急成長中のIT企業に学ぶ「企業文化の育て方」 トップが「カルチャーは第二の製品」と語る意味
「インバウンド」の思想がすべてのベースになっている
――HubSpotは、現在世界120カ国以上、約14万3000社(取材当時)に導入されています。成長の軌跡を教えてください。
廣田 当社は、2006年に米国で設立されました。プロダクトの根底にあったのは「インバウンド」の思想です。これは、売り手の都合を押し付けるのではなく、あくまでも顧客本位で新しい価値を提供することです。この思想に基づき、HubSpotは当初、マーケティングツールとして世に広まりました。ただ、企業と顧客の接点はマーケティングにとどまらず、営業、カスタマーサクセスなど多岐にわたります。企業との出合いから、購買、購買以降の体験も含めて、一貫した顧客体験を提供することが重要である。こうした考えから、14年よりCRMのプロダクト群へと進化し、さらに現在はCRMプラットフォームとしてほかのアプリケーションとの連携も進めています。
土井 日本法人が設立されたのは16年です。日本法人設立以前から販売パートナー企業を通じて日本企業にも使用されていましたが、米国生まれである分、日本の郵便番号に対応していないなど細かな課題もありました。そこで日本法人設立を機にローカライズを進めることに。19年ごろからはユーザーによるSNSでの発信や口コミが広まり、引き合いが急増しました。
廣田 それだけ高く評価されたのは、やはりプロダクトがインバウンドの思想に基づいて設計されているからでしょう。個人的な話になりますが、先日、10年ぶりにゴルフを再開しました。あるゴルフ場の受付で「かつて○○区にお住まいでいらっしゃった廣田様ですか」と声をかけられてびっくり。どうやら昔一度来た際に、私の名前が記録されていたそうです。小さな一言でしたが、喜びを感じる出来事で、その1日の体験がより心に残るものになりました。
顧客の情報の統合・共有が実現することで、顧客にとって価値のある情報やコミュニケーションを提供し、顧客体験を高めていく―。これがインバウンドの思想です。管理者がデータ管理をするためにつくられたCRMとは違い、HubSpotは顧客体験を高めることを目的にしています。顧客情報を単に記録するのではなく、顧客との深いつながりをもたらすためのプラットフォームといってもいい。この思想をCRMに持ち込んだことは画期的だったのではないでしょうか。
土井 統一感のあるUIも、多くのお客様に評価いただいている点です。他社を買収して機能を拡大するのではなく、自社開発にこだわってきました。同じ思想の下に開発しているので、UIに一貫性があって使いやすいとの声を多くいただいています。
企業が重視すべき3つのつながり
――今後の事業戦略を教えてください。
廣田 米国では、従業員10人以上の企業の91%がCRMを導入しています※1。一方、日本でCRMを導入している営業組織は34.8%※2ですから、市場の伸びしろは大きい。日本に当社製品、そしてインバウンドの思想を広めるため、就任以来いっそうローカライゼーションに注力しています。グローバル全体ではすでに1000以上のアプリケーションと連携していますが、日本独自の連携はまだ少ないため、ここを拡充するのがその一歩。また、HubSpotの使い方を学べるアカデミーコンテンツの日本語化もさらに加速して進めていきたいです。
土井 ユーザーコミュニティーの強化も、重点施策の1つです。HubSpotでは「3つのつながり」を重視しています。まず、組織内のサイロ化をなくして他部署同士をつなげること。次に、企業と顧客をつなげること。そして最後が、ユーザー同士をつなげることです。とくに3つ目は、未来のビジネスを左右する重大要素。ユーザー同士や顧客同士が活発に交流し成功を支援し合うことは、顧客体験の質向上につながります。当社が介在せずともユーザー同士が自然に出会い、知見をシェアし、成長を支援し合えるようなコミュニティーを育てたいです。
※2 HubSpot年次調査「日本の営業に関する意識・実態調査2022」実施期間:2021年12月3〜5日
カルチャーコードの作成に延べ110時間費やした理由
――HubSpotの特徴として、「カルチャーを重視」があると聞きました。
