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シャトレーゼホールディングス
会長
齊藤寛
飛ぶように売れる商品を作ればいい
国内520店舗、海外60店舗を展開する和洋菓子チェーン、シャトレーゼ。その経営戦略は異色で、ケーキや和菓子、アイスクリームなど数多くの商品をすべて自社工場で生産し、直売店で販売するというもの。現在では菓子のほか、ワイナリーやホテル、ゴルフ場などリゾート事業も行い、売上高は連結662億円(単体:543億円、ともに2019年3月期実績)を誇っている。その功績から、起業家を表彰するEOY2018 Japanでのマスターアントレプレナーオブザイヤー部門を受賞。この企業グループを一代で築いた齊藤寛会長の起業家としての生き方とは――。
酪農が成立しない暑い地域では
原料の現地調達はできない
――現在、シンガポール、香港、インドネシア、ベトナム、ドバイなど海外に積極展開していますが、その状況はいかがでしょうか。
齊藤海外、とくに暑い東南アジアで生菓子を売るというのは、考えてみれば非常識なことです。なぜならいい材料がなく、現地調達が困難ですから。例えば、ケーキの原料となる牛乳、生クリームを入手しようにも、現地はとても暑い地域ですから、そもそも酪農が成立していません。卵についても、鶏は暑くて水ばかり飲むため薄い味の卵になってしまう。ケーキ作りに欠かせない薄力粉もない。薄力粉はやはり日本のものがいちばんで、ヨーロッパにも同等の品質のものはありません。じゃあ現地で、ハンドメイドで作ろうとすると、暑いのでどうしても菌が発生してしまう。
――しかし、シャトレーゼは暑い地域でも伸びています。
齊藤そうです。シャトレーゼの特徴は、問屋を介さず、生産者から直接原料を仕入れ、自社工場で生産し、販売も直接行うことにあります。いわば、生産から販売まで一貫管理する完全なトレーサビリティーのもと、厳選された素材を使って、高品質な商品をリーズナブルな価格でお客様に提供しています。この製造小売りの仕組みを基に、日本で生産した純粋なメイド・イン・ジャパンの生菓子を瞬間凍結してアジアで販売しています。そうすることで、暑い地域でのローカル商品と比べると、味のレベルが全然違うものをお届けできる。アジアでは非常に高い競争力を保持しています。
――少子高齢化が進む国内市場の動向はどう見ていますか。
齊藤菓子市場は二極化するだろうと見ています。特徴のある個店か、大規模メーカーしか生き残れないでしょう。ほかの業界を見てみると、例えば、呉服業界は市場が縮小する中で、残ったのは特徴ある老舗か、売り上げの大きい大規模店でした。中途半端なお店では生き残れないんです。菓子の市場でも、そうした動きがこれから広がっていくだろうと考えています。
――シャトレーゼは現在、単体で売上高543億円(2019年3月期実績)と業界トップメーカーに成長しています。会長が創業時から現在まで、愚直に続けていることとは何でしょうか。
齊藤それはシャトレーゼの社是である「三喜経営」(「お客様に喜ばれる経営」「お取引先様に喜ばれる経営」「社員に喜ばれる経営」)を実践し続けてきたことです。しかも最初に「お客様」、次に「お取引先様」、最後に「社員」という順番が大事です。この順番を基に関係者の皆さんに喜ばれる経営を愚直に続けてきました。
こうした社是は「お題目」になりがちです。そのため、私は社員たちにこの社是を実際の問題解決に生かすように指示しています。例えば、営業マンがお店に出向くと、どうしても自分の成績を上げるための施策を考えてしまいます。だから、なかなか営業がうまくいかない。まずは自分ではなく「お客様が喜ぶことは何かを一番に考えるように」と言っています。そして、次に店が儲かる仕組みを考える。その2つが実現すれば、結果として自分の成績に反映されるんです。大事なのは、社是を基に実践すること。社是は書いて飾っておくだけでは、効用を発揮しません。
事業で勝ちすぎては
おごりが生じる
――では、愚直なこと以外で、成功につながったきっかけとは何でしょうか。
齊藤シャトレーゼは未上場企業ですが、かつて上場しようと思ったことが一度あります。実際に準備も進めていたんですが、発表直前になって思いとどまりました。なぜか。それは上場すれば、社是である「お客様」「お取引先様」「社員」という順番をすべて飛ばして、一番前に「株主」が来てしまうと思ったからです。私が事業で思い切った失敗ができるのも、自分がオーナーだからです。だから、思い切ってお客様のためになることにチャレンジできる。多くの株主が入ってくれば、やりたいことができなくなる。上場しなかったことが、1つの成功のきっかけになったと考えています。
――シャトレーゼの成長を決めた大きなポイントとは何でしょうか。
