悔しい思いをした祖父は「何くそ根性」で、地域のためにと20年間の赤字に耐え続け、清掃業の母体を築いた。以来、50年超にわたり黒字経営が続いている。
時給1500円の雨樋修理が、年商5億円の建設会社に
牧さんは1979年、4人兄弟の長男として生まれた。おばあちゃん子で、幼い頃からゴミ収集の仕事に興味を抱き、祖父の会社のゴミ収集車に勝手に乗り込んで怒られることもあった。
3代目である牧さんの父は、祖父との確執により若い頃は埼玉で暮らした。子煩悩な父だったが、牧さんが中学校に入学すると同時に、離れて暮らすことに。
以来、祖父の援助を受けて育った。
牧さんは、関東の大学で法律を、さらに海外の大学で心理学を学び、牧師の資格も取得した。だが2004年、まだ幼い弟たちの学費を祖父に援助してもらうという条件のもと、反発を抱えながらも25歳で真庭に帰郷した。当時の社員数は57人だった。
「フィリピンに学校を建てたいという夢もあったし、東京でも事業をしていたんですけどね。真庭に帰ってきた時は、田舎だし、人はいないし、夜は暇だったし。将来性なんてまったくない場所だと思っていましたからね」
牧さんの気持ちはおかまいなしに、祖父からは次々に仕事の要請が入る。朝2時の電話、朝4時の出勤にも対応した。帰郷後の3年間は毎週、東京から飛行機で通い、浄化槽の点検とゴミ収集の現場をひたすら回った。
ある日、点検で訪れた家で、80代のおばあちゃんが1人で屋根の雨樋を直そうとしていた。牧さんは時給1500円で修理の手伝いを始めた。浄化槽の点検で訪問する業者が、自分の困りごとを手伝ってくれる。すっかりファンになった地域の人から、次々と困りごとを頼まれるようになっていく。
「正直、時給1500円では割に合わない仕事もありました。でも、すでにうちの浄化槽のお客さんだからいいんです。そうしているうちに、3万円でお願いしたいことがある。次は10万円で……と仕事が入ってきて。500万円以上の案件があった時に、許可がないと違反になるからと建設会社を立ち上げたんです」


※ログイン後、コメント入力が可能です。