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タイ版「失われた20年」の緩い閉塞感…21世紀初のクーデターで民主化が逆回転、タクシン時代の終焉と見えない「次」

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2006年9月19日、タイ軍がクーデターを起こし、タクシン政権を崩壊させた(写真:ブルームバーグ)
  • 柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
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憲法裁は24年8月、タクシンの元弁護士を入閣させたことが倫理に反するとしてセターを罷免した。跡を継いだタクシンの娘ペートンタンはカンボジア国境紛争で躓いた。25年6月、カンボジアの元首相フン・センと行った電話会談で、タイ軍の司令官を批判していたことが暴露された。それまでタクシンの盟友とされていたフン・センが会談の音声を公開したのだ。憲法裁はこれを理由にぺートンタンも罷免した。

名誉党(軍や王室などと親密な保守政党)党首のアヌティンが同年9月に後継首相に就任した。最高裁はその直後、タクシンの刑期について「帰国後の病院での約6カ月間の収容は違法」として、禁錮1年の実刑執行を命じ、収監した。

26年2月の総選挙では、巧みな選挙戦術と対カンボジア紛争によるナショナリズムの高揚を受けて名誉党が圧勝した。前進党の後継政党の国民党が第2党となり、プアタイは第3党に沈んだ。

06年のクーデター後初めて、王党派が支持した政党が民主派に選挙で勝って政権を奪取した。

プアタイは再び名誉党と連立を組み、政権の側に身を置いた。国民党党首ナタポンは「魂を売った」とプアタイを痛烈に批判した。前進党や国民党が民主主義を掲げて軍や既存政党を批判し、若者らの支持を得たことでプアタイの存在は霞み、改革政党としての賞味期限が切れた観がある。

有効な経済政策を打ち出せなかった王党派

21世紀初頭にかけてタイは日本などから外資を導入し、自動車や電機など輸出型の製造業を誘致することで中所得国へと移行した。タクシンは01年に首相に就任すると、アジア通貨危機からの回復に合わせ、貧困層への支援を中心とする内需拡大と積極的な外資導入の「デュアルトラック政策」を進め、年平均5.6%の高い経済成長率を達成した。

ところがクーデター後のタイ経済は政治的混乱と軍主導政権の無策が相まって成長率は1~3%へ鈍化した。主力の輸出産業で賃金上昇に生産性の伸びが追いつかず、高付加価値化も進まない「中進国の罠」にはまった典型例とされた。

世界銀行によると、タイのGDP(国内総生産)は約5294億ドル(24年)で、クーデターがあった06年の約2218億ドルから2.39倍になった。日本に比べれば成長しているものの、同じ時期に東南アジアでは、ベトナムが7.18倍、インドネシアが3.83倍、フィリピン3.62倍、マレーシアが2.59倍に成長したことに鑑みれば、タイの伸び悩みは顕著だ。

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