
スーパーサブでも腐らない、土佐有輝はまじめなサッカー部員
――卓也さんは、有輝さんの高校時代を覚えていますか?
土佐兄弟・卓也(以下、卓也):実は僕、有輝の高校時代をほぼ知らないんです。7歳離れているのであいつが高校生のときはサラリーマンで。しかも大阪に赴任していました。今日はぜひ、有輝がどういう高校生だったのか詳しく教えていただきたいですね(笑)。柴田先生は有輝の恩師と聞いています。先生から見て有輝はどんなやつでした?
柴田大介教諭(以下、柴田): はい。サッカー部顧問として3年間指導しましたが、有輝は本当に特徴がないんですよ。

卓也:わかるわー!(笑)。

柴田:とまあ、それは半分冗談なんですが。彼はレギュラーではありませんでしたが、Bチームに欠かせない中心選手でした。まじめに努力する部員だったので、引退前はレギュラーに交じって一緒に練習させたりもしました。
根本欣哉校長(以下、根本):スーパーサブ的な存在でしたよね。サッカー日本代表で言えば三苫(みとま)薫選手かな。

卓也:え、三苫選手!? それは盛りすぎですって(笑)。
柴田:でも、結構活躍していましたよ。土佐兄弟は今、AbemaTVの「ゼルつく」でFC町田ゼルビアを応援していますよね。実は有輝、サッカー部の練習試合でFC町田ゼルビアのユースチームから点を取っているんです。
卓也:マジか……! 多分あいつ、自分でも忘れていますね。
柴田:当時の部員は90人近くいたので、Bチームに入るのも大変なことでした。本当に、彼は3年間コツコツとよくやったと思います。
卓也:練習はかなりきつかったみたいですね。
柴田:合宿では朝5時に起床して練習開始。朝食後は12キロ走り、さらに1時間のダッシュ練習です。練習が厳しいからこそ、部員同士の仲はよかったようですね。
卓也:それだ! めちゃくちゃ走らされて宿舎に戻ったとき、ある部員が、ももクロの『走れ!』を聴いていたらしくて。それ以降、走るたびに『走れ!』が脳内再生されて心を救ってくれたと聞きました。あいつは今でも、ももクロが大好きで精神的支柱なんだそうです。あそこまで好きになれるのは、それだけ部活動に真剣だったからでしょうね。

柴田:有輝は部活動に正面から向き合っていましたね。いちばん仲良くしていた部員がレギュラーに選ばれても、ふてくされたり練習をなおざりにしたりすることはありませんでした。決して腐らないその姿勢は、見ていて気持ちがよかったです。
卓也:有輝は親に「一つのことをコツコツ続けなさい」と口酸っぱく言われていました。兄の僕が部活を5つも渡り歩いていたので(笑)。でも、有輝自身もともとサッカーはすごく好きで、中学もサッカー部のために隣町まで通っていました。だから高校でも、サッカー部が熱心な専修大学附属で最後まで頑張ろうと思ったんじゃないかな。