「学校に新しいテクノロジーを導入すると『ワクワク期、やらかし期、安定期』の3つのフェーズで変化が起こります」。こう話すのは、教育の情報化を専門分野とする国際大学グローバル・コミュニケーション・センター准教授の豊福晋平氏だ。
「ところが、いろいろな学校関係者から、GIGAスクールの端末が配備されても『やらかし期』が来ないという話を聞きます。子どもたちが日常的に使える状況にしないと『やらかし期』にはなりません。先生方が、保管庫から端末を取り出すきっかけをつかみ切れていないのではないでしょうか」
教育効果を実感するのに必要な前提条件とは
これまでコンピューター室で授業を行っていた頃のように、せいぜい学期に1回、年間3回程度コンピューターを使えば十分というレベルで捉えている学校関係者が多い、と豊福氏は指摘する。
GIGAスクール構想で配備された端末は1台当たり4.5万円と廉価なため、性能的に問題なく使えるのはおおよそ3年と考えると、学期につき1回使用で3年間で9回。授業1回分が5000円だから、結構高い授業料になってしまう。ところが、これを毎日使ったらどうなるか。学校の稼働日は年間平均200日、3年間で600日だから、1回当たり75円になる計算だ。
「GIGAスクール構想はもともと経済対策の一環で、しかもコロナ禍対策として計画が大幅に前倒しされた経緯は覚えておく必要があります。端末を入れ替える3年後、あるいはそれ以降になっても、国から同規模の予算がつくとは限りません。新しい端末に切り替えるための予算の出どころは、おそらく自治体か保護者になります。もし、保護者に費用の負担を求めるとしても、ほとんど保管庫で眠っていたような機器に、4.5万円を払ってくれとは言えないでしょう」
PISA(国際学習到達度調査)2018で、日本は学校教育におけるICT利活用スコアが圧倒的な最下位だった。今やデジタル化が進む社会において、学校だけが取り残されてしまっている中「ギャップに対する危機感がなく、この状況が当たり前になってしまっている」と豊福氏は警鐘を鳴らす。ここで教育のICT利活用を世界レベルに引き上げなければ、もはや教育大国とは名乗れないレベルに衰退するだろう。今取り組まなければ、3年後にはもうチャンスはないということだ。
とくに、これまでは授業にピンポイントでICTを使わせることが多かったが、これからは学内外で端末を使用する「日常化」がポイントになるという。そのためにも豊福氏は「ICTをコミュニケーション手段の中心にすることが必要」と説く。
「ICT活用の教育効果を議論する場合、利用頻度・時間・用途の十分な確保と、それに伴う習熟による総情報量の増加が前提条件になります。先生も児童生徒も、扱う情報の総量を増やしICTに慣れるためには、まずはデジタル連絡帳の運用をお勧めしています。学校で扱う情報は、教科書や教材といったコンテンツより、学校生活全般のやり取りで生じるコミュニケーション要素のほうが多いので、これまで紙媒体で手渡ししたり、手書きで書き取らせているようなことをデジタルに置き換えたりすることで、情報の効率は格段に上がり、便利だなと実感できる境地に達するはずです」
日常化への急坂を上り切り、踊り場に出ると、それまでとは見える景色が違ってきて、ICTを活用した学びに対する目線もリセットされる。そうなったときに、これまでの教員主導型の一斉授業形式から、個別学習やグループワークなど学習者中心のICT活用へと楽に移り変われるという。
「先生方の教育効果の捉え方に変化が生じてくるためだと思います。例えば、東京駅から品川駅に電車で移動する場合、大抵は山手線か京浜東北線を使います。新幹線を使う人はまれですよね。新幹線のほうが所要時間を6分程度短縮できますが、料金と運転本数を考えれば在来線のほうが効率的ですから。一方、山手線は1周34.5kmを約1時間で回りますが、新幹線なら同じ時間で静岡駅まで到達できます。
今の学校のICT活用は、新幹線で東京駅から品川駅へ行くようなものです。つまり、従来型の授業で十分到達できるような、近すぎる目標に対して、不釣り合いなコストをかけています。新幹線ならば、せめて熱海、もっと先にある名古屋駅や新大阪駅を目指すことで、ようやく効果を実感できるはず。新幹線の距離に当たるものが、圧倒的情報量です。先生方の目線が変えられるかどうかが、3年後、5年後に訪れる『タイムリミット』の勝負の分かれ目です」
