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マネックス証券
会長
松本大
起業家は勝てない
マネックスグループ代表の松本大氏は、2000年代以降、多くの若者たちから注目を集めてきた起業家の一人だ。東大法学部を卒業後、ソロモン・ブラザーズを経てゴールドマン・サックスに入社、30歳という同社史上最年少でゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。だが、あっさりとその地位を捨て、オンライン証券を起業した人物である。そんな松本氏がこれまで成功してきた秘訣とは何か。飛躍のきっかけとは何か。そして、アントレプレナーに付きものの愚直さ以外に必要なものとは何かについて聞いた。
今日一日、自分の力を100%以上
出し切ったかどうかを考える
――この企画は「愚直に続けたから成功した、ワケじゃない」というタイトルですが、創業から愚直に続けていることとは何でしょうか。
松本よく働いていることですかね(笑)。というのも、私の考え方や目標設定の仕方というのは、どこまで行こうとか、何かをやれるようになりたいとか、誰々のようになりたいとか、そういう目標設定の仕方ではありません。
自分の力を150%、または200%、ちゃんと今日一日使ったかどうか。それが私の学生の頃からの考え方です。それもたとえば、仙台まで行こうではなくて、行けるだけ北に行ってみよう、という考え方なんです。私にとって大事なことは、今日は怠けたとか、仕事をやり切っていないとか、そういうことなんです。もし自分でそう思った日は反省するようにしています。その意味では、創業以来、ずっと愚直に働き続けてきたと思っています。
――コラム「松本大のつぶやき」もずっと続けていらっしゃいますね。
松本1999年8月から続けています。当時、ブログはまだなくメルマガしかない時代で、社員から「マネックスメールに何かコラムを書いてくれ」と言われたのが始まりです。一度書き始めると、次の日も書かなければならない。そう思って続けてきました。
というのも、休むと何かと気が引けるからです。マネックスメールは毎日出しているし、マーケットも毎日やっている。なのに、会社のトップが書き始めたにもかかわらず、休みたいから休みますというのはないだろうと。そうやって書き続けて現在、連載は4360回(5月中旬時点)くらいになっています。これまで1営業日も休まず、出張だろうが、バケーションだろうが、どんなに体調が悪かろうが、一度も落とさず書き続けてきました。1回平均600字ですから、今までに260万字くらい書いたことになります。
――他方で、愚直さ以外に成功につながったきっかけや取り組みはありますか。
松本異な者、つまり、他人と会って話を聞いていることだと思います。普通の付き合いの中で自分とは違う分野の人から話を聞く。たとえば、学者、事業家、アーティストなど幅広い分野の方々から話を聞いたり、いろんな本を読んだりしています。自分だけの世界にとどまらない違う分野の人の話を聞くと、発見もあるし、自分の脳みその帯域が広がるんです。それはとても重要なことだと思います。
私は今、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(国際的な人権NGO)や「ETIC.」(起業家的リーダーを育成するNPO)の理事をしたり、国内外の会社の社外取締役をしたりしていますが、そうした自分のテリトリーではないところに出ると、気づきを得たり、脳みそが柔らかくなったりするような感じがします。
――会食などでも、いろんな方とお会いされるとか。
松本会食もそうですけど、とにかく話をするのが好きですね。よく話すんですよ、私(笑)。休日も投資セミナーなどで地方に出かけますが、会場で受付をしている学生バイトさんとも話をします。地元の書店にも行きます。そこで書棚を見ていると、その地域の人は何に興味を持っているのかがよくわかります。タクシーの運転手さんともよく話をしますね。
それは経営に必ず役に立つから話すわけでもなければ、好奇心だけで話しているわけでもありません。経営と好奇心の間というか、それらが混ざっていると思います。
私はもともとトレーダーだったので、実を言えば、メディアの書くことをあまり信じていません。誤解なきように言えば、メディアが書くことは、ある一つの側面しかとらえていないということです。あるものが何であるかを知るには、一つの側面だけではなく、多面的に見なければわかりません。つまり、一人の記者の書いた一つの記事だけではなく、自分でほかの面もたくさん見なければその実態はわからないということです。
