この20年間、タイの政局の中心にはいつもタクシンがいた。総選挙の投票の基準はとどのつまり「タクシンが好きか嫌いか」だったと言ってよい。
タクシンは権謀術数に長け、四半世紀にわたって政局を動かす力も金も能力もあった。しかしながら、人徳はなかった。
敵とみると逃げ道を残さずに痛めつけ、資金の豊かさや権力の強大さを隠そうともしない。
「あなたは時にとても攻撃的で、人に厳しすぎる。もう少し寛容であれば事態は違っていたのではないか」と、逃亡中のタクシンに私は聞いてみた。
すると、「確かに私は短気だ。自責することもある」と認め、自らの置かれている立場は「カルマ(業)がゆえだ」と語った。その自己観察は正しいように思えた。
現首相のアヌティンと、その後ろ盾とされる実力者ネウィン(タクシンの元側近)をはじめ、20年前に反タクシン運動を主導した元バンコク知事のチャムロンやメディア主宰者のソンティら政敵のほとんどは、かつての盟友だった。カンボジアのフン・センもしかりだ。最後はみなタクシンから離れていった。
自派政権で義弟、妹、娘らを首相に登用した。プアタイの筆頭首相候補は甥だった。信用できる側近は、家族を除けばほとんどいなかったことの裏返しともいえる。自派政党を真の国民政党に脱皮させることはできなかった。
76歳となったタクシンは26年6月に仮釈放された。だが不敬罪に問われた裁判は係争中で、関係会社の株式譲渡をめぐる税務裁判も抱えている。
タイの若者にとってタクシンはいまや守旧派
政治的にはプアタイの創設者兼最高指導者の立場は変わらない。だがクーデターや司法クーデターで追い出された殉教者との自画像は崩れ、政局を主導する時代は終わったようにみえる。Z世代にはむしろ守旧派、既得権層の一員と映っているであろう。政治の世界では今後も1人のプレイヤーとしては残ることがあっても、主役を張る可能性は低い。
さて、タイは「失われた20年」を経て、王党派が求めた政権はできたが、GDPの2割を占める観光業は不振で、半導体設計などの先端技術の導入は進んでいない。経済が低迷から抜け出す兆しは今のところ見えていない。
「民主化防止機関」を廃止する憲法改正も見通せず、社会を覆う緩い閉塞感はぬぐえない。タクシンが後景に退く時代、停滞を打破する新たな主役が登場するか、先行きは不透明だ。(文中敬称略)


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