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中東情勢の不安定化を背景に、大量の電力消費を必要とするデータセンターの立地場所として東南アジアへ世界の視線が注がれている。この"波及効果"を受けて白羽の矢が立っているのが、マレーシアだ。ジョホール州などにすでに整備されている大規模データセンターインフラに加え、それを支えるために不可欠なクリーン電力が、同国内から「安価で豊富に」調達できるためだ。
日本と深いつながりがあるマレーシア先住民
そうした中、マレーシアのサラワク州の水力発電はこれまで以上に重要性を増している。筆者がこれまで報じたルポのように、1980年代からサラワクでは巨大な水力発電所が建設されるたび、何千人ものダヤック(先住民族)たちが生活と伝統を奪われてきた苦い歴史がある。
AIブームによる電力需要拡大やデータセンター建設が先住民たちに与える影響は、南米のアマゾン先住民や北米のネイティブアメリカンの事例でも指摘されている。だがサラワクのケースには、日本の消費者にとってより直接的な、独自の歩みがあった。
現在サラワク州では液化天然ガス(LNG)、原油、パーム油が輸出の大部分を占めるが、日本マレーシア協会によるとその中で日本は最大の貿易相手国だ。アジア太平洋戦争後の木材伐採から大規模水力発電にいたるサラワクにおける開発の歴史に日本政府や日系企業は深くかかわってきた。長年にわたる日本とのつながりや資源の供給網を生かして、水素の共同開発やCO2地下貯留(CCS)などを通じ、エネルギー市場での関係をさらに深化させている。
真珠湾攻撃の9日後に上陸した日本軍
明治期以降、九州の困窮した農村から海外へ人身売買された女性たち、「からゆきさん」。その多くがボルネオ島北端に送られたことは、山崎朋子のルポルタージュ『サンダカン八番娼館』(筑摩書房、1972年)で広く知られる。彼女たちを含む日本人移民はボルネオ社会の一部としてコミュニティを形成し、その送金が近代日本の資本蓄積を支えた一面もあった。
ただ、組織的に「日本」がボルネオ島に到着したのは、実は真珠湾攻撃から9日後の1941年12月だった。日本は33年に国際連盟を脱退し、日中戦争が全面化すると欧米諸国による経済制裁や対日石油禁輸などにより、石油資源の不足という深刻な課題に直面した。豊富な油田を有するボルネオに目を向けた日本軍は、米英との開戦後にサラワクのミリに上陸した。
ボルネオ島における日本占領期を研究する歴史学者であるブルネイ・ダルサラーム大学のウィ・キート・ジン教授は、この進軍について次のように語る。
「太平洋戦争開戦にあたり、ボルネオ島は日本軍にとって戦略上きわめて重要な地域だった。ミリ、タラカン、バリクパパンの油田に加え、シンガポールやジャカルタを爆撃するための中継基地、給油拠点として利用できるクチン(サラワクの州都)の飛行場が欲しかったのです。日本軍はミリからブルネイの町、さらにアピ(現在のコタキナバル)へと、ほとんど抵抗を受けることなく進軍しました 」(ウィ・キート・ジン教授)


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