現在は第三セクターの会津鉄道となっている旧国鉄会津線。同線から蒸気機関車(SL)が姿を消したのは1974年のことだった。それから半世紀以上を経た今年2026年の6月27・28日、東武鉄道のSL大樹「土津(はにつ)」が同線で運転。東武・野岩鉄道・会津鉄道・JR東日本の4社直通による列車で、会津線にとっては実に52年ぶりのSLである。
筆者は昭和40年代のSL現役時代、会津線をはじめ只見線、日中線、磐越西線など会津地方のSL撮影に数多く訪れた。中でも会津線はその後も頻繁に撮影に訪れており、思い出深い路線である。今回は、会津線のSL現役時代から第三セクターの現在までの歩みを振り返ってみたい。
「秘境路線」だった国鉄時代の会津線
会津鉄道は、会津若松駅の2つ先、西若松から会津高原尾瀬口まで57.4kmを結ぶローカル線である。もともとは旧国鉄(JR東日本)の会津線で、1987年に第三セクターの会津鉄道に転換された。会津高原尾瀬口はかつて「会津滝ノ原」という駅名で、かつては行き止まりの「秘境駅」さながらの場所だった。
転機となったのは1986年の野岩鉄道会津鬼怒川線の開業だ。第三セクターの同鉄道は東武鬼怒川線の新藤原と会津高原(旧・会津滝ノ原)間30.7kmを結び、東武線経由で首都圏との行き来が可能になった。野岩鉄道の「野」は栃木県の旧国名「