「世界最強の帝王学」が生まれた瞬間
世界はボーダーレスになり、教育においてもそれは例外ではない。もはやどんな教育でも、本人が望めば受けられる時代だが、ベールに覆われている学問がある。それが「帝王学」だ。帝王学で学ぶ内容は、幅広い。そして、必要とする人はごく限定的な特定の立場に立つ人のみだった。しかし、実は帝王学は、一般の人にも有用な内容ではないかと興味をもたれている。いったいそれはなぜなのか。
まず、帝王学がカバーできる範囲が、王室や皇室、経営者、政治家、医者や茶道や華道などの家元など幅広い、ということが挙げられるだろう。求められる能力は異なるが、共通のビジョンや、共感力、統率力、判断力を養い、その立場を承継するためにも、帝王学は使えるのだという。
大きなビジョンを持って、社会問題の解決に動き始めるような社会起業家や経営者が増えたこともあるだろう。ビジョンに共感し、共に行動してもらう人を増やすのに、帝王学を学ぶことは有益だ。また、近年企業でも事業承継が経営課題として取り上げられるが、共通のビジョンや、共感力、統率力、判断力を養うためにも、帝王学は使えるという。
筆者は、国際教育評論家として、ある人物の帝王学に興味を持った。それが歴代最長の英国君主である「エリザベス女王2世(以下、エリザベス女王)」である。
エリザベス女王は、弱冠25歳にして英国の女王に即位した。予想外に若い年齢での即位であり、生まれた時から「女王になるべき」人生を歩んでいたわけではない。なぜなら、エリザベスの父ヨーク公(後のジョージ6世)には兄であるエドワード8世がおり、ヨーク公が国王に即位するのは、エドワード8世が高齢になり、退位してからと考えられていたためだ。しかし、エドワード8世は、王太子時代から交際のあった離婚歴のある米国人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望んだため、即位から1年も経たずに退位、父であるヨーク公がジョージ6世として、英国王に即位することとなった。そこからエリザベス女王は、次の王としての期待が寄せられるようになり、帝王学が開始されたのである。
ちなみに父であるジョージ6世は、吃音に悩まされ、その様子は2010年に製作された映画『英国王のスピーチ』でも紹介された。映画のキャッチコピーは、「英国史上、もっとも内気な王」。そのように揶揄されたジョージ6世。そんな内気な王が娘に授けた帝王学とは、どのようなものだったのだろう。
エリザベス女王が即位した際、首相であったのが歴史を変えた名宰相とも称されるウィンストン・チャーチルである。エリザベス女王は、チャーチルを含め15人の英国首相を任命し、歴史的には、スエズ危機をはじめEUの加盟、フォークランド紛争、ポンド危機、中華人民共和国への香港返還、ダイアナ元王太子妃の死、EU離脱、コロナ禍と政治、経済、戦争、外交など、さまざまな問題に英国領君主として対峙し、任務を全うしてきた。そして今なお現役で公務に就いている。
「学校に通ったことがない」エリザベス女王
世界には、英国の国王を君主とする英連邦王国が16カ国あり、エリザベス女王の代理としてカナダ、オーストラリアに総督が任命されている。
「君臨すれども統治せず」の原則が貫かれているが、カナダに流通する全硬貨にはエリザベス女王の図案が刻印され、20ドル紙幣にも表面にエリザベス女王の肖像が描かれている。また、オーストラリアの硬貨にもエリザベス女王の肖像が刻印されている。そこからもわかるように、エリザベス女王の影響力は統治せずとも大きい。エリザベス女王の帝王学が最強である、と言われるには理由がある。
世界における英連邦王国の影響力の強さ、女王即位直後、第2次世界大戦後の大英帝国の崩壊から、戦後復興を進めながら、国の統治を進めるという難局を乗り切った事実、そしてプライベートでも、結婚、4人の子女(3男1女)の子育て、チャールズ元皇太子妃ダイアナの死や孫のヘンリー王子の王室離脱など多くの課題を乗り越えてきた。そんなエリザベス女王が学んだ帝王学は、まさに世界最強と言ってもいいのではないだろうか。