廣田 人は、自分のやりたいことをやっているときに最もモチベーションや生産性が高くなります。ところが、単純にルールだけで人を縛ると疲弊してしまう。
当社が実施した調査※3によると、回答したビジネスパーソンの90%が「燃え尽き症候群」の兆しを感じ、57%が疲弊感を理由に転職を検討する可能性を示唆しました。原因は、ハイブリッドワークでミーティング数が増えて負担が増したことに加え、チームメンバーの働きぶりが見えにくくなったために、マイクロマネジメントが拡大したことも大きいでしょう。細かく管理すると、人は離れていくのです。
土井 当社で働いていて感じるのは、カルチャーが判断の拠り所になっていること。物理的な空間を共有していなくても、社のカルチャーが明確ならば、全メンバーが安心して同じ判断を下せます。
廣田 当社は「Help millions of organizations grow better」をミッションとして掲げ、それを支えるコアバリューとして、「HEART」―Humble(謙虚さ)、Empathetic(共感力)、Adaptable(適応力)、Remarkable(卓越性)、Transparent(透明性)―と呼ぶ行動指針を定めています。さらにそれらを具体化したカルチャーコードをつくり、一般公開している。一人ひとりがこれに従って判断できます。
土井 最新のカルチャーコードのスライドは125枚にも及びます。従業員満足度調査や社会の変化を踏まえて見直しを続けており、最新は33版を数えます。
また、日本語化にもこだわっています。カルチャーコードの1つである「Solve For The Customer」は当初、「顧客視点の長期的な視野で判断」と訳していました。しかし、抽象的でわかりにくいという声があったため、延べ110時間のミーティングを経て作成した改訂版では「顧客にとっての『最適解』を考える」になりました。さらに、最終版を公開した際には、変更の背景について議論する全社向けパネルディスカッションを行いました。カルチャーの浸透には相当なリソースをかけていますね。
廣田 そもそも採用の時点でカルチャーへのこだわりが強いと感じました。私はテクノロジー業界を中心とした20年超のキャリアを経て、21年9月にHubSpotに入社しました。このとき、グローバルのCEOを含め役員一人ひとりが「HEART」の価値観を体現していて驚きました。例えばあるマネージャーは、面接で日本法人の課題を開示し「ここを改善したいが、ヒロタはその経験があるか」と質問してきた。その姿勢は、まさにTransparent。カルチャーをお題目で掲げているだけではないとわかって、ぜひここで働きたいと思ったことを覚えています。
土井 廣田自身、カルチャーへのこだわりが強いですよね。先日、記者発表用に「日本のビジネスの注力領域」の資料を作成しました。3つの注力領域のうちカルチャーを最後に置いていたら、レビューの中で「これは最初に持ってこよう」と。カルチャーはすべての事業戦略の基盤にあるものだと改めて認識させられました。
企業の成長には「事業戦略」と「カルチャー」の両方が不可欠
廣田 今後は、カルチャーにも日本らしさを融合したいと考えています。ベースは変えず、プラスアルファで日本ローカルの考え方を乗せていくイメージです。そうすることで、日本でももっと持続可能な組織ができるのではないかと。
土井 先日、本社の役員が「結果はハードに求めるが、人には共感を持って接する」と話していて納得感がありました。結果だけを厳しく求めると人が疲弊しますが、逆に従業員に対する見せかけの優しさで数字を軽視すると事業が疲弊します。持続可能性とは事業と働く人双方が持続可能であるということであり、これは当社のインバウンドの思想と一致しています。このような思想的・戦略的基盤を持ってこそ、企業は急成長に耐えうるのだと思います。
廣田 共同創業者のダーメッシュ・シャアは、「カルチャーは第二の製品」と言いました。これは、いいカルチャーはいい人材の採用や定着に役立つという意味だけではありません。ビジネスを支えているのは組織であり、組織は人そのもの。日本企業に、CRMプラットフォームとともに、HubSpotのカルチャーも伝えていくつもりです。