織田信長も危機一髪「戦国の忍」の凄すぎる実力 敵陣へ大胆に潜入し、大損害を与えることも

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忍の者を使った策略は日常的に行われていた(写真Ushico/PIXTA)
世界に広がる忍者ブーム。実在の「忍の者」は、「忍者」へと変貌を遂げ、やがて「Ninja」に成長し、超人的な身体能力、手裏剣をはじめとする幾多の武器、忍術などを駆使して、諜報活動、暗殺、破壊工作などで敵と戦う人物というイメージを不動のものとした。しかしながら、フィクションとしての「忍者」「Ninja」のイメージが膨張すればするほど、実在した「忍の者」の実像は、はるかにかすんでいった。
では「忍者」でも「Ninja」でもない戦国時代の「忍の者」とは、どういう人々だったのか。平山優氏の著書『戦国の忍び』を一部抜粋・再構成し、今回は戦における実際の活躍ぶりをお届けする。
前回:現代にも役立つ「戦国の忍び」諜報活動の奥義

織田信長の嫡男の陣所に潜入

天正6(1578)年6月、織田信長と激しく戦っていた毛利氏は、そのころ、信長の嫡男、信忠自身が率いる大軍の攻勢に直面していた。ところがこのとき毛利方は忍びを放ち、何と信忠の陣所に潜入させていたらしい。

一、城介方陣所へも忍等可被差上哉之由承候、彼此御心遣之段申茂疎候、其外五畿内荒信なとへも涯分御調略肝要候■、雖不及申候、あさとに候ハぬ様御賢慮専一候■、任承之紙面調候て進之候、猶此表之儀追々可令申候間先留筆候、万吉恐々謹言
  六月二日元春(花押)
   古因
    御返申給へ
(■は、繰り返しを表す「く」を長くした踊り字)

これは、吉川元春(毛利元就の次男)が、古志重信に宛てた書状の1節である。古志は、信忠の陣所に忍びを潜入させたようだ。

この成果については、明らかになっていないが、元春がそれを大いに賞賛しているので、織田の陣所では騒ぎになったのではあるまいか。元春は、五畿内や荒木村重への調略も重要だと述べているので、古志は忍びの派遣や調略を担う1人だったのだろう。

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