齊藤私たちの事業は当初、「甘太郎」という九州に本部を置く菓子チェーン店に加盟するところから始まりました。しかし、どうも仕事が面白くない。というのも、商品の性質上、夏は商売が暇になり、時間を持て余してしまうんです。そこで夏にできる商売はないかと考えました。通常は店舗を持っているからアイスクリームを売るんですが、私は先にアイスクリームの工場を造ってしまいました。そして、タイミングが悪いことに、当時アイスクリームのローカルメーカーの時代は去り、大手メーカーが市場を席巻し始めていました。結局、私のアイスクリームが市場に入り込む余地はなかったんです。
そこで始めたのが、10円シュークリームです。当時は、コンビニもない時代です。駄菓子店や青果店など一般の小売店が売り場になるんですが、そうした店には冷蔵ケースがないわけです。冷蔵ケースがいらない商品は何かと考えた結果、冷蔵ケースが必要ないほど、売り場に置けば飛ぶように売れる商品を作ればいい、と思い至りました。そうして、当時50円ほどだったシュークリームを10円で売ることにしたんです。これがまさに飛ぶように売れた。それを問屋にも卸し始めたことで、アイスクリームを売る販路も確保できるようになりました。
――ピンチの中から知恵が出てくるものなんですね。
齊藤人間は順調なときに知恵は出ません。逆境のときこそ、チャンスなんです。私が尊敬する武田信玄は、戦について「五分では励み、七分では怠り、十分ではおごりが生じる」と言っています。つまり、勝ちすぎてはいけないんです。私の会社も国内では勝っていますが、海外ではまだまだ。一分も勝ってはいない。つねに、そうした状況に会社を置くことが大事なんです。
そういう意味では、無借金経営はよくないと思っています。借金するからこそ、知恵が出てくる。会社が大きくなると、どうしても危機感がなくなり、会社にぶら下がろうとする社員が増えてしまう。一人ひとりの社員に使命と役割を与え、つねに危機感を持って仕事をしてもらう。それが会社の体質を強化することにつながるんです。
会社がピンチのときに
従業員はトップの顔を見る
――では、これまでで最も苦労したことは何でしょうか。
齊藤1984年、50歳を迎えるころに、現在の本社工場を造った時です。会社の年商が48億円の時に、投資額50億円をかけて工場を造りました。当時の市場動向を見ると、駅前の店舗だけでなく、それまで売れないと思われていた郊外店が数字を伸ばすようになっていました。そこで私たちも郊外店を持とうとフランチャイズを始めたんです。ですから、生産体制を増強する必要がありました。
しかし、新工場が本稼働する前に、もともとあった主力工場が火事で全焼してしまい、満足に商品を取引先に卸せる状況ではなくなった。急きょ、新工場で試運転もせずに生産を始めたんですが、困ったことに主婦をはじめとしたベテランのパートさんたちの大半が、新工場は家から遠いという理由で次々に辞めてしまったんです。新工場は勝手のわからない新人ばかり。毎日生産ロスが生じ、計画どおりに進まない。しかも、同時期に、営業をすべて担当していた自分の右腕ともいえる専務、左腕の工場長をともに病気で失ってしまった。本部では幹部の造反が起き、大量退社も発生してしまう。自分の手足をすべてもぎとられたうえに、本部も機能不全に陥ってしまったんです。
――組織がガタガタになってしまって、どうやって立て直したんですか。
齊藤結局、会社がピンチに陥ったとき、従業員たちは全員トップの顔を見るものです。トップがへこたれていては駄目です。大事なことは最悪の状況の中でも、一筋の光を探そうとすることです。一つひとつ問題をクリアしていたとき、地元で国体が開催されることに目をつけました。私がハンドボールをやっていたものですから、会社がピンチの中、実業団チームをつくりました。その結果、社員の団結力が高まりました。
そして同時に、ヒット商品をもとに工場直売店を新たに始めたんです。これが爆発的に成功しました。全国各地から出店申し込みも相次ぎ、ロイヤルティーを取らないシャトレーゼ独自の郊外型フランチャイズ店の全国展開を進めることになったんです。
――大きく会社が成長するときトップはどんな感覚でいるんですか。
齊藤何も変わりません。今でもシャトレーゼは大企業だと思っていません。何事も積み重ねにすぎないんです。ただ、成長には必ず踊り場があります。とくに成長が続くときが危ない。会社が大きくなれば、自分の力だけではどうしても対応できなくなる。自分と同じくらいの力量を持った人が何人も必要になりますが、それにふさわしい人材はなかなかいません。その局面を打開するには、若手を育成しなければいけません。ですから、思い切って仕事を現場に任せて、私自身はホテルやゴルフ場の再生事業に専念しました。
しかし、本業は思うような結果を出せなかった。そこで今度は事業を20くらいに細かく分けることで若手リーダーを横並びで育成することにしました。そうすることで、少しずつ結果が出るようになりました。仕事を楽しめば、アイデアも自然に出てくる。目標を達成すれば、こちらも報奨金で応える。そういう循環をつくることで、若手はもっとやる気を出します。社内の体制を整えたことで、次への成長へつなげることができました。