たとえば、アメリカのトランプ大統領についても、候補者の時点で大統領に当選する可能性は高いと予測していましたし、今年のリスクについては、北朝鮮だと指摘していました。私の予想、当たるんですよ(笑)。いずれも予測が当たったのは、いろんな人の話を聞いていたからです。もしトランプについて新聞やTVだけを見ていれば、大統領就任はありえないと思うだろうし、ニューヨークの金融関係者や機関投資家に話を聞いたとしても同じだったと思います。
ところが、ニューヨークでタクシーの運転手さんに話を聞くと、「絶対になる」という答えだった(笑)。つまり、偏見を持たずに、素直に客観的に情報を集めて、実体がどこにあるのかを探ることが大事だということです。自分たちだけで考えたり、メディアや金融関係の人たちばかりと会ったりしても、先は見通せません。もっと多様な人と話すことが大事なんです。
経営者は努力する
延べ量が多いほうがいい
――1999年に創業されて以来、ご自身の中でターニングポイントになったところはどこだと思われるでしょうか。
松本創業からいろいろ苦労もしたし、いくつかの国内証券も買収しているんですが、やはりアメリカの上場企業だったトレードステーション(アメリカで5~6番目に大きなオンライン証券)を2011年に買収したことが大きかったですね。
マネックスは私がゼロからつくった会社で、創業時は4人でスタートしました。上場させ、黒字化させ、ようやく儲かり始めたころって普通に考えれば「左うちわ」なんです。周囲は皆よく知っている人間ばかりだし、会社もいい感じで回っている。それはもう、楽なんです。しかし、それではもの足りなかった。あえて異なる血を入れることを選びました。
それは、長期的な視点で考えて、会社を強くすることにつながるからです。実はゼロから会社をつくってうまくいっているときがいちばん危ない。そんなときこそ、あえて他人を入れることで社内を牽制し、違うテンションも入れて、会社を強くする。実際、マネックスは買収によって、強くなったと思います。
それと、アメリカの証券会社を買収したというのは、アメリカは金融の本場であり、情報やアイデア、ルール設定に至るまですべてアメリカからやってくるからです。アメリカにかかわらないと、日本だけではビレッジ化(村のようになる)してしまう。その意味で、アメリカの証券会社を買収したことは大きなステップだったと思います。
――組織において、異なる血を入れるというのは確かに会社を強くする効果があると思います。しかし一方では、組織がバラバラになる可能性もあります。組織をうまく動かす方法はありますか。
松本それはないんですよ。ご指摘のように組織に異物を入れて、放っておけばバラバラになるのは当たり前です。しかし、だからこそ、意思を持って統合しなきゃいけないと思うわけです。意思を持たなければ、国内もグローバルもまとめられません。
確かに異物を入れると組織はグラグラするかもしれません。でも、少なくとも私の行動面から見れば、異物を入れたあとのほうが、努力が増えるわけです。それは苦労を抱え込むからです。でも、そうやって経営者が努力する延べ量が多いほうがいいと思うんです。そのほうが一時期は大変でも、必ず結果はついてきます。私も社員も大変ですが、それがイヤだと思って安穏としていたら、自分の力を150%以上出していないことになるわけです。そうした蓄積が、結果として差を生むことになります。だからこそ、プレッシャーをかけて、課題をもって、努力するんです。
――ご自分にプレッシャーをかけることが多いんですね。
松本そうかもしれない。たとえば、東証マザーズに上場して数年後、東証一部に昇格することが承認された日のことです。ミーティング中に、その報告を受けた私は瞬間的に「おう、次は何やろうか」と皆の前で言いました。社員はひっくり返っていましたね(笑)。東証一部昇格に向けた準備は本当に大変で、担当部署すべてが協力しなければなりません。社員にとっては達成感に浸る日のはずですから、「社長、ちょっとは一息入れさせてください」と言われました。
これは極端すぎるかもしれませんが、やはり人間は課題がないとダメなんです。人間、上り坂があると上るんです。努力するんです。平坦だったら、たらたら歩くだけですし、下り坂だったら何もしなくても進んでしまう。課題もなく楽な状態になってしまうと、社内政治とか、くだらない方向にエネルギーが向いてしまう。でも、本当に課題があると、そんなこと言っていられなくて、外敵のために皆で力を合わせるんです。
「出井伸之」の神通力
上からもらった恩は下に返す
――創業直後、証券オンラインサービスの開始時に、システムトラブルを起こされたことがありましたね。
