サラワク州初の水力発電ダムとして1985年に建設された「バタン・アイ」。現在、同州が世界で最も安価ともいわれる電力を提供し、アメリカのIT大手企業が建設を進めるAI向けデータセンターを誘致するうえで重要な水力発電施設だ。
しかし、その建設は、森や川を頼りに暮らしていた先住民族「ダヤック」の人々の強制移住という犠牲を払った。州都クチンから車を走らせること約4時間の場所にある地方都市ルボック・アントゥの端に、移住させられたダヤックの人たちの居住地区はある。
金銭的な負債を抱えることになった先住民
伝統的なダヤックの「ロングハウス」を模したような形状のその建物は、長い廊下が奥まで続いていた。村長の女性に案内され、ひんやりとしたタイルを裸足で歩く間、目についたのはあちこちに掲揚してある「GPS」と書かれた旗だった。州政府の現与党を表す頭文字らしい。
マレーシアの国旗、そして黒・赤・黄色のサラワク州旗も一緒にはためいていた。「政治家が回りに来る時はいつもこうして旗を掲げる」のだと村長は説明してくれた。
この集落にあるのは、ダム建設のために1980~82年の間に行われた「再定住プロジェクト」において、政府が用意した住居ではない。ダヤックの人たちが自分たちで少しずつ家を建てて共同生活をしているコミュニティだ。
家の外には、「何年も政府に掛け合ってようやくもらうことができた」という水色の巨大な貯水タンクがいくつか並べられていた。雨水をため、生活用水に利用しているのだという。歩き回る鶏に、規則正しく割られた薪——。できるだけ身の周りにあるものを使って生活しているのが見てとれる。
ダヤック族の「再定住プロジェクト」の一環として、政府は12棟の共同住宅を建設した。この住宅にはダヤックの中の最大グループであるイバン族のうち、移住を余儀なくされた422世帯、約3600人に上る人たちが入った。しかし移住後のダヤックたちを待ち受けていたのは、それまでの自給自足の生活では必要としてこなかったような金銭的な負債だった。
電気や水の供給システムなど毎月の公共料金だけでなく、住居の建材も数年でダメになってしまう代物だったため、長期的な修繕の費用なども自分たちで賄うことが求められた。そのような経緯から、彼らはあえて補償住居には入らず、できるだけかつてのように自分たちの力によって生き続けられる自給自足の生活を選んでいるのだった。
移住からすでに40年近くが経ち、世代が3代目にもなると移住当初の生活状況からは「だいぶ変わった」とも村長は語る。度重なる困難があったにもかかわらず、コミュニティとして子どもたちになんとか高等教育の機会を与えたのだ。そして、中には都市部へ出てエンジニアや医師になった人もいた。
最初の移住者の子どもにあたる移住2世代目の女性は「ダヤックは皆、我慢強くて働き者なので、一生懸命生活を立てて、立派に暮らしています」と話し、「私は教師として生計を立て、息子はクチンで医者になりました」と誇らしげに、流暢な英語で話してくれた。自ら望んだわけではない開発、生活様式を全く変えてしまった移住の果ての「自助努力」ーー彼らに強いられた苦境と、その現代社会的な意味での「成功」を、いったいどう見たらいいのか。複雑な想いがした。
このコミュニティから車で約5分ほどの場所には、80年代の強制移住の際に政府が用意した住宅に暮らすコミュニティがある。家先のテラスのようになっている場所に老若男女6〜8人の住民がいて、筆者を出迎えてくれた。実名や顔写真は伏せてほしいとしつつも、バハサ・メラユ語の通訳を通じて話を聞かせてくれた。

