記事の目次
小5の卓也、文化祭で成城への進学を決意
部活動を点々とした中学時代、忘れられない相撲の大会
生徒会とバンドに夢中になった高校時代
「楽しいことを選ぶ」、成城の6年間で人間性が決まった
偏差値や進学率では推し量れない「雰囲気」を確かめて

小5の卓也、文化祭で成城への進学を決意

――土佐兄弟といえば、高校生の日常を切り取ったネタ、「高校生あるある」と「高校生なしなし」がYouTubeやTikTokで大人気です。今日は実際に卓也さんが6年間の学生生活を送った場所を訪れていますが、当時卓也さんはどんな生徒だったのでしょうか。

土佐兄弟・卓也(以下、卓也):とにかく目立ちたがり屋でしたね。みんなから注目されたくて、でも、自分が中心にいれば満足というわけではなくて、「みんなで楽しいことしようぜ!」という気持ちで過ごしていた気がします。

岩本正校長(以下、岩本):私が教師になって初めて中学1年生から受け持ったのが卓也くんの学年なので、とてもよく印象に残っています。卓也くんは本当にエネルギーにあふれていて、授業中もガンガン挙手する活発な生徒でした。学校内でも有名でしたよ。

土佐兄弟・卓也さん(左)、母校の成城中学校・高等学校 校長の岩本正先生(右)

卓也:そうかもしれません(笑)。僕が成城に入ったのは、校風が自分に合うと思ったから。小学5年生の時、友達に誘われて行った文化祭がめちゃくちゃ自由な雰囲気で。先輩たちも楽しそうで、笑顔がキラッキラしていたんですよね。シンプルな学ランもそれはもうカッコよく見えた。帰るなり親に「俺、成城に通いたい」と伝えて、すぐ日能研に申し込みました。

――ビビッとくるものがあったんですね。

卓也:文化祭までは地元の公立中に進むつもりだったので、中学受験の勉強はまったくしていなくて……。そこからはとにかく集中して頑張りました。過去問も成城のものしか買わず、まさに一本勝負でしたね。

岩本:当時の校長はよく、「楽しくなければ学校じゃない」という言葉を口にしていました。もちろん楽しいだけでは学校は成り立ちませんが、私も入り口は楽しくあるべきだと思います。今でも文化祭をきっかけに入学する生徒は多いですね。

部活動を点々とした中学時代、忘れられない相撲の大会

――その後、強い信念と努力が実って、卓也さんは無事合格されますね。

卓也:はい。ただ待ちに待った入学式に女子がいなくて、「そういえば男子校じゃん!」とちょっとへこみましたね。文化祭には他校からたくさん女子が来ていたので(笑)。逆に盲点はそれだけで、あとは想像どおり本当に楽しかったです。余談ですが、よくうちと間違えられる成城学園は共学なんですよね。実は、本家は成城中高で、成城学園は枝分かれした側なんです。以前この話で、成城学園出身のお笑いコンビ・三四郎の2人とけんかになりました(笑)。

――(笑)。入学後は、たくさんの部活動を転々とされたとか。

卓也:私立に通わせてもらっている以上、充実した生活を送らないと親に示しがつかないと思ったんです。親孝行と言えば甲子園というイメージもあり、スポーツに打ち込む姿を見せたくて野球部に入るんですが、あまりうまくならなくて。そこから、卓球部、水泳部と移りました。成績不振だった社会の先生に、「勉強を見てやるから頼む」と言われて相撲部にも入りましたね。入部後すぐに、靖国神社で行われる伝統的な相撲大会に出なければならなかったんですが、そこで何と勝ってしまって。ところが、興奮のあまり土俵でガッツポーズをして失格になりました。でも、数々の部活を通して多くの友達や先生と親しくなりましたし、貴重な経験でしたよ。

――エピソードに事欠かないですね(笑)。転部がポジティブに捉えられる環境も珍しい気がします。

卓也:はい。先生方が転部に否定的ではなく、むしろ「次はここに入れば?」と前向きに接してくれたのはありがたかったです。

岩本:卓也くんのように、生徒はみんな、本来立派な力を持っていますからね。小さなことに対して、あまりガミガミ言わなくても道を外れて悪さはしないだろう、と教員は基本的に我慢して見守っています(笑)。

生徒会とバンドに夢中になった高校時代

――高校時代はどのように過ごされたのでしょう?

卓也:思い出深いのは、生徒会とバンドですね。目立ちたがり屋で生徒会長になったんです。といっても、マニフェストを提示してちゃんと複数の候補者の中から選ばれたんですよ。内容は、「アイスクリームの自販機を設置します」でした。

――(一同、笑い)。

卓也:いやいや、需要は高かったですよ! 当時、校内の自販機は唐揚げやフライドポテトなどかなり充実していましたが、スイーツだけがなくて。ただ、いざ実現に向けて動き始めたら、まさかの保護者の同意が得られずに断念(笑)。そのほか、新潟県中越沖地震への募金活動もしました。

――慕われる会長だったのでしょうね。バンド活動についても教えてください。

卓也:成城は伝統的にバンドが活発なんですよね。文化祭の後夜祭といえばバンドで、当時は数十組が演奏していました。僕も後夜祭に出たいなと思って、仲がよかった友達とバンドを結成し、放課後は練習に明け暮れました。実は、Hi-STANDARD(ハイスタ)のギタリスト・横山健さんが成城高校出身で、その縁もありハイスタをコピーしていましたね。

思い出の体育館と、小体育館のステージの上で

「楽しいことを選ぶ」、成城の6年間で人間性が決まった

――学生時代の経験は今にどう生きていますか?

卓也:生きているどころではなく、成城の6年間 で完全に僕の人間性が決まったと思います。実は僕、大学卒業後に保険会社に勤めた後、I T企業にも転職していて。そこからお笑い芸人になるって結構ふざけた選択じゃないですか。今思えば、学生時代にその時々でやりたいことを全力でやり尽くした経験と似ているんですよね。転部は大変なこともありましたが、それすらよい思い出だからこそ大人になっても「今の自分が楽しいこと」に素直になれる。それもこれも、成城の先生が、生徒一人ひとりの個性を温かく見守っていてくれたからです。

岩本:成城には、ある程度「君たちの好きなようにやってみなさい」という校風があります。基本的には生徒から提案されたことを尊重し、なるべく応えるようにしています。最近は学校にビオトープを作りたいと生徒が提案してきて、校内の一角を提供しました。提案すれば教師が前向きなリアクションをくれるという経験を通し、自信をつけてもらいたいです。大学受験も大事ですがやはり中高の経験は貴重ですから。

そういえば、今年は成城の学生が土佐兄弟のイベント運営に参加しました(「土佐兄弟の青春文化祭2022 ~Zったい忘れられない1日をキミに〜」)。チケットのもぎりや舞台設営の一部を担当してとても楽しかったようです。今後はこうした学校外のつながりも積極的に持ちたいですね。

偏差値や進学率では推し量れない「雰囲気」を確かめて

――成城に一目ぼれで入学し、今も愛校心に満ちあふれる卓也さん。最後に学校選びのコツを教えてください。

卓也:何より、自分で学校に足を運ぶことです。偏差値や大学進学率も大事ですが、数字だけではわからないことが絶対にあります。実際に訪れて生徒たちの表情や学校の雰囲気を味わうだけでも、自分に合うかがわかりますよ。中学や高校で過ごす時間は人生の中でも本当にかけがえのないものですから、いろいろな学校に出かけて子どもが自分で選べるよう、先生や保護者の方からも働きかけてもらいたいですね。

(文:末吉陽子、撮影:梅谷秀司)

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