松本2000年2月でした。マネックスは99年4月に創業し、同年10月1日、手数料が完全自由化された日に開業しましたが、翌年2月のその週は金土日が連休で、その前日の木曜日の午後2時43分にシステムトラブルを起こしました。その日は17分間システムが止まって終わったんですが、そのあとの3日間が修羅場でした。
当時、出資を受けていたソニーの出井伸之社長にも電話をしました。連休中の日曜日の朝に出井さんに電話して状況を伝え、「もしかすると明日月曜日に店を開けられないかもしれない」「最悪な方向に行くと、出資していただいたおカネが紙クズになるかもしれない」。そう説明しました。それは最大リスクを伝えることが大事だと思ったからです。
そのとき、出井さんは、「うん、わかった」と言った後、「それで、松本さん自身はどう思うの?」と聞いてきました。私が「直ると思います」と答えると、「じゃあ、がんばって」と。
結局、原因はサーバーのハードウエアの瑕疵でした。ソフトウエアや自分たちでつくったプログラムならわかるんですが、ハードウエアでは通常ありえない事態でした。当時、世界最高峰のサーバーを使っていましたし、そのハードに問題があるとは考えにくかったこともあって復旧には時間がかかりました。システムはなんとか日曜夜までに直りましたが、月曜日からも大変でした。
――なぜですか。
松本その月曜日から、システムトラブルが起きた午後2時43分前後になると通信が遅くなるんです。簡単に言うと、ハードウエアに瑕疵がある中でパフォーマンスを最大限に上げるようなシステム改修をしていましたから、通常とは違うことが起きていたんですね。
そんなときでした。その週の木曜日の朝会社に出社したら、私の机の横に大きな包みが二つありました。「陣中見舞 出井伸之」。それだけ書いて置いてありました。そのうち一つはお世話になったシステム会社の方々に持っていきました。当然現場は盛り上がるわけですよ。そして、不思議なことに、その日からシステムが順調に動き出したんです。
現在、出井さんには当社の社外取締役をしていただいていますが、創業当時からいろいろと勉強させていただきました。私は上の代からもらった恩は、下の代にしか返せないと昔から思っています。出井さんからもらった恩も、下の代に返す。だから、「エンデバー」(世界最大の起業家支援NPO)や「ETIC.」などで起業家支援を行っているんです。
――IIJ(インターネットイニシアティブ)の鈴木幸一会長とも創業時から懇意にされてますね。
松本かつて半年から1年くらい鈴木さんの書生のようなことをしていたことがあります。マネックスを創業する前後の1年間で、100回以上、会食にご一緒しました。鈴木さんは世界中の通信会社やさまざまな人と会食していましたが、そこに「IIJ顧問」という肩書きで参加していたんです。まさに「門前の小僧習わぬ経を読む」のように、まあ、本当にIT分野や世の中の仕組みには詳しくなりましたね。創業の頃は、本当に出井さんと鈴木さんにはお世話になりました。
――起業家支援にはどのような思いがあるんですか。
松本支援というのはおこがましくて、支援というよりも応援ですね。内容としてはNGOやNPOに寄附をしたり、起業家同士をグローバルでつなげたりといった応援をしています。
起業家の中には成功すると豪邸や別荘を持とうとする人もいますが、それってどうなんでしょう? そういう欲が起業のモチベーションになっているんでしょうからすべては否定しませんが、たとえば5000万円の新築物件を買ったら、買った瞬間に1割の500万円ぐらいは価値が下がるわけですよ。だったら、その500万円を寄附して次世代の社会を担うような人材の育成に役立てたほうがいいんじゃないかと思いますよね。
それも単に起業家を育てるだけでなく、「起業家支援団体」を育てることで、起業家を生み出すための仕組みを世の中に広げたい。いわば、次世代を応援していくエコシステムをつくりたいんです。そうした仕組みをつくるために、私はカタリスト(さまざまなものをつなげる触媒者)のような役目ができればいいと思っています。
起業は、やらざるを得ないからやる
必死にもがかずに成功はない
――若い起業家に対してはどのようなアドバイスをするのでしょうか。
松本人にはそれぞれのスタイルがあります。一つの価値観を押し付けるのはよくありません。私も押しつけられたくありませんし、ほかの人もそうでしょう。
ただ、世の中には星の数ほど競争相手がいます。その中で、少なくとも自分が100%の力を出さなければ、絶対に勝てるはずがありません。世の中で80%の力で勝てることなんてあり得ない。150%の力でやっても負けるときがあるくらいですから。
その意味で、愚直さは当たり前なんです。だからこそ、愚直以上にやらないと、勝てない。何事も真剣にぶつからなければ、いい結果は生まれないんです。
――というと、若い起業家は努力が足りないですか?
