったとしても大人が勝手にやってしまわないことです。自分も完璧ではない、育っている段階と思えば、子どものプロセスを大切にすることができます」

さらに子どもに対してバイアスを持たないこともポイントだという。例えば、「この子は人見知りだから」「どうせまだできないから」「いつも言うことを聞かない子」などと、一度バイアスを持ってしまうと、その部分が成長したとしても、その成長を感じることができなかったり、肯定的な声かけや関わりが減ってしまう可能性もあるからだ。

「つい大人は、子どもの姿を決めつけてしまうことが多々あります。しかし子どもに限らず、人間は見えている部分がすべてではありません。そこでお勧めしたいのが、子どもを球体として捉えてみることです。球体だと正面から見えない裏側もあります。私たちが地上から見る月も表側しか見えません。それを『月』として捉えているわけです。でも実際は、地上からは見えていない反対側も含めて『月』なのです。このように『自分が見ている(見えている)部分だけがすべてではない』という思いをつねに持っていることが、子どもを尊重することにもつながっていくと感じています」(あきえ氏)

実際、あきえ氏は自身の子どもにモンテッソーリ教育を実践している。その結果、子どもは自発的に計画をしたり、準備をするように育っているという。すベての結果がそうなるわけではないし、モンテッソーリ教育だけが正しいわけではない。ほかにもさまざまな教育方法があり、それぞれにいいところがあって、個人によって向き不向きもある。

「勘違いされることが多いのですが、モンテッソーリ教育は英才教育ではありません。こういう人間になってほしいと大人が決めるのではなく、子どもの欲求を満たすために、大人がどう手助けするかを考え続け、子どもの自立と自律を助けていくのがモンテッソーリ教育の柱です。そうして育った自立した人間同士が尊重し合って調和、平和な世界を目指す――本質をキープしながら、今後日本でもモンテッソーリ教育が広がっていくといいなと考えています」(あきえ氏)

(文:酒井明子、編集部 細川めぐみ、注記のない写真:PanKR / PIXTA)