コンサルの話を聞いて、
その逆をやってみる
――事業を成功させるポイントとは何でしょうか。
齊藤本業以外にホテルやゴルフ場などリゾートの運営もしていますが、そこにはシャトレーゼ流のノウハウを導入しています。大事なポイントは、「この業種なら、こんな仕事のやり方だ」という固定観念を乗り越えることです。これまでと同じやり方では、どんぐりの背比べで競争の渦の中にのみ込まれてしまう。そうではなく、やはりお客様の目線で、商品やサービスのどこに不足があるのか、または不満があるのか、そこを探して改善していくことが事業を成功させる1つの大きなポイントだと思います。
――会長は日頃、経営のどこを見て事業の判断をしているのでしょうか。
齊藤もちろん数字です。数字はすべてを表してくれます。経営指標をはじめ、新たな市場に参入するときも、その国の人口数や平均年齢を見ます。そして、世の中の動きを見て、「この業態は将来こうなるな」という予測を立てて、新たな手を打っていきます。
私は人から教わることがあまり好きではありません。コンサルタントに話を聞くこともありますが、どんなことが流行しているのかということを学ぶのではなく、知るために聞くんです。コンサルの話を聞いて、その逆をやるんです。皆がこちらをやるなら、私はあちらをやる。コンサルの話を聞くのは敵情視察みたいなものですね(笑)。
――2018年にEOY(EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤー)のマスターアントレプレナー賞を受賞されています。
齊藤私はたいしたことをやっているつもりはないんですが、やはり賞をいただくと、うれしい気持ちになります。通常、受賞パーティーなどに招かれると、過去の業績を評価したものになります。しかし、今回の賞は、現在進行形として、まだまだ成長することを見込んで評価された賞なので、本当にうれしかったですね。私も歳を重ねましたが、気持ちは一介の起業家のつもりでいます。まだまだこれからです(笑)。
――若手の起業家に今必要なものとは何でしょうか。
齊藤私は陸海空のすべてが好きで、高級スポーツカーを持っていますし、船では一級船舶免許を取得し、航空会社に出資もしています。私は敗戦の中から何もない時代に育ったので、欲しいものが多かった。その渇望感が仕事への意欲につながった側面は強いです。
ところが、今は豊かな時代になり、そうした貪欲さは見られない。もちろん今の時代に合った生き方があるとは思いますが、それでは成長に貪欲な中国などの国々と伍して戦うことは難しくなるかもしれません。自分が世の中に何をするために生まれてきたのか、人生で何を成し遂げたいのか。もっと危機感を持って、日本の将来のことを考えてもらいたいと思いますね。
――最後に読者へ向けてメッセージをお願いします。
齊藤ぜひ大きな希望を持っていただきたいですね。「そこそこ」の希望ではなく、文字どおり「大きな」希望です。私は実家がブドウ農家だったので、当初は跡を継ぐつもりでいました。それでも、そのときの目標は「日本一のブドウ農家」。菓子をやるようになってからも、やはり日本一を目指してきました。周囲からはホラ吹きなんて言われましたが、一度口にすれば自分もやらなければならないという気持ちになる。事業がいくら苦しくても日本一を目指し続けたことが、いまの成功につながったと思っています。
文:國貞文隆
写真:今祥雄
取材:2019年4月22日
齊藤寛(さいとう・ひろし)
シャトレーゼホールディングス会長
1934年山梨県生まれ。山梨県立日川高校を卒業後、54年に甘太郎、64年に大和アイス設立。67年に2社を合併してシャトレーゼを設立、代表取締役に就任。2018年から会長。
“世界一”を決める起業家表彰制度
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーとは?
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは、1986年にEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設され、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えてきた。過去にはアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのサーゲイ・ブリン、ラリー・ペイジらもエントリーしている。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、各国の審査を勝ち抜いた起業家たちが国の代表として集結。“世界一の起業家”を目指して争うこのイベントは、英BBCや米CNNなど、海外主要メディアで取り上げられるほど注目度が高い。