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GMOインターネット
代表取締役会長兼社長・グループ代表
熊谷正寿
「愛」と「仲間」が企業の支柱
GMOインターネット代表取締役会長兼社長・グループ代表の熊谷正寿氏は、1984年、21歳のときに、「事業家として圧倒的なナンバーワンの会社をつくり、35歳で会社を上場させる」という人生計画を立て、15年後、計画から1カ月遅れの36歳でその夢を実現させた。現在は、インターネットを軸にインフラ、広告、金融、仮想通貨など、さまざまな事業を展開し、日本を代表するIT経営者の一人となっている。そんな熊谷氏に、成功の秘訣、アントレプレナーとしての生き方について語ってもらった。
手術と2カ月の入院
「自分は死ぬのか」
――1995年にインターネット事業に参入して以来、今年で23年目を迎えられました。その中で、最大の転機となったものは何でしょうか。
熊谷実は、2017年の7月から2カ月ほど入院していました。今は元気にやっていますが、それが最大の人生の転機となりました。
結果としては良性だったのですが、病気が発覚したときは目の前が真っ暗になりました。手術をして、術後の検査結果が出るまでの1カ月は、「自分は死ぬのか」と正直思っていました。
――そのときは、どんな思いでいましたか。
熊谷人間には寿命があります。つまり、人間にとって時間は命そのものです。入院をきっかけに、自分の時間には限りがあることを実感しました。残された自分の命を何にささげるのか。会社のこと、家族のこと、仲間のこと。遺言状も書こうとしました。それほど自分の命について深く真剣に考えることになりました。
幸いにも良性という結果が出ましたが、残された時間を何にささげるべきか改めて考え、次の1カ月間は、ものすごく勉強しました。その勉強の結果、仮想通貨の発掘(マイニング)事業に参入することに決めたのです。
自社でのマイニングと(高度な計算を必要とするため参入が困難と言われる)マイニングマシンの開発に約380億円の投資を決めたのは、入院がきっかけとなりました。
――入院中に、どんな勉強をされたのですか。
熊谷国内外のインターネット業界の分析を中心に、ありとあらゆる勉強をしました。世界中のIT企業が今注目していること、投資しているものを自分なりに分析して、キーワードをマインドマップにすべて整理して可視化し、何度も考え、修正しました。
23年近くインターネットの仕事をしていると、業界では一昔前の人間だと思われますし、自分の考えも古くなりがちです。だからこそ、自分の考えを更新すべく、必死に勉強しました。会社はどこに向かうべきか。冷静に考えた1カ月間でした。
つねに勉強し続け、
「愛」と「感謝」を大事にする
――アントレプレナーとしての人生を振り返ることもありましたか。
熊谷死ぬかもしれないと思っていたので、もたもたしているのではなく、もっと仕事をしておけばよかったと思いました。ただ、そんなことばかり言ってられないので、反省の後は完全に加速モードに入りました。特に仮想通貨発掘事業で、参入が困難と言われるマイニングマシンの開発に成功したことは大きいですね。
現在、世界でマイニングマシンを大量につくっているのは、主に中国の企業です。そこにGMOが参入することになりました。日本の半導体技術を集結して、自社開発したものです。これまでインターネット事業をやってきた中で、この事業は最大のインパクトを与えるものになると思います。
――これまでも自分の人生計画をつくり、実行されてきました。その意味で、創業時から愚直に続けていらっしゃることとは何でしょうか。
熊谷つねに勉強していることです。私は今、何事にも最優先して、半導体のエンジニアとミーティングを重ねています。勉強し続けることで、今は半導体に詳しくなっていますが、起業家はつねに勉強し続けることが重要だと考えています。
――他方、愚直以外で成功した秘訣とは何でしょうか。
熊谷今でも成功しているとは思っていませんが、あえて言えば、「愛」と「感謝」の気持ちを持つことだと思います。物事を判断するときに「利益」を基準に考えるのではなく、「愛」と「感謝」を基準に判断していくことが大事です。
私はインターネットの事業を始めて23年間、「儲かるからやろう」と言ったことは一度もありません。おカネ儲けは結果でしかないのです。
最高のエンジニアは
最高のエンジニアと仕事がしたい
熊谷わが社では「従業員」や「子会社」といった上下関係を表す言葉を禁止用語にしています。従業員も子会社も「仲間たち」と呼んでいます。そんな仲間たちが誇りを持てるようなビジネスを展開していく。ですから、一番にこだわるのです。二番のことをやっていても仲間たちは誇りを持てません。すべて一番にこだわっているのは、結果として、仲間たちが誇りを持てて、笑顔になってほしいからなのです。
――GMOは組織力があると言われていますが、どのように組織力を高めているのでしょうか。
熊谷組織力とは、結局のところ、人の力です。大事なことは、いい人が集まる仕組みをつくるということです。それは「愛」と「感謝」の経営でなければ実現できないことです。恐怖に基づくマネジメントをしていれば、皆辞めてしまいます。「愛」と「感謝」の気持ちで多くの仲間たちが笑顔になるような職場づくりが大事だと思います。
――エンジニア不足が叫ばれていますが、どのように人材を確保しているのでしょうか。
熊谷エンジニアに集まってもらうためには、最先端のテクノロジーの中で、一番のものに取り組むことです。最高のエンジニアは最高のエンジニアと仕事がしたい。誰もが自分のスキルを高めたいと思っているからです。だからこそ、最高のエンジニアが、意欲的に仕事に取り組める環境を整えることが大切なのです。
