バタン・アイで指摘された問題は、ここでも繰り返された。コミュニティは当初、ゴムの採取や農業活動に取り組もうとしたが、熱帯雨林や川などの環境へのアクセスがないだけではなく政府に約束された農地すら実際には割り当てられない中で、以前と同じような農業や狩猟による自給自足は不可能に近かった。経済的な機会が制限されるなか、新たな生活を求めて都市部へ出ていく若者も多かったという。
都市で脆弱な若者たち、身体を売る人も
「識字能力もなく、財産も繋がりもなしに都市へ行くとなると、一番良いところで、得られる仕事はカフェのウエイターです。これも、生活を十分に支え得るようなものではありませんが」
NGO「SADIA」の事務局長ニコラス・ムジャ氏はこう指摘する。こうした再定住政策による生活基盤の喪失が、都市部へ移住した先住民の若者を脆弱な立場に置いた。「最悪の場合では不法占拠者になってしまいます。そして、センシティブなのであまり報道されないことですが、マレー半島、シンガポールなどの都市へ出た女性は、売春に陥り、タイなどへと人身売買されるケースもありました」(ムジャ氏)。
国連人権擁護者賞の受賞者でもあるムジャ氏は、これまでSADIAを通じて長年活動してきた。SADIAはイバン族の言語を守ることを目的として84年に設立されたが、土地をめぐる紛争が増加したため、活動を法律支援にシフトし、先住民族による地域のマッピング、権利の啓発、法廷での証拠準備などを支援。これまで400件以上の法廷闘争を扱ってきた。
「最初は、生まれて初めてわずかな補償金を手にして嬉しそうに見えても、最後には悲惨な状況になる。そういう人たちを私たちは何度も見てきました。助けを求めて来ても、その時にはもう解決できないほど事態は複雑になっているのです」(ムジャ氏)
世界ダム委員会の報告では、バタン・アイ再定住住民の80%以上が「移転前より生活が悪化した」と回答した。アンドリュー・ポール氏はこの状況を、単なる経済的な周縁化や困窮化の側面からだけではなく、民族のアイデンティティや自己決定権の喪失という観点から見る必要があると語る。
「ダヤックにとっては、森こそが知識、技術、そして伝統やアイデンティティが受け継がれる場所である、ということを忘れてはいけないと思います。イバン語の語彙の半分以上は、自然に関するものです。鳥や草木、森や川から得られるものなど、生活のすべてが。コミュニティが移住させられると、我々の言語や知識がまるごと失われていくのです」(ポール氏)

