炎上しそうなネタも、科学の面白さを伝える一手段
「本物の1万円札【硫酸】に入れてみると…」「【死ぬ】ほど強力な電流を流した…」「-196℃の液体窒素に【アヒル隊長】を入れた結果が衝撃すぎる」など、ちょっと危険な香りのする実験動画が目を引く市岡元気氏のYouTubeチャンネル「GENKI LABO」。
普通の人なら硫酸も高圧電流も液体窒素も取り扱いが難しいから、面白そうと思っても生半可な気持ちで手は出せない。親であれば、自宅でわが子にあえて危険な実験をしてほしいとも思わないだろう。でも、危ないからこそ見てみたい、やってみたいという気持ちが湧くのもまた事実。「GENKI LABO」が人気なのは、そんなイケない願望を満たしているからなのか。そこには、過激さだけではない多くの人が引きつけられる理由があるようだ。
コンテンツを作る際のポリシーは「子どもにも大人にも興味を持ってもらえることを面白く、楽しく実験してみせて、科学を好きになってもらうこと」(市岡氏)だと話す。“子ども向け”にしてしまうとありふれた内容になってしまうと考え、過去に見たことのあるようなコンテンツは避け、大人が見ても面白い本物を追求している。だから、目が肥えた現代の子どももハマってついつい見てしまうのだろう。
市岡氏の実験室兼撮影スタジオには、実験器具や小物が所狭しと並ぶ。電気のことを説明しようと思って、高圧送電線の鉄塔ジオラマを買ったり、鉄塔に取り付けられている実物の「碍子(がいし)」をつてをたどって入手したりと、好奇心は子どものように際限がなく、実験のための準備にはプロとして並々ならぬ情熱を傾けている。小学生でもわかりやすく伝えるにはどうしたらいいのか。実験の内容に加えて、それを実現するためのグッズ探しにも余念がない。
どんなネタがいいか? つねにメモをしていると見せてくれたスマホには、2000個ほどのアイデアが記されていた。売れっ子YouTuberらしく検索ワードやアルゴリズムなどデータ分析も行いながら、トレンドや季節感を意識した配信を心がけているという。こうしたマーケター的な観点を持ちながら、たとえ自分が詳しくない分野であっても猛勉強して新しい実験にどんどん挑戦している。
さらに心血注いで作成したコンテンツが炎上しないよう、自身の専門(生化学)以外の科学や法律などの知識については専門家の協力を仰ぐなど、実験の安全性、内容の正確性への配慮も欠かさない。例えば、「本物の1万円札【硫酸】に入れてみると…」という動画も、紙幣に手を加えていいのかという法的な懸念を解消するために、法律学の先生に監修してもらいお墨付きをもらったことでコンテンツが成立したという。
「それでもプチ炎上を起こすことはあります。そのときは、YouTubeに寄せられるコメントや、オンラインサロンのメンバーからの意見を参考に、また一から勉強し直して新しいチャレンジに結び付けています」
子どもの興味も大人の関心も引きつける面白おかしさと、エッジの効いたアイデア満載のコンテンツの裏側にある、この真摯な姿勢が何よりも「GENKI LABO」の魅力だ。
教育格差を埋めるのが動画コンテンツの利点
もともと市岡氏は生き物が好きで、かつ理系科目が得意だった。大学進学に際しては、経済的な理由から学費を抑えながら生化学を学べる国立大学を探したという。
「小学生のころから算数や理科などが苦手なクラスメートに教えることが好きで、自分が教えた友達の成績がぐんぐん上がるのがとてもうれしかった」ことから、教員養成を主目的とする東京学芸大学を目指すことにした。
その一方、雑誌『小学六年生』(現在は休刊)で「読者モデルのようなことをやらせてもらった」ことをきっかけに芸能界にも興味を持ち、大学生活と並行して4年間、芸能系専門学校にも通った。
「小学校教諭一種免許状を取得したので、卒業後は小学校の先生という人生も悪くないと思ったけれど、俳優やタレントになることも諦めきれず、結局アルバイトをしながらチャンスを待つことにしました」
そのアルバイト先が、サイエンスショーやテレビ番組の出演・監修で知られる「米村でんじろうサイエンスプロダクション」だ。ここで2006年から13年間、サイエンスショーや科学教室、テレビ番組などの企画、監修、アシスタントなどの経験を積み、19年8月末に独立、教育系コンテンツを作成するYouTuberとして活動することにした。