英国史上最長の君主であるエリザベス女王。しかし、エリザベス女王の学歴を調べてみると、驚くことに学校に通ったという経歴はない。帝王学は、宮殿でエリザベス女王の妹であるマーガレット王女とともに、宮廷家庭教師クローフォードから学んだのである。ここに、クローフォードが宮廷家庭教師として過ごした日々を回顧し綴った『王女物語 エリザベスとマーガレット』(著者マリオン・クローフォード 訳者中村妙子 みすず書房)という本がある。その本を参考に、エリザベス女王の受けた帝王学について触れてみたい。
宮廷家庭教師クローフォードは、スコットランドの平民の家庭に生まれ、児童心理学を学んだ。当時、上流階級の女子には、教育は必要ではないという考え方が多くあったが、エリザベス女王の祖母メアリー王妃は上流階級の女子にも教育が必要であると考え、明るく元気で体力のある教師を探していた。そんな折、エリザベス女王の父であるヨーク公の耳に、クローフォードのエピソードが入ってきた。その頃、クローフォードはエリザベス女王の伯母に当たるレディー・ローズの娘の家庭教師をしていた。彼女は、馬車も車も使わずにレディー・ローズ邸まで自宅からの長い距離を歩いて通っており、そのエピソードに好感を覚えたヨーク公は、面談のうえ、クローフォードに宮廷家庭教師を依頼することにしたのである。
エリザベス女王がクローフォードと学んだのは10歳から18歳だった。人格形成の土台ともいえる時期だ。その後、実際の公務で帝王学を実践した18歳以降を帝王学後期とすれば、この時期は帝王学前期だったといえよう。エリザベス女王の帝王学は、クローフォードより受けた学びと、社会に出て自ら学んだ実践的な学びで完成した。
家庭教師に就く前に、クローフォードは、エリザベス女王と1カ月ほど共に過ごしている。当時を振り返り、「エリザベスには、ほかの子どもと違う特別な個性を感じていた」と語ったクローフォード。「特別な個性」が何かについては明記されていないが、下記のエピソードからも、好奇心が高く、すでに、市井の人の考え方を知りたいという意識が芽生えていたことがうかがえる。
・毎日一緒に『タイムズ』に目を通した。
・リリベット6歳の誕生日にプレゼントされた本物そっくりに作られた小型の家と、家具、食器などで、幼いころから、使用人たちが掃除したり、家具を磨いたり、銀器を新聞紙にくるんだりする様子を見よう見まねで実践し、この家で「家事」を学んでいた。時に馬丁について乗馬の練習に勤しんだ。
『王女物語 エリザベスとマーガレット』より(※リリベットはエリザベス女王の幼少時の愛称)
クローフォードは、帝王学の授業について書物や物語から社会を眺めるのではなく、同じ年齢の少女と共に過ごす時間を水泳教室やガールスカウトなどから取り入れるように努めた。第2次世界大戦中は、16歳になったエリザベス女王自身が志願して下士官となり、軍用トラックを整備、運転した。市井の人々を知り、自ら下士官となって軍務に携わることで戦況を知り、兵士の置かれた現実を感じたのだ。軍務を果たしながら、兵士、人民の痛みを理解していたことは次のような行動にも表れている。
『王女物語 エリザベスとマーガレット』より
エリザベス女王が学んだ帝王学は、自分の目で市井の人がどのような気持ちで過ごし、生きているか、感じているのかを、座学ではなく体験として学ぶことでもあった。実際に体感してこそ、国民の苦労が何たるかを知ることができる。後に立つとき、その経験は重要な土台となる。クローフォードはそのように考えていたと考えられる。
同時にクローフォードは、エリザベス女王に、国王になるための専門知識も学ばせていった。続きは、次回「普通の子ども」にこそ、帝王学が有効な理由(10/30公開)で述べたい。
(注記のない写真:iStock)