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ジャパネットたかた
創業者
髙田明
今の瞬間を生きていく
ジャパネットたかたの創業者、髙田明氏は父親が経営していたカメラ店から独立して自分の店を持ち、その後、ラジオショッピング、テレビショッピングという通信販売事業に進出。同社を売上高1700億円を超える大企業に成長させた。ジャパネットから離れた後には、Jリーグ、V・ファーレン長崎の社長に就任し、ここでも奇跡の快進撃を実現させている。そんな髙田氏に、成功の秘訣、起業家としての生き方を聞いた。
長期的な目標は持たない
やれる範囲でやる
――ジャパネットたかたの経営をご子息に任せたあと、現在はどんな日々を過ごしているのでしょうか。
髙田今はもうサッカーが中心ですね。ジャパネットを辞めてから、もうすぐ4年になります。社長退任後、A and Liveという会社をつくり、ありがたいことに講演依頼をいただく機会も増えてきました。ただ、今はもうほとんどサッカー関連の業務が中心です。サッカーは地元のV・ファーレン長崎が倒産の危機に陥ったとき、息子から何とかしたいので手伝ってほしいという依頼があり、たまたま隣にいた私が社長をやることになりました。今もほとんどの試合を見に行っていますし、時には講演もしているので、ほとんどスケジュールにすき間がない状態。だから、今日のこの取材も本当はきついんですよ(笑)。それは冗談ですけど、現役の頃はスタジオで過ごす時間がほとんどでしたから、今は出張も増えていろんな意味で忙しいですね。
――創業者といえば、退任しても自分の会社が気になるものですが、現在のジャパネットたかたをどのように見ていますか。
髙田ジャパネットについては、役職もなく、給料もいただいていませんので、まったくノータッチです。A and Liveのオフィスはジャパネットたかた本社の一角を借りる形ですが、賃料も払っています。番組を見ていても、「頑張ってるなぁ」というくらいのもの。
でもまあ、本当によくやっていると思います。私が辞めてからも売り上げは順調に伸びていますし、社長以下、若い人の力を結集して本当によくやっている。もちろん見ていて気になるところもなくはないですが、そこを克服してこそ企業の歴史が積み重なるのだと思っています。
――著書『伝えることから始めよう』(東洋経済新報社)の中で興味深いのは、「長期的な目標をあえて持たない」という言葉です。通常なら、目標を決めて、そこに向かって最善を尽くすというのが定石ですが、なぜそうしたお考えを持たれたのでしょうか。
髙田通常の起業家ならば、たとえば会社を上場させて、もっと成長させたいという目標があると思いますが、私の場合、そもそもそうした意志が全然ありませんでした。誰かと比較するというよりも、自分たちのやれる範囲でやる。そこを前提に考えれば、上場が目標にはならなかった。もっと言えば、売り上げを伸ばして大きな会社にしたいという考えもなかった。気づいたら、いつの間にか会社が大きくなっていたというだけなんです。
今の時代、自分たちの力でどうしようもないことに悩み過ぎている人たちが非常に多いように思います。5年後、10年後の目標を持つよりも、今日、明日どうするかを考える。それが結果として、会社と自分を強くしていくと思っています。
――5年後、10年後より、今日、明日が大事。
髙田はい、目標というものは変わって当然です。5年計画を立てても、5年後にはそれまでやってきたことがすべて無駄になるくらい、世の中が変化していることもあります。「こうなりたい」という希望はあっても、本当にそうなれるかは誰も予測できません。
ならば、今日を頑張って、明日を変えるしかない。それがジャパネットの歴史でもあります。カメラ店からラジオ、テレビの通信販売へと進化してきましたが、ラジオショッピングをやっているときに最初からテレビショッピングへの進出を考えていたわけではありませんでした。一生懸命仕事をしてネットワークができたときに、初めてテレビがあるなと思っただけです。チラシやカタログなどの紙媒体もインターネットもそうです。世の中の変化に対応しようとネット通販に取り組み始めたら、いつの間にかメディアミックスの体制が出来上がった。それだけです。
「こうなりたい」と
思ったことは一度もない
――とはいえ、さまざまな岐路で重大な判断をされてきたと思います。そのときの判断基準というのは、どのようなものだったのでしょうか。
髙田私は25歳でサラリーマンを辞めてから、平戸で5年、佐世保で10年カメラ店の仕事をして、それから、ラジオ、テレビの世界に入ってきました。その中で、私たちにとっていちばん大事なのは、お客様です。お客様と毎日接して現場に立ち続けていると、お客様から何を求められているかがしだいに見えてくる。それが判断基準になるんです。今という瞬間を懸命に生きていけば、課題は見えてきます。その課題に対して、エネルギッシュにパッションを持って取り組んでいくうちに、自然と答えは見つかるものです。
――その過程で、単に家電を売るのではなく、使い方を提案するという現在のスタイルにつながっていったということでしょうか。
髙田そうです。私たちの会社は何のために世の中に存在するのか。そう考えれば、単にカメラを売るのではなく、何のためにカメラを売るのかを、自然に考えるようになります。今という瞬間を一生懸命生きることで、そうしたことが少しずつ見えてきます。講演でもさまざまなジャンルの方から依頼を受けますが、どのジャンルでもミッションは同じだと思います。ミッションがはっきりすれば、次にどう動くべきかが見えてくるはずです。
