有料会員登録
ライフ #百貨店消滅タウン

「明石海峡大橋で打撃」→「実は"橋開通の5年前"から右肩下がりに」…売上444億円の"四国最大の百貨店"が衰退した理由

9分で読める
明石海峡大橋
「明石海峡大橋に客を奪われた」と語られてきたが……(写真:筆者撮影)

INDEX

かつて百貨店は「特別な場所」だった。しかし今、多くの街からその姿が消えつつある――。本連載では、百貨店が消滅した街を歩きながら、「なぜ消えたのか?」を街ごとに分析していく。
第9回は徳島県徳島市。かつて徳島市内に5つの百貨店が存在したが、現在はすべて消滅。最後に残ったそごう徳島店は「明石海峡大橋に客を奪われた」と語られてきた。だが、本当にそれだけなのか。
徳島駅付近の様子(写真:筆者作成)

前編では、徳島の買い物の中心が、昔ながらの繁華街・新町地区から徳島駅前へ移るまでを追った。

出発点は、1972年に日本商工会議所の商業近代化委員会がまとめた『商業近代化地域計画報告書 徳島地域』だ。徳島の商業の将来像を描いたこの報告書は、新町地区と駅前を、二つのレンズを持つカメラ「二眼レフ」に見立てた。市の説明によると、駅前には大きな核を置き、新町地区には歩いて楽しむ商店街の役割を持たせる構想だった。

その駅前の核として1983年に開業したのが、そごう徳島店である。初日だけで約15万人を集め、1993年2月期には売り上げ高約444億円を記録。買い物の中心は、新町地区から駅前へ移った。

そごうの衰退を語るとき、必ずといっていいほど登場するのが明石海峡大橋である。1998年の開通で神戸や大阪が身近になり、買い物客が関西へ流れた。いわゆる「ストロー現象」だ。

しかし、一つ不思議なことがある。そごうの売り上げがピークを迎えたのは、橋が架かる5年前だった。

明石海峡大橋の5年前に来ていたピーク

1990年代前半、徳島駅前は華やかな時期を迎えていた。駅前を含む「内町」地区の小売販売額は、1994年に866億円まで増えた。新町地区との合計は1179億円。そごう開業前の1982年は822億円だったから、大きく膨らんでいる。

【写真を見る】「明石海峡大橋で打撃」→「実は"橋開通の5年前"から右肩下がりに」…売上444億円の"四国最大の百貨店"が衰退した理由(34枚)
2/5 PAGES
3/5 PAGES
4/5 PAGES
5/5 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数