「YouTubeの教育系コンテンツのよいところは、教育格差を埋めるところにあります。電波の届くところであれば、どこでも勉強できる。しかも、プロが子どもたちに興味が持てるようわかりやすくコンパクトにまとめているので、飽きずに見ていられるという利点があります。僕が小学校の先生だったら、1年間で科学の楽しさを伝えられるのは、教室にいる40人程度にとどまります。1回のサイエンスショーでも多くて1000人程度です。でも、YouTubeなら何万人、何十万人に、それこそ国境を越えて伝えられます。そのうえ企画、構成、演出、編集などは、すべて自分で考えたものを発信できる。こんなにワクワクすることはほかにない。そんな気持ちで独立しました」
独立してから半年後、新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の事態が起きた。リアルな実験教室やサイエンスショーはキャンセルや延期となったが、市岡氏の動画再生回数は伸びる一方だ。
「多くの人に見られているという実感が、コンテンツ作りのモチベーションになっています。毎週金・土曜日の2回、新作動画をアップするのは大変ですが、待ってくれている人がいるので、このペースを変えるつもりはありません」
後進育成で教育系コンテンツを盛り上げたい
コロナ禍で学校の先生が自分自身で動画コンテンツを作ろうとして、挫折したというのはよくある話だ。この状況を市岡氏はどう見ているのか。
「大学のクラスメートの約8割が現役の理科の先生です。彼らの話では、事務作業が多すぎて、授業用に面白い実験を開発したくても、そんな余裕はないという声が多い。時間がない先生方は、無理に自分でコンテンツを作ろうとせずに、僕のような教育系YouTuberの動画を利用すればいいと思います。子どもたちの関心を引くためにつかみの部分で動画を見せるのでもいいし、授業の最後に『今日学んだことを発展させると、こんなことができるんだよ』って、まとめの形で使ってもいい。家庭でも予習、復習の教材として使えますよね」
確かにじっくり温めたアイデア、しっかりと練られた構成、下準備、そして手間暇かけた撮影と編集作業、ときに専門家の監修がつくなど、科学実験動画のプロが手がけたコンテンツは教員、保護者にとっても利用する価値はかなり高いといえるだろう。
その一方で、GIGAスクール構想で配布されたパソコンや端末を積極的に使って、ICTを活用した授業にどんどんチャレンジしている先生もいるという。そんな先生には、教育系YouTubeの動画を見て、積極的にまねしてほしいと話す。
「アイデアの宝庫ですし、撮影・編集の参考になります。撮影の基本は照明を明るく、クリアに音声が拾えるようマイクは口元に近いところに。編集は何もしゃべっていないところを自動的にカットしたり、自動的にテロップを付けてくれたりする無料ソフトがあるので導入してみるとか。無難な授業動画で構わないなら、YouTubeの動画はかなり自動的に作れる時代がきています」
今年7月、市岡氏はYouTube Japanにて、YouTuber向けに講義を行う先生と共に小学校の教員向けにYouTubeの動画作成講座を開催した。十数人という少人数ではあったが好評だったため、今後も継続して開催する予定という。「僕には教育クリエーターといわれる方々と一緒に教育系YouTubeを盛り上げていきたいという目標がある」と話す市岡氏は、教育系YouTuberを育成するコンテンツの作成やイベントの開催に意欲的で、年内には教育クリエーターのためのYouTube教室を開く計画も進めている。コロナ禍で中止になってしまったが、今春には同業の教育系YouTuberたちと大きなイベントも予定していたという。
「葉一さんやヨビノリたくみさん、シオリーヌさん、それに漫画『Dr. STONE(ドクターストーン)』の監修者であるくられ先生など、みんな独自のノウハウを持っています。それをオープンにすることで僕たちの後に続く仲間が次々と登場して、教育系YouTubeのコンテンツが質、量ともに充実していけばいいなと思っています」
今「子どもがYouTubeばかり見て困っている」と嘆く保護者は多い。学校現場でも「児童が休み時間にこっそり動画を見ている」といったトラブルが増えている。だが、子どもが見ているYouTubeが勉強のためになって、教育としても歓迎できるものならどうだろう。誰でも好きなことならやる気が出るもの。そのスイッチをYouTube動画が押してくれたら……市岡氏をはじめとする教育系YouTuberたちの活躍が、これからの学校教育にも大きな影響を及ぼしていきそうだ。
(文:田中弘美、撮影:梅谷秀司)