松本今の若い起業家予備軍を見ていると、感心することも多いです。以前より優秀な人たち、いい学校の人やいい成績の人が大勢やってくるし、層も厚い。ただ、みんな成功するつもりでやっているんです。もっと言えば、合格点がとれるつもりでやっている。
私は起業家になりたての頃、成功するなんて考えたことはほぼありませんでした。「おそらく失敗するだろう。それでもやらなければならない」、そう思いながら、必死にもがいてがんばった。私は性格的に楽観的なほうですが、それでも簡単に成功するとは思えなかった。
今の起業家を見ていると、まるで大学受験でもしているかのように見えてしまう。起業はそういうものではありません。失敗する可能性が大きくても、やらざるを得ないからやるんです。
そうやって、懸命にがんばって行きつく先は、「人間の能力なんてたいした差がない」ということなんです。では、人はどこで違ってくるのか。クルマのエンジンはトルク×回転数が出力です。トルクは皆ほとんど変わりません。違うのは回転数なんです。それによって出力が変わってくるんです。だからアイドリングしている人と、回転数が多い人に差が生まれる。回転数を上げずして、なぜ出力が上がるのか。私はいつも、そう思いながら仕事をしています。
――EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーについて、どう評価されていますか。
松本起業家を支援する意味でいいと思います。今の起業家たちを支援していく仕組みはもっとたくさんあったほうがいい。これからの日本の未来は次世代の育成にかかっています。その意味で、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは起業家を日本だけでなく、世界につなげていくという機能を持っています。グローバルに戦える人材を育てるには、もっと彼らに世界を見せたほうがいい。まさにこの世界大会はそうした場でもあります。世界の起業家のさまざまな価値観に触れることで、自分の視点をもっと広げてほしいと思っています。
――今後、マネックスをどのような会社にしたいですか。
松本変化する会社であってほしいと思っています。もっと進化させていきたい。これまでもいろいろとやってきましたが、それは連続的な成長だった気がしています。今はそれよりも、非連続な進化を遂げたい。その意味で変化する会社にしたい。そう思っています。
文:國貞文隆
写真:今祥雄
取材:2017年4月11日
松本大(まつもと・おおき)
マネックスグループ代表執行役社長CEO 兼 マネックス証券取締役会長
1963年生まれ。87年東京大学法学部卒業後、ソロモン・ブラザーズを経て、ゴールドマン・サックスに勤務。94年、30歳で同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。99年にソニーとの共同出資でマネックス証券を設立。2004年にはマネックスグループを設立し、以来CEOを務める。マネックスグループは、個人向けを中心とするオンライン証券子会社であるマネックス証券(日本)、TradeStation証券(米国)・マネックスBOOM証券(香港)などを有するグローバルなオンライン金融グループ。東京証券取引所の社外取締役を08年から13年まで務めたほか、数社の上場企業の社外取締役を歴任。現在、カカクコム、米マスターカード、ユーザベースの社外取締役も務める。
“世界一”を決める起業家表彰制度
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーとは?
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは、1986年にEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設され、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えてきた。過去にはアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのサーゲイ・ブリン、ラリー・ペイジらもエントリーしている。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、各国の審査を勝ち抜いた起業家たちが国の代表として集結。“世界一の起業家”を目指して争うこのイベントは、英BBCや米CNNなど、海外主要メディアで取り上げられるほど注目度が高い。