退職後、初めの半年間は知り合いの飲食店を手伝ってみたものの、衛生や調理に対する知識が圧倒的に足りないことを実感し、翌年の春から半年間、神奈川県の職業訓練校の調理コースに入学。秋に学校を卒業すると、次の春には店を始めることを決めていた石附さんは、レストランやホテルなど飲食店のアルバイトを5つほど掛け持ちし、現場でとにかく知識を吸収した。
鎌倉から鵠沼へ移転。「冬にかき氷を食べる文化」をゼロからつくる
約1年半の準備期間を経て、2003年春、石附さんは念願のかき氷店「埜庵」を鎌倉にオープンした。神奈川で店を開くことを考えたとき候補になったのが、横浜・鎌倉・箱根の3つ。当時のいちばんの想いは「天然氷のおいしさを、たくさんの人に知ってもらいたい」ということだったので、最初の挑戦をする場所として、観光地・鎌倉を選んだ。
その頃のかき氷店のスタンダードは、「夏はかき氷、冬は何か他のもの」というパターン。あるいは、喫茶店が夏季だけかき氷を出すというスタイルだったが、かき氷専門店をやると決めた以上、かき氷で勝負したい。
「ワンオペでかき氷をやっていたら、他のことはできません。誠実にやろうと思ったら、人を雇うか、他のものをやめるしかない。だから、一年中かき氷の店になっちゃったという方が正解かもしれません」
2年間という期間限定で見つけた物件は、鎌倉小町通りの商業スペース「雪の下ガーデン」にある、小型のコンテナ店舗。日本でも有数の観光地・鎌倉はとにかく人通りが多く、天然氷と生のフルーツからつくる自家製シロップのかき氷店は当時まだ珍しかったため、埜庵は開店すぐに列ができる話題店に。
一方で、観光地という性質上、曜日や天気、季節によっても客数の差が激しい。良いときと悪いときは雲泥の差だった。
あっという間に契約の2年が過ぎ、次の物件を茅ヶ崎から江ノ島の間で探すなかで、今の鵠沼海岸の店舗に出会った。2階建ての一軒家の1階に厨房を入れて、2階は住居空間をそのまま客席として使い、家のような雰囲気に。2005年、埜庵の第2章がはじまった。

