もんもんとした気持ちが募るなか、実家の母から着信があり、「父が病気だと診断された」と知らされた。
「事業の業績悪化や診断結果により、父はひどく落ち込んでいたそうです。母も『家のローンもまだあるのに』と焦っていて。それからはたびたび、夜行バスで岡山に帰るようになり、『大変だけど、家族で力を合わせてがんばろう。できるだけお金を入れるようにするね』と伝えていました」
父が55歳で急逝したのは、そんな矢先だった。心身の不調があるなかでも父は仕事を継続し、日常生活を送ることができていた。家族の誰もが想定していなかった、青天の霹靂と言える出来事だった。
「なんで。どうして。父の死を告げられたときは、それしか考えられませんでした。その2日前は、ちょうど実家に帰っていて、父に誘われて庭の花を眺めながら穏やかな時間を過ごしていたのに……」
すぐに実家に舞い戻り、ショックと悲しみに包まれながらも葬儀を執り行った。「傷は癒えないけれど、社会で役に立てるようがんばろう」と自身を奮い立たせながら働く栢原さんのもとに、またも訃報が届く。
「父が亡くなった1カ月後、今度は祖父が亡くなりました。ガンを患っていたので、それほど長生きできないと分かっていましたが、こんなにも早いなんて……。父のことが相当ショックだったのだろうと思います」
「リストラ」で居場所を奪われ見失った“生きる意味”
父、祖父の急逝によりメンタルは地まで落ちていた。そんな状況でも、「むしろ、こんなときだからこそがんばらなきゃいけない」と栢原さんは気力を振り絞った。しかし、そのやる気を削ぐような不運が襲いかかる。
「人事に呼ばれ、『マーケティング部署をなくすから1カ月後に辞めてほしい』と告げられました。そこで、張り詰めていた糸が切れたというか……『当たり前の日常が、いかにもろいものなのか』を思い知らされました。何も信じられないし、何を大事にして生きていけばいいのか分からなくなってしまったんです」


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