そもそも「メタバース」とは?東大での研究や活用の現在地
メタバースとは、米国のSF作家であるニール・スティーヴンスンが1992年に発表した小説『スノウ・クラッシュ』の中で初めて使われた言葉で、メタ(超越)とユニバース(宇宙)を合わせた造語が由来とされる。その後、技術進展の中で「セカンドライフ」などさまざまな仮想空間サービスが登場し、メタバースは仮想空間の総称として普及。さらに昨年度、米フェイスブックが社名を「Meta(メタ)」に変更してメタバースを事業の柱に据えたことで、改めて世界的に大きく注目を集めるようになった。
このメタバースを研究分野としているのが東京大学大学院情報理工学系研究科・同大VRセンター准教授の雨宮智浩氏だ。
雨宮研究室では、メタバース分野、バーチャルリアリティ(以下、VR)分野、ヒューマン・コンピューター・インタラクション分野、認知心理学分野、人間能力拡張分野を横断した研究に取り組んでいる。
「安価なVR機器が急速に普及し始めた2016年がVR元年といわれています。錯覚などのVRを専門とする私もコロナ禍の頃からメタバースの研究に本格的に関わるようになりましたが、ここまで注目を浴びるようになるとは正直思いませんでした」と、雨宮氏は振り返る。
18年に開設されたVRセンターは、学内のVR関連の研究室をつなぎ社会展開する組織としてつくられ、これまで企業や他大学、自治体と連携しながら、VRを教育や職業訓練に生かす研究を行ってきた。
例えば、頭に装着できるゴーグル型のディスプレーであるHMD(ヘッド・マウント・ディスプレー)を使い、VR上で接客サービスなどの職業訓練を疑似体験するシミュレーションシステムを構築。「脈拍や心拍を計測し、ストレス反応に応じて接客ストーリーが変わる仕組みにして、安全に難易度を自動調整できるものにした」(雨宮氏)という。
20年度は、東京大学の学内を再現した仮想空間「バーチャル東大」を学生有志が中心となって作り、高校生向けのオープンキャンパスやサークルの新歓オリエンテーションなどに活用した。
コロナ禍でZoomなどのオンライン会議システムを使った授業が広がったが、画面をオンにしない学生が多く、彼らの反応がわからないなどの問題があるため、雨宮氏はアバターやメタバースを活用した授業も試みた。例えば、21年度にソーシャルVRサービス「VRChat」を利用して行ったメタバース授業では、終わった後も空間内で質問する学生が多く好評だったという。
このほか東京大学では、大学院工学系研究科と工学部が中心となり、22年9月に「メタバース工学部」を開講、工学系の研究分野の紹介や人材育成などに努めている。メタバースなどを活用してオンラインで学べる社会人向けの「リスキリング工学教育プログラム」と、主に中高生を対象とした「ジュニア工学教育プログラム」を用意しており、とくに中高生や女性の興味を喚起し、DX人材育成のダイバーシティーを推進したい考えだ。
「小中高生の間では、マインクラフトやフォートナイトなど、VRがゲームなどで広く使われており、すでにメタバースを使う素地があります。今後メタバースは、教育をはじめ、ほかの分野でも応用できる可能性があると考えています」
興味深いことに、メタバースの名が付いた学部や、バーチャルリアリティを冠した専門の研究機関を全学的な組織として設置しているケースは国内では東京大学のみで、「海外でも聞いたことがない」(雨宮氏)という。
そもそも日本はVtuber(バーチャルユーチューバー)が早くからブームとなったが、VR研究も世界でトップクラス。アバター関連の技術でも日本は世界から注目されている。
「もともと日本は2次元や3次元のキャラクター作りに強みがあり、IP(知的財産)戦略へのメタバースの活用も期待されています。ちなみに、海外では現実の自分に似せたアバターを使うことが多いのですが、日本では女性のアバター利用が圧倒的に多く、しかもそのユーザーのほとんどは男性。そういった海外から見たら不思議な状況が違和感なく受け入れられている文化も、日本の個性の1つです」
一斉授業には向かない?「交流」での活用に意義がある
将来的に日本の強みを生かせそうなメタバースだが、教育分野ではどのような活用ができるのか。