最高のエンジニアがいれば、最高のサービスができる。最高のサービスをやっていると、また良いエンジニアが集まってくる。二番手や三番手のサービスをつくりたいと思っているエンジニアはいません。そうしたプラスの循環をつくっていくことが大事なのです。
今回開発したマイニングマシンも世界最高峰を目指しているからこそ、エンジニアたちもワクワクするのです。
――海外の経営者で刺激を受ける人はいますか。
熊谷電気自動車メーカーのテスラを始め、宇宙事業にも携わっているイーロン・マスクです。あそこまでぶっ飛んでいる経営者はすごいと思います。歴史上で気になる経営者は三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎ですね。
私財170億円を投じて
会社の危機を逃れる
――熊谷さんは、これまでアントレプレナーとして数多くの表彰を受けてこられましたが、それが自分の糧となったところはありますか。
熊谷賞は自分がいただいているのではなく、会社がいただいていると考えています。賞をいただくということは、責任が生じることを意味します。もし会社がこけたら、賞に迷惑をかけてしまいます。ですから、賞にふさわしい会社になっていかなければなりません。
その意味では、賞をもらったことで、良い会社にするにはどうすべきかを意識するようになりました。今も仲間たちといかに力を合わせて、ビジネスに当たるかをつねに意識していますね。
――アントレプレナーの社会的意義については、どのようにお考えですか。
熊谷起業家について大所高所の観点から考えたことはあまりありません。私の場合、キャリアのスタートが”起業家”だった。高校を中退して親父の会社に勤めたけれど、親父とケンカをして辞めてしまったので、自分でやるしかなかった。食べていくために起業家になったのです。
――ビジネスでは困難な事態に遭遇することが多いと思いますが、苦しいときに自分を奮起させて乗り越えていくためには何が必要ですか。
熊谷会社を始めてから、私は夢を語り続け、その夢を信じて多くの仲間が集まってくれました。私はそうした仲間たちを裏切りたくない。困難なことに遭遇したときは、そんな気持ちで乗り越えてきました。有言実行でありたい。言ったことはやるという思いできました。
よく皆に話すことがあります。それが「人の価値は、やりたくないことをやってしまう金額で決まる」ということです。
――どういうことですか。
熊谷2007年度に(買収した消費者金融が)400億円の損失を出して、会社がつぶれそうになりました。
そのとき、私は自分の私財を処分してつくった140億円のキャッシュと自分の持ち株を担保に銀行から30億円の借金をして、債務超過を防ぐために約170億円の私財を会社に投じました。そのときは本当に地獄の苦しみを味わいました。
しかし当時、仮に私が自分の持ち株をすべて売って、会社を手放していれば、地獄の苦しみから逃れて、借金どころか多額のおカネが残ることになりハワイで遊ぶこともできました。身軽になって、一生働かなくても食べていける財産を得ることもできたのです。
笑顔の循環をつくるのが
起業家である
――でも、そうはしなかった。
熊谷そんなことはできません。自分の夢を信じて集まってくれた仲間を、自分の欲のために見捨てて、傾く船から最初に逃げる船長になんてなりたくはない。
自分の魂を100億円や200億円のおカネで売りたくなかったのです。ですから、170億円の私財を会社に投じて、無一文どころか、マイナス30億円から再スタートしたのです。
結局、「夢」と「仲間」がないと何もできないと痛感させられました。苦しいときを乗り越えるために必要なものとは「夢」と「仲間」なのです。
――アントレプレナーを目指す方にメッセージをお願いします。
熊谷大きな夢を持つことです。しかも自分だけでなく、皆が笑顔になる夢を持つことです。 お客様が喜べば、仲間たちも笑顔になる。その笑顔の循環を自分の原動力にしてほしいですね。この笑顔の循環が続けば、その結果として、利益が出るようになります。そうすれば、株主も笑顔になる。お客様、仲間、株主の三者の笑顔の循環をつくるのが起業家なのです。それをやり続けてほしいと思っています。
文:國貞文隆
写真:今祥雄
取材:2018年6月4日
熊谷 正寿(くまがい・まさとし)
GMOインターネット代表取締役会長兼社長・グループ代表
1963年長野県生まれ。91年ボイスメディアを設立、95年インターキューに社名変更し、インターネット事業に参入。99年ジャスダックに上場し、2001年グローバルメディアオンライン(GMO)に社名変更、05年にGMOインターネットとなり東証一部に上場した。現在はGMOクラウド、GMOペイメントゲートウェイなど子会社8社が株式上場している。最近は、GMOあおぞらネット銀行ほか、仮想通貨事業など金融分野に注力している。
“世界一”を決める起業家表彰制度
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーとは?
EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーは、1986年にEY(Ernst&Young=アーンスト・アンド・ヤング)により米国で創設され、新たな事業領域に挑戦する起業家の努力と功績を称えてきた。過去にはアマゾンのジェフ・ベゾスやグーグルのサーゲイ・ブリン、ラリー・ペイジらもエントリーしている。2001年からはモナコ公国モンテカルロで世界大会が開催されるようになり、各国の審査を勝ち抜いた起業家たちが国の代表として集結。“世界一の起業家”を目指して争うこのイベントは、英BBCや米CNNなど、海外主要メディアで取り上げられるほど注目度が高い。