――若い頃は、将来どうなりたいと考えていたのでしょうか。
髙田若い頃から、「こうなりたい」と思ったことは一度もありません。高校時代、一生懸命勉強はしたけれど、志望した国立大学に落ちてしまった。でも、それを気にしたこともありません。ただ、どこでも自分はやっていけるという自信だけは、なぜかあった。ちょっと変わった人間なのかもしれません(笑)。
今は周囲からは成功者と見られることが多いんですが、自分はそうは思っていない。「すごいね」と言われることが不思議で。写真撮影でも腕を組んで偉そうにするポーズが苦手。いつからこうだったのかはわかりませんが、仕事をしているうちに、自然とそうなっていったのかもしれません。
頑張ってきたものが
全部なくなっても構わない
――自分が変わった、成長したと思うきっかけはありますか。
髙田人間、歳を重ねていけば、たくさんの人に出会うことになりますし、経験も豊富になります。そうした中で、成長していくのではないでしょうか。私は世阿弥の『風姿花伝』をよく読みますが、その中に「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり」という言葉があります。「時分の花」とは年齢とともに表れる一時的な魅力であり、「まことの花」とは稽古と工夫によって究められた本当の芸のうまさのことを言います。今日の自分よりも明日の自分。今日の自分を超え続けて初めて手にできるのが「まことの花」なんです。どんな状況になっても、自分に何が足りないのか、自問自答する。私も70歳にしてできていないことばかり。だから、日々動いています。
――これまでの人生の中で、ご自分で転機になったと思われるものは何でしょうか。
髙田サラリーマン時代に欧州に駐在した経験と、実家のカメラ店で両親や兄弟と15、16年過ごしたこと、ラジオショッピングから現在のジャパネットに至るまでと、それぞれが大きな転機になっています。2004年3月の顧客情報流出事件では、番組の放映を長期間自粛し、約150億円の減収となりました。営業自粛を決断したときは、今後どうすべきか、すべては白紙状態でした。2カ月間は事件の処理に集中しましたが、その間、社員も仕事はない。だから、すべての業務をみんなで見直すことから始めました。
――走り続けてきた中で、一度立ち止まることに不安はありませんでしたか。
髙田それはまったくありませんでした。事件があった時、これまで頑張ってきたものが全部なくなっても構わないからゼロから出直そうと、当時副社長だった妻と話しました。お客様にご迷惑をおかけしているのに営業を続けることはできないですし、まずは事件の解決を第一に考え、そこに集中していました。ただ、社員もたくさんいるので会社を潰すことはできないという思いもありました。
家電エコポイント制度の時は、制度が終了して売り上げが約600億円減少し、周りから「ジャパネットは大丈夫か」と言われたりもしましたが、私は気にしていませんでした。その時、社員の本気を引き出すために、過去最高の利益目標を掲げ、それを達成できなければ、社長を辞めると宣言しました。結果は、目標の数値を大きく超えて過去最高益を達成しました。社員にも私の覚悟が伝わったようで、さまざまな努力をした。後で取材の方から「目標を達成できなかったらどうしていたのか」と聞かれましたが、その時はやはり社長を辞めていたと思います。
そうした性格だから、普通なら目標を達成できたから社長をあと10年続けると言う人もいるかもしれませんが、私はうまくいったからこそ、今度は2年以内に社長を辞めると宣言した。それも、社員の頑張りを見ているうちにもう大丈夫かなと思い、前倒しして1年で辞めることにしました。そうして、社長を息子に譲ることになりました。
九つ叱って一つだけ褒める
そのぐらいでいい
――サッカーでもチームの経営を立て直されました。そこで大切にされたことは何でしょうか。
髙田社長に就いたとき、私がまず行ったことは、選手たちが給料の心配などなく、試合と練習に集中できるように「経営は私が責任を持つから安心してほしい」と伝えることでした。そこから奇跡が起こったんです。もともと力のあったチームでしたが、選手たちの気持ちの変化によって、その潜在的な力が大きく引き出されたのだと思います。夏以降13試合負けなしのJ2リーグ2位でJ1への自動昇格を決めたのです(2017シーズン)。何でもシンプルに前向きに考えたほうが人生はうまくいくということではないでしょうか。
――創業から現在に至るまで愚直に続けていらっしゃることは何ですか。
髙田たいしたことはやっていません。目の前のやらなければならないことを、ただやっているだけです。課題を改善しようと思ったら、やるべきことは山ほどあります。ポイントは、その課題を掘り出せるかどうか。そうやって見つけ出した課題を優先順位を考えながら一つひとつ潰していくことができれば、できないことはないと思います。
ただ、そこでいちばん怖いのが“見つけ出したつもり”、“頑張ったつもり”になることです。これが実は結構多い。だから、変わらないんです。私もラジオショッピングをやり始めた頃、なかなか商品が売れないことがありました。後になって気づきましたが、あれは「やったつもり」「伝えたつもり」になっていたのだと思います。
――では、愚直さ以外で成功につながった要因とは何でしょうか。
髙田課題の解決のためには、何事も徹底する。妥協しないということでしょうか。ある程度のレベルまで進んだときに、少しでも妥協すると、それが大きな穴となって広がっていきます。その意味では、厳しい社長だったと思います。社員と議論するときも、一切妥協しません。でも、それは愛情でもあります。会社は一人ではできません。だからこそ、社員に対して愛情を持つことが重要です。親は子供の成長を願って、時には厳しく叱ることもありますが、私も同じような気持ちで社員に接してきました。そうでなければ良い社員には成長しませんから。
