九州内に電化区間が広がるなかで登場したのが1965年に登場したED76形だ。九州を代表する電気機関車として幅広く運用され、日豊本線では「富士」「彗星」をはじめとしたブルートレインの先頭に立ち、ヘッドマークを掲げて走った。
鹿児島本線と長崎本線では東京発の「あさかぜ」「さくら」「みずほ」「はやぶさ」や、京阪神と九州を結んだ「明星」「なは」などのブルートレインが自慢のヘッドマークを輝かせて走った。このころが交流電気機関車の最も華やかな時代だったと筆者は思っている。
国鉄の交流電気機関車が残した功績
ところで、日本の鉄道の交流電化は、一般家庭用などの電気と同じ周波数(商用周波数)を使っている。この商用周波数による交流電化で先行していたのがフランスだった。日本は当初機関車を輸入する計画もあったが、フランス側との折り合いがつかず、日本は国鉄の技術陣と電機メーカーが協力して機関車を独自開発した。
余談だが、筆者が1970年代にフランスのTEE(国際列車)などを取材したとき、駅での撮影で年配のフランス国鉄職員から「撮影禁止、許可を取ってこい」とか「日本人はずるいからダメ」など高圧的な対応を受けたことがある。帰国してかつて交流電化にも携わった国鉄の技師にこのことを話すと「まだ交流機関車開発のことを根に持っているんだ」と言われ、とばっちりを受けたのだと思った次第だ。
赤い車体で親しまれた交流電気機関車も相次いで姿を消し、現在走る唯一の交流電機は青函トンネル用のEH800形だけとなったが、地方線区の電化・近代化の牽引役として活躍したその功績は大きいであろう。

