だとすれば、商業化を急がないことにはむしろ合理性がある。研究者自身が数年内の商業化がまだ遠いとするなら、国際社会が求めるモラトリアムに賛同し、その間に研究開発を進め、リスク調査やモニタリング技術を磨き、国際ルールづくりに正面から関与する、という道もありうる。
特集第1回で見たように、研究開発にとって商業化の一時停止に実質的な損失はほとんどない。それでも日本政府がモラトリアムに加わらない理由は、採算の計算の外にあるのかもしれない。
「商業採掘を急ぐ大国」と「停止を求める島嶼」の構図
商業的な深海採掘に「待った」をかけるモラトリアム賛同国は世界で46カ国に上るが、その顔ぶれには偏りがある。太平洋の島嶼国が名を連ねる一方で、日本や中国、韓国をはじめ、アジアのISA加盟国で支持を表明した国はいまだ1つもない。国際的なルールが定まらないうちに、その空白を技術や資本を持つ国・企業が我先にと商業化を目指す。
その中で、深海採掘の影響を最も受けるはずの人々が競争のテーブルに着いていない現状がある。太平洋の島嶼国と、そこに暮らす先住民族だ。
海洋空間は多くの先住民族コミュニティにとって、信仰の対象でもある。26年7月のISA会議直前、アジア先住民族採掘・エネルギー問題ネットワーク(AIPNEE)は37カ国96団体・個人の連名でISAに書簡を提出し、モラトリアム不賛同の国々に賛同を呼びかけた。
「先住民族は世界の土地と海の25%の管理者であり、海洋との関係は『母、先祖、親族、生きた親類』として文化的アイデンティティ・統治・管理の基盤をなしている。深海採掘は伝統的な漁業を支える生物多様性を損ない、やむを得ない移住や自己決定権の侵害につながる可能性がある」(AIPNEEの提出した書簡より)
深海に限らず、資源開発をめぐる国際的な意思決定やルールづくりはしばしば当事者を欠いたまま大国の間で進むが、この「当事者不在の決定」は深海でも繰り返されようとしている。パーキンソン上院議員は、現在の深海採掘をめぐる大国の姿勢をこう批判する。
「太平洋は大国が軍事資産を配置し、戦略資源を採取し、危険な廃棄物を処分する一方で、島の共同体はただその結果を受け入れざるを得ない、そんな『チェス盤』であり続けてはならない。これらの島と海は、強大な国々の間にある空白地帯ではなく、私たちの故郷であり、歴史であり、食料であり、次の世代への遺産なのだ」(パーキンソン上院議員)
日本が問われている、太平洋世界の未来
世界初の技術を前に本当に問われているのは、いかに早く商業ベースで利益を出し続けられるレアアースを深海から確保するかという技術や費用の問題だけではない。むしろ日本の国益とは何か、その形そのものだ。国際秩序を築く側に回り、太平洋に暮らす人々や海洋世界全体の利益にもつながるような長期的な利益の形とは、どこにあるのかーー。
その問いに、まだ答えは出ていない。岐路に立たされている日本の役割を、石井氏は「前例がないからこそ日本が先頭に立ち、環境モニタリングのルールづくりを主導していくべきだ」と考える。
南鳥島の海で起きることは、やがて太平洋の海洋世界へとつながっていく。そこは先住民コミュニティの故郷であり、まだ名前も付かない深海の生きものが息づく場所であり、食物連鎖を伝って我々の食卓に繋がる海であり、次の世代へと手渡される未来そのものでもある。日本が今、どのような意味で世界の先頭に立つのか。その答えは、この海に連なるすべてのものの上に返ってくる。


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