愚直に続けたから 成功した、ワケじゃない

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大創産業
創業者

矢野博丈

成功したきっかけなんてない
がむしゃらに働いただけ

矢野博丈氏は、国内3278店、海外1992店で100円ショップ「ダイソー」を展開し、従業員2万1185名、売上高4548億円(2018年3月期)を誇る大創産業の創業者だ。その功績が認められ、EOY2018Japanで日本代表の座を勝ち取り、6月にモナコで開催される世界大会に出場する。矢野氏の人生は起伏に富む。若くして700万円の借金を背負って夜逃げ。その後、セールスマンやちり紙交換など9回の転職を経て1972年、雑貨の移動販売を行う「矢野商店」を創業し独立。87年から「100円SHOPダイソー」の展開を始め、チェーン展開を本格化し、現在の成功を得た。そんな矢野氏の経営哲学や生き方、成功の要因について聞いた。

夜逃げするときに
俺の人生は終わったと思った

――「愚直に続けたから成功した、ワケじゃない」という企画です。創業時から愚直に取り組んでいることは何でしょうか。

矢野私は能力がないから、一生懸命、目の前のことをやること以外手がなかったんですよ。最初に100円ショップを始めたときは、取引先の銀行やコンサルタントから「やめたほうがいい」と言われました。いくら儲けても1品100円です。そこから原材料費を引いて、人件費を引いて、家賃を引いたら、どう考えても儲かるわけがない、商売になるわけがないと言われました。それでも一生懸命続けてきました。

――しかし、100円ショップは利用者にとっては革命的でした。

矢野文具店や雑貨店、食料品店といったジャンルの商売を、すべて100円という単位で統一した売り方をした。ある意味で、これは革命的だった。でも、私からすれば、仕方なしにやったことなんです。決して戦略的にやったことではない。昔から行き当たりばったりという言葉が好きですが、戦略的にやるよりも目の前のことを、行き当たりばったりでも一生懸命やったほうがいい。

 去年まで会社でも予算を組んだことがなかったんです。47年間予算を立てたことがないんですよ。目標、ノルマ、予算なし。売り上げなんてお客様が買ってくれて決まるものなのに、私たちが勝手に決めても仕方がない。だから、行き当たりばったり。私、この言葉が好きなんです(笑)。

――では、愚直以外で成功したきっかけは何だと思いますか。

矢野成功したきっかけなんてないね。ホントにない。ただ、がむしゃらに働いていただけ。夜逃げしたり、潰れかけたりしたから、自分には運がないと思うようになった。本のセールスをしたこともありますが、30人中27番の成績。話上手でもないし、営業もできない。何をやってもうまくいかない。運も能力もない。次第に人生に対する諦めが生まれて、成功しようなんて思ってなかった。

――ご自身で「運も能力もない」と言い切ってしまうんですね。

矢野例えばね、夜逃げをするときの苦しさ、悲しさ、絶望感といったらない。俺の人生は終わったと思ったし、あの絶望感の中にいれば、運も能力もないと思わされるよ。運は他力で、能力は自力。他力からも自力からも見放されたら、本当にしんどいよ。

――でも、ご実家は広島の旧家で、お父様も医者をされて、いわゆる名家の出身です。

矢野祖父は大地主、母は銀行家の娘でしたけど、子どもの頃は貧乏でしたよ。ただ、今思えば、貧乏でしたけど、両親が見栄っ張りだったのはよかった。だから、100円ショップを始めたときも、価格が100円でもいいものを売りたいと思った。「安物買いの銭失い」とは言わせたくない。100万円の車は高級とは言えないけど、100万円の家具は高級でしょ。私は100円で高級品を売っている。親から見栄っ張りの遺伝子をもらってよかったと思います。

――医者をされていても貧乏だったんですか。

矢野貧乏でした。貧しい患者ばかりを世話していたので、おカネを取らなかったんです。父は働き者で、私には、悪い友達と付き合うな、勉強しろ、働け、手に職をつけろとよく言っていて、そればかりが頭に残っていましたね。だから、能力はないけど、一生懸命働いた。でも、今思うのは、最終的には「運」ですよ。運は親や先祖からもらったものが半分、残りの半分は毎日一分一秒自分がつくっている。残り半分の運をどうつくるかを考えたほうがいいと思うようになりました。

人並みの生活ができないなら、
一生懸命働いて生きていければいい

――起業されたときは、どのようなお気持ちだったんですか。

矢野起業だなんて、そんなカッコいいものじゃない。食べるためだけに始めたんだから。辞めたいときもあったけど、社員もいれば、家族もいる。仕方なしに泣きながら、走ってきただけです。

――では、起業のときの志などは……。

矢野ないない、ゼロ(笑)。食べることができればいいと思ってた。運も能力もなくて、人並みの生活ができないなら、一生懸命働いて生きていければいい、それ以上の欲は持つなと自分に言い聞かせていました。だから、儲けたいとか、会社を大きくしたいとか、一度も思ったことはありません。

――運がよくなるような勉強をしなさい、とよくおっしゃっていますね。

矢野学生までは勉強が本分ですが、社会人になったら、運をよくすることを考えたほうがいい。人は支えられて生きています。人という字は文字どおり、支えられて人という字になる。人を支えるものが運です。運はいいことの積み重ねですから。

