前編では、徳島の買い物の中心が、昔ながらの繁華街・新町地区から徳島駅前へ移るまでを追った。
出発点は、1972年に日本商工会議所の商業近代化委員会がまとめた『商業近代化地域計画報告書 徳島地域』だ。徳島の商業の将来像を描いたこの報告書は、新町地区と駅前を、二つのレンズを持つカメラ「二眼レフ」に見立てた。市の説明によると、駅前には大きな核を置き、新町地区には歩いて楽しむ商店街の役割を持たせる構想だった。
その駅前の核として1983年に開業したのが、そごう徳島店である。初日だけで約15万人を集め、1993年2月期には売り上げ高約444億円を記録。買い物の中心は、新町地区から駅前へ移った。
そごうの衰退を語るとき、必ずといっていいほど登場するのが明石海峡大橋である。1998年の開通で神戸や大阪が身近になり、買い物客が関西へ流れた。いわゆる「ストロー現象」だ。
しかし、一つ不思議なことがある。そごうの売り上げがピークを迎えたのは、橋が架かる5年前だった。
明石海峡大橋の5年前に来ていたピーク
1990年代前半、徳島駅前は華やかな時期を迎えていた。駅前を含む「内町」地区の小売販売額は、1994年に866億円まで増えた。新町地区との合計は1179億円。そごう開業前の1982年は822億円だったから、大きく膨らんでいる。


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