時に家族をつないだり、地域の子どもたちの成長を見守ったり、だれかの居場所でありつづけてきたかき氷店。
だが、多くの人に愛されるこの店は、毎年夏になると店のシャッターを下ろす。かき氷屋にとって最大の書き入れ時に、である。
天然氷との出会いと、36歳の脱サラ
電機メーカーの営業マンとして働いていた石附さんの人生が大きく変わったのは、1998年のゴールデンウィークのことだった。
妻・晴子さんが2人目を妊娠中で、当時わずか2歳半だった長女の千尋さんと秩父の長瀞(ながとろ)に出かけた。初夏の暑さのなか、ひらひらと舞うかき氷の旗が目に留まり、吸い込まれるように入ったのが「阿左美冷蔵」という天然氷の蔵元(製造会社)の営むかき氷店だった。
「梅酒のかき氷を食べたんですけど、それがむちゃくちゃうまかったんですよ。それまで、かき氷といえば、おいしい、おいしくないという基準で食べたことがなかったので、衝撃が走りました」
“天然氷”という存在を知ったのも、そのときだった。
天然氷は、厳しい冬の寒さを使って、自然の湧き水などをゆっくり凍らせてつくる氷のこと。かつては各地でつくられていたが、現在では全国に数軒しか残っていない。
そのあまりのおいしさに感動して、石附さんは頻繁に阿左美冷蔵に通い始めた。週末にかき氷を食べに行き、店主と話すようになり、徐々に親しくなると店を手伝わせてもらうようになった。
当時、トップ営業マンとして、成果を上げていた石附さん。会社の仕事にもやりがいを感じていたが、30歳を過ぎてキャリアに迷いが出てきた頃だった。週末にデスクワークを離れ、山奥で身体を使って氷の手伝いをしていると、天然氷の儚さのようなものがより魅力的に感じられたのだという。
阿左美冷蔵に通いながら、悶々とした日々を過ごすこと3年間。ようやく決心を固めて、退職したのが36歳のときだった。天然氷の魅力や、そのストーリーを伝えるためにかき氷屋を開くことを決めたのだ。