 では、運をつけるにはどうすればいいか。やはり笑顔のいい人や前向きになって働く人についてくる。私も一生懸命働いたときに、運をつけていたのだと思います。儲けたいとか見返りを欲しがらずに、ただただ働いたんです。

――ひたすら懸命に働くという話を聞くと、まるで修行僧のように見えます。

矢野そんなことはない(笑)。酒もよく飲んでいましたよ。でも、働くことは好きだったんですよ。本のセールスはうまくいきませんでしたが、ちり紙交換をやったら、一番になった。体を動かして働くことが好きなんです。働くことは遊ぶことと同じ。今もゴルフをするよりも、みんなの荷物出しを手伝うほうが楽しいぐらいです。

 もともと実家が庄屋で、何かあれば集落の世話をしなければなりません。いつ何が起こるかわからないから、人より早く起きて、長く働いていた。先祖からそんなDNAを受け継いでいるから、働くことが好きなのかもしれません。働くことは徳を積むことでもあります。昔は地位やカネもあって頭のいい、欲深い経営者が成功していましたが、21世紀はそんな経営者は生きていけないかもしれないですね。今は商売というよりも「商売道」を極めた経営者が成功しているように見えます。

――これまでいちばんの苦労だと思うことは何ですか。

矢野会社が潰れかけたときです。もう1日4箱くらい、ひっきりなしにタバコを吸っていました。まだ火がついているのに、次のタバコを吸おうとする。会社が潰れると思うと、朝4時までぜんぜん眠れない。それで6時ごろに目が覚めて、会社に行ってもまったく眠くならない。うつとは違う、一種のノイローゼ状態です。3日くらい寝てないから、今夜は眠れるだろうと思っても一切眠くならないんです。

 経営者は本当の危機に陥ると、血の気が引いて顔が真っ白になる。怖いものです。一時期、私も会社が潰れたら死のうと考えていました。ゴルフ場に行っても、首吊りができるような木を探すぐらい追い詰められていました。会社が小さいときは田舎の旅館に家族で逃げ込んで住み込みで働けばいいと思っていましたが、会社が大きくなるとそうはいかない。強迫観念みたいなもので、死ぬこと以外考えられなかった。当時の夢は「畳の上で死ぬこと」でしたから。

起業家に必要なものは持続力
だから、愚直になることが必要

――死ぬことばかりを考えていたと言われますが、なぜかネガティブには見えません。むしろポジティブに見えます。

矢野ネットでは「自虐の社長」と言われとるね(笑)。ポジティブでいることも徳を積むことと同じです。冗談も好きです。人を笑わせることが好きだから、それで徳を積んでるといいんですけどね。

――「自分は40歳まで一人前じゃなかった」とおっしゃっています。

矢野カネがないから40歳まで家族を満足に食べさせることができなくて、実家で生活費や食事の面倒を見てもらっていたからです。不甲斐ない父親で稼ぎも少なかったから、子どもには中学出たら、働けと言っていた。実家の親には情けないと怒られました。ですが、今、どういう巡り合わせか、長男は医学部の教授をやっています。実家の親が見たら、喜ぶでしょうね。40歳まで恵まれなかったおかげで今日があると思っています。

――今、経営上のことで気をつけていることはありますか。

矢野業績がいいときがいちばん怖い。いい状態になると、皆がこのままいい状態が続くと思ってしまう。これがいちばん怖いんです。いいことは長く続きません。知り合いの新聞記者から「小売業のナンバーワンは潰れる」と忠告されて、そんなことはないと思っていましたが、現実にそれが過去に起こっているんです。いいときこそ、浮かれずに謙虚になるべきなんです。

――EOYの日本代表に選出され、モナコの世界大会に出場することになります。

矢野ありがたい話です。日本代表にさせていただいたからには、世界大会でもしっかりと闘っていきたいですね。起業家としての普段の思いをぶつけていきたいと思っています。日本の起業家として頑張りたいですね。

――EOYを始めとした起業家賞の意義をどう考えていますか。

矢野うれしいよね。商売は人生そのものだから。自分の人生を褒められたようで、恥ずかしいけれど、うれしい。家族にはいっぱい迷惑をかけたし、従業員にも苦労をかけた。今は懐かしく思えてきます。

――社会にとって起業家の意義とは何でしょうか。

矢野運も能力もない私のような人間でも、一歩一歩真面目に一生懸命働けば、運の女神がほほ笑んでくれる。そんな生き方もあるということです。起業家にとって必要なのは、やる気よりも継続することです。持続力と言ってもいい。辞めたくなっても耐えて続ける。そのためには、最初の話に戻るけど、愚直になることが必要だと思います。

文:國貞文隆
写真:今村拓馬
取材:2019年1月24日

矢野 博丈(やの・ひろたけ)
大創産業創業者

1943年生まれ。広島県出身。67年中央大学理工学部二部土木工学科卒。さまざまな職業を経て、72年に「矢野商店」を創業。その後、均一価格の商売に弟子入り。77年にのれん分けで「大創産業」として法人化。87年「100円SHOPダイソー」の展開を開始。91年に最初の直営店を高松市に出店し、全国展開を本格化させた。現在は社長を子息に譲っている。