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横浜の市電、なぜ「独立採算」で保存できるのか

昭和30年代、最盛期の電車運転系統図(写真提供:横浜市電保存館)
震災からの復興が進んだ昭和初期の本町通りを走る市電(写真提供:横浜市史資料室)
終戦直後の市電の残骸(所蔵:米国国立公文書館 写真提供:横浜市史資料室)
井土ヶ谷線開通前日に開いた発車式(所蔵:横浜市史資料室 写真提供:依田幸一)
麦田トンネルを走行する市電=1970年5月16日(写真提供:横浜市史資料室)
元町停留所に停車中の横浜市電=1970年6月30日(写真提供:横浜市史資料室)
市電全線廃線時に走った花電車=1972年3月(写真提供:横浜市史資料室)
横浜市電保存館の館内。6両の電車と1両の貨車を展示しており、路面電車の保存としては全国的に見ても充実している(筆者撮影)
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1923年9月1日、関東大震災当日の様子。市電の後ろに見えるのは市役所。倒壊を免れたが16時ごろに炎が侵入し焼け落ちた(写真提供:横浜市史資料室)
1934年には女性車掌が登場。乗客にも好評だったが「経費を節減しようとする電気局の窮余の一策」(『横浜市市営交通八十年史』)だった(写真提供:横浜市史資料室)
開港百年祭の記念式典会場となった横浜公園平和野球場(現・横浜スタジアム)に集まる人々と市電=1958年5月10日(写真提供:横浜市史資料室)
1972年3月、横浜市電全廃時に「さようなら」の飾り付けをして桜木町駅前を走行する市電。保存館は翌年にオープンした(写真提供:横浜市史資料室)
横浜市電保存館の500型523号車。昭和初期の登場時の塗装を施している(筆者撮影)
横浜に路面電車が最初に走ったのは1904年7月、横浜電気鉄道(以下、横浜電鉄)の手によって開業した神奈…