牧さんは取材中、「年1回しか決算書は見ない」「売り上げには興味がない」と何度も口にした。
「日本企業は一般的に、3年での黒字化を求めます。ですが、回収までに10年以上かかる多額の投資によって、今の日本を支える技術ができている例もありますよね。大手メーカーが開発した、宇宙まで届くエレベーターの炭素繊維カーボンナノチューブなんかもそうだと聞いています」
通常、投資回収に10年以上を要する計画は、まず社内で承認されないだろう。許認可事業の安定収入という後ろ盾と、非上場で株主への説明責任を負わない企業構造そのものが、単月や単年の損益では判断しない経営を可能にしている。裏を返せば、この構造を持たない企業には同じことができない。
しかし、人口減少に高齢化が進む人口4万人の町。廃棄物や汚水、ゴミ処理という「なくなっては困るが、増えることもない」事業だけに依存していては、いずれ立ち行かなくなる。とはいえ、長きにわたり黒字化している本体事業がありながら、20年も投資を続けるのは通常では考えられない。牧さんは、こう語る。
「この地域で私の義務を果たす。僕が得意なのは、諦めないことなんです」
差別された祖父が、1台のバキュームカーで築いた土台
十字屋グループは、大正5年(1916年)、牧さんの曽祖父・利夫さんが「十字屋商店」として創業した。創業当初は炭や米、食料品を扱う商店を営みながら孤児救済にも力を注いだ。
曽祖父は、「事業活動は私利私欲のためでなく、受くるより与えるが幸いなり」の理念を持つ人だったという。
そのため経営は苦しかった。現在の環境衛生事業に乗り出したのは、2代目であり牧さんの祖父・晋さんだ。1958年、親戚が経営する病院の排液処理を頼まれた祖父は、1台のバキュームカーを購入した。ところが当時、廃棄物や汚水処理、ゴミ収集は差別の対象にされる仕事だった。親戚の結婚式に呼ばれないこともあったという。


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