今は若い人は褒めるほうがいいと言いますが、私は逆だと思います。むしろ愛情を持って真剣に叱ってくれる人が少なくて、若い人は悩んでいるのではないでしょうか。部下のことを思って、真剣に叱ってくれる上司にこそ、皆が付いてくるのだと思います。九つ叱って、一つだけ褒める。そのぐらいがいいですし、そのつもりだったんですが、古参の社員から「社長は99叱って、1褒めますよね」と言われたこともあります(笑)。
明日を変えずして、
5年先のことはわからない
――髙田さんは今、起業家賞などの審査員もされていますが、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー(以下、EOY)をはじめとした賞は起業家にとって、どのような意義があるとお考えですか。
髙田評価は自己評価よりも、他人に評価されることのほうが重要です。正当な審査によって、評価されることは、起業家の自信につながります。自己満足ではなく、人から評価されることは、自分がやってきたことが間違いではなかったという自信にもなる。しかも、賞をもらった人はさらに前進する努力をすると思います。
――起業家の社会的意義とは何でしょうか。
髙田ベンチャーにはさまざまなタイプがありますが、何のために仕事をするのか。そのミッションをきちんと持った起業家でなければならないと思います。おカネをたくさん持っていても、それほど意味はない。おカネをいかに使うか。自分のためだけに使うのか。あるいは、世の中のために使うのか。それによっておカネの価値も変わってきます。起業を目指す人はいかに自分のミッションを持つのか。それが結果としてお客様から支持されることにつながっていきます。
――尊敬される経営者はいますか。
髙田本を読んで感銘を受けるのは、松下幸之助さんや稲盛和夫さんです。社会のためにどんなことをしてきたのか。利益の先にあるもの。それが生きた証につながっていくと思います。
EOYの審査員をされている出井伸之ソニー元会長も尊敬する経営者の一人ですが、社長当時は私にとってみればいわば雲の上の存在という方でした。私も量販店のパーティに出席しましたが、出井さんの前にたくさんの人だかりができて、話すときは本当に緊張感が漂っていました。ソニーの商品をたくさん紹介してきたことが、私の歴史でもあります。ソニーのハンディカムはおそらく日本でいちばん売ったと思いますし、ソニーのテレビ「WEGA(ベガ)」というブランド名は、日本でいちばん連呼したかもしれませんね。
――最後に起業家を目指している方々に向けて、メッセージをお願いします。
髙田先にもお話ししましたが、自分のミッションを大事にしてほしいと思っています。何のために起業するのか。その原点を決して忘れてはいけません。ミッションを達成するには、パッションを持ってアクションを起こしていかなければならない。ミッション、パッション、アクションの三つを兼ね合わせて、人のために事業に取り組んでいくことが大切だと思います。
「不易流行」という言葉がありますが、変えてはならない不易の部分とは企業で言えばミッションだと私は思っています。グローバル化やデジタル化はものすごい勢いで進んでおり、その変化に対応することは大事ですが、ミッションは会社がどんなに成長しても変えてはいけないもの。
そして何よりも、今を生きることが大切です。何事も“つもり”にならずに、今を一生懸命生きる。未来でも過去でもなく、今の瞬間を生きていく。そうすれば明日が変わる。明日を変えずして、5年先、10年先は変わらない。そうしたことを胸に秘めてほしいと思っています。
文:國貞文隆
写真:今祥雄
取材:2018年8月9日
髙田明(たかた・あきら)
ジャパネットたかた創業者、A and Live代表取締役
1948年長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業。阪村機械製作所入社。74年父親が経営していた「カメラのたかた」に入社。86年に分離独立して「たかた」を設立。90年からラジオショッピング、94年にはテレビショッピングに参入。99年ジャパネットたかたに社名変更。2015年代表取締役を退任し、A and Liveを設立。17年よりJリーグ・V・ファーレン長崎の代表取締役社長として活動している。
“世界一”を決める起業家表彰制度
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーとは?
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは、1986年にEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設され、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えてきた。過去にはアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのサーゲイ・ブリン、ラリー・ペイジらもエントリーしている。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、各国の審査を勝ち抜いた起業家たちが国の代表として集結。“世界一の起業家”を目指して争うこのイベントは、英BBCや米CNNなど、海外主要メディアで取り上げられるほど注目度が高い。