なぜ日本企業はこれほどまでにサラワクの資源へ深く入り込めたのか。それは一企業の商魂の問題ではなく、戦後日本が国家として築いた枠組みの上に成り立っていた。
賠償が日本企業に還流… 『ブーメラン援助』の構造
敗戦後「平和国家」として再出発した日本は、占領統治時代に東南アジアで生じた損害を、各国との賠償協定を通じて “処理”していった。しかしこの賠償が、日本企業の海外市場への復帰を促す経済的な契機となったこともまた、戦後史の重要な側面だ。
賠償や経済協力は単純な現金給付の形ではなく、インフラ整備、設備供与、技術協力などの事業を通じて行われる。日本の商社、建設会社、重工業メーカーなどが中心となり、これらの事業を受注。そうして日本企業は政府間協定によって形成された援助市場に入り込み、1950~60年代にかけて東南アジア各国への参入を急速に拡大していった。
この構造は、その後の政府開発援助(ODA)にも引き継がれていく。
開発研究において「ひも付き援助(tied aid)」と呼ばれるこの援助の仕組みや、援助資金が援助国側の企業へ還流する構造は「ブーメラン援助(Boomerang Aid)」とも表現される。日本の戦後賠償やODAは、「援助外交」として開発を支える側面を持ちながら、同時に日本経済の成長戦略や企業の海外進出を後押しする側面もあわせ持っていたのだ。
前回取り上げたサラワク初の大規模水力発電所「バタン・アイ」もまた、この一例だ。日本のOECF(現JBIC)が円借款で建設資金を供与し、奥村組・前田建設工業がダム本体を建設、東芝がタービンを受注・納入する——。援助の名のもとで、資金も工事も設備も、すべて日本へと還流したのだ。
この構造が可能となったのは、開発の対象となる土地を頼って生きる人々が、法的にほぼ無防備な状態に置かれていたからでもある。
サラワクの先住民がおかれる「最も差別的な法域」
サラワクの先住民であるダヤックの人々が暮らす森林や河川が資源開発の標的となる背景には、制度上の問題があった。ヒューマン・ライツ・ウォッチで東南アジアの人権問題を担当するルシアナ・テレーズ・チャベス上級研究員は、サラワクの法制度が先住民の権利保護において「根本的に機能不全に陥っている」と指摘する。
「サラワクは、先住民の権利という観点で最も差別的な法域のひとつです。(先住民が)土地タイトルを取得することは極めて難しく、たとえ取得できても、政府の裁量でいつでも取り消せる。補償もほぼ期待できません」(チャベス氏)
先住民が何世代にわたって暮らしてきた森も、58年に施行されたサラワク土地法典のもとでは、58年以前からの居住を書類で証明できなければ「国有地」として扱われてしまう。この法典のもとでは、墓地や農耕の痕跡といった物証が認められる場合もあるが、実際の法廷では企業が取得した開発ライセンス一枚に負けてしまうことが多い。
法的保護なき土地に生きる先住民にとって、開発資源の対象が変わっても、その構造は未だ変わってはいない。AIデータセンターの時代に、その「対象」は再生可能エネルギーへと移りつつある。80年続いた構造は再び繰り返されるのか、それとも変えられるのか。最終回となる次回は、現在進行形で動くサラワクのダム計画と、「開発は誰のためか」という問いに向き合おうとする人々の声を追う。


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