保護者は長時間利用の不安を訴えるより、子どもと対話すべき
一方、ICTの活用に関する保護者からの反応もさまざまだという。
「2021年4月以降は、各地の教育委員会やPTA関係の講演を引き受ける機会が増えたのですが、保護者から事前に受け付ける質問の多くは、長時間利用に対する不安に焦点を当てたものです」
保護者は自分たちが子どもの頃には存在しなかったテクノロジーに、子どもが強力に引き寄せられてしまうことに懸念を抱く。長く使用してほしくない、ずっと没頭していて依存しているように見える、そんなことより外で遊んでほしいといった漠然とした不安があるようだ。
しかし、子どもの側にしてみれば、例えば同じような動画サイトの視聴でも、HIKAKINを見ることもあれば、折り紙の作品作りの方法を学ぶこともある。Scratchでゲームをすることもあれば、コードを書き換えて自分のオリジナルゲームにすることもある。スライドを使って自分の作品や発表を作ることだってあるのに、画面をのぞき込んでいるだけで、周りからあれこれうるさく注意されたくない。つまり、端末の利用時間よりも、その使い方が重要ということだ。
「保護者に必要なのは、子どものやっていることに対して一方的に決めつけたり、時間制限をしたりすることではなく、むしろ、どのような使い分けや工夫をしているのか、子どもと対話することです。小学校高学年以上ならば、たとえ長時間の使用になることがあっても、子どもが必要だと言うのなら、保護者は心配していると正直に伝え、ほどほどにしておかないと次の日つらくなるよ、と諭せばいいんです」
情報モラル教育よりデジタル・シティズンシップ教育の理由
こうして子どもが自ら考え、問題解決できるようにすることが重要だという。
日常化が進んでくれば、学校もこれまでのままのICT利用指導では、実態との矛盾が生じてくると気づくだろう。そこで今、ICTを日常生活でも学校でも、前向きに活用する知恵として「デジタル・シティズンシップ教育」が注目されている。
「平たく言えば、テクノロジーのよき使い手となるために、子どもたちに自律する能力を育むことです。これまでの情報モラル教育では、ネット依存やネット被害、SNS等におけるトラブルなどのリスクを例示し、子どもたちがICT利用に慎重になるよう教えてきました。ですが、これでは子どもたちが自由にICTを活用し、自らの学習に役立てていくことに制限をかけることになります。デジタル・シティズンシップ教育には『安全に(セーフティー)、責任を持って(レスポンシブル)、互いを尊重する(リスペクトフル)』という3つの原則があります。この原則に自らの行動がかなっているのか、自ら考える力をつけてもらうことがデジタル・シティズンシップ教育の目標です。
例えば、責任を持つ対象は、家族や友達をはじめとする身の回りの人々に限らず、自分自身であり、世界であると説きます。自分自身に責任を果たす、というのは面白い発想ですが、自らの健康や評判を良好に保つことは大切ですよね。併せて、ネットでは大人も子どもも区別なく、社会的に大きな影響を与える機会があることを学び、行動する前によく考えることを促します。内向きなことと同時に、他者とのつながりや社会参加のきっかけを学んでいく訳です」
こうしてICTの日常化、デジタル・シティズンシップ教育、保護者の理解と対話へとステージが進んだら、次の段階はICT活用をより活性化させるための「出口」をつくることがカギになるという。
「ICTと子どもの生活や活動を学校側でもうまくつなげる工夫が必要です。例えば、クラウドを活用して夏休みの自由研究をデジタルで受け付け、オンラインの発表会を行えば、親や祖父母など外部の人も閲覧できます。高学年なら、デジタル組み版で学校新聞を作ったり、探究学習を動画レポートにまとめたりして、関係者からコメントをもらえるようにすれば、動機づけも高まることでしょう。
こうして、手元で情報を生み出す段階から出口までを意識できるようになれば、子どもたちはICTをさまざまな場面に応用し始めるはず。『子どもたちが部活や生徒会などで、何やら面白い使い方をし始めている』という話題が先生方の間で持ち上がったら、それは教育のICT活用が本物になった証拠です」
当然のことながら、こうした「出口」の方向性を指し示すのは、教育長や校長の役目になる。GIGAスクール構想を推進するキーパーソンがビジョンを示し、今こそリーダーシップを発揮するときだ。
(注記のない写真はすべて豊福氏提供)