実はメタバースは、定義が確立されていない。「HMDを使うかどうか」「3Dであるかどうか」「経済活動があるかどうか」といった条件に対する見解も、研究者や企業によってさまざまなのだ。
雨宮氏は、目の健康への配慮から13歳未満のHMDの使用が業界のガイドラインで禁止されていることなども踏まえ、教育界におけるメタバースについては「複数人が同時にオンラインで活動ができる3D仮想空間」と定義する。
前述のように雨宮氏はメタバース授業を積極的に行ってきたが、意外にも「先生の講義がメインとなるオンラインの一斉授業で、メタバースを使う必要はないのではないか」と指摘する。
「オンライン会議システムを使った授業は、資料やスライドが対面授業以上に提示しやすく読みやすいというメリットがありますから。教育分野でメタバースを使うときは、みんながどこにいるかを空間的・身体的に把握できるような自然な体験をVR上で実現したいときに有効。なので、ディスカッションや雑談など交流場面での活用にメタバースの意義があるのではないかと考えています」
最近では埼玉県戸田市や岐阜県大垣市など、2次元ではあるものの、仮想空間やアバターを活用した不登校支援を始める自治体が複数出てきているが、交流の面からも雨宮氏は高く評価する。
「アバターは性別や年齢、国籍なども超えて外見を変えられるので、新たなコミュニティーで人間関係をつくり直せる可能性もある。アバターを使うことで、みんなと一緒にいる感じや自分の存在感を示せる体験ができるのは大きいと思います。現実の生活では過ごしにくくても、メタバースの場が自分を認めてもらえる選択肢の1つになるならば、とてもすばらしいこと。そこから現実の世界につないであげられるようになれば、支援の可能性はもっと広がっていくと思います」
メタバースは学習面においても効果を発揮するのか?
通信制のN高等学校・S高等学校など、すでにヘッドセットを使ったVR学習を導入している学校もあるが、学習面においては、メタバースはどのような活用が考えられるだろうか。
アバターを使う場合では、「自分がサムライになって江戸時代にタイムスリップするような体験学習ができそうですし、人物画像の合成技術『ディープフェイク』を使った『織田信長が本能寺の変を語る授業』なども可能です」と、雨宮氏は語る。
HMDを使う場合では、見えているものをあたかも「自分の体験」として受け取れるメリットを、歴史や地理の授業に生かせるのではと雨宮氏は考える。昨年の夏からは広島県の平和記念公園を、HMDを装着して歩き、1945年当時の出来事や環境を体験する歴史ツアーを始めた。
「現実の場所とリンクさせる疑似体験はより強い教育効果があると感じており、修学旅行などで生かせるのではないかと思います。今後は触覚や嗅覚なども含めた五感が動員される通信を追求していく流れになるはずなので、よりリアルな疑似体験が可能になるでしょう。身体に障害がある人への学習支援や相互理解の拡大、教育実習や研究発表の練習にもメタバースは生かせそうです」
ただ、課題がないわけではない。HMDを使うにしろブラウザー版にしろ、疑似体験の精度を高めていくには、高性能なグラフィック処理装置(GPU)が必要となるため、例えばGIGAスクール構想下で配付された1人1台端末のスペックではおそらく対応が難しい。そのため、学校間でデジタルデバイドが生じる可能性があるという。
しかし、メタバースの活用が進めば、将来的には新しい教育手法が生まれるかもしれないと雨宮氏は期待を込める。
「現状、オンライン授業は対面授業の代替として考えることが多いですが、そうではなく、疑似体験や、架空の物の制作など、メタバースの特性を生かした授業を考えていくと、教育の可能性は広がるのではないでしょうか。オンライン授業は90分の一斉授業では疲れることがすでにわかっていますので、10分、15分と1コマを小刻みにしてメタバース授業を挟んでいくような授業スタイルも考えられます。しかしVRはあくまで手段。研究者としても、エビデンスとともに使いどころを示していきたいと思っています」
(文:國貞文隆、注記のない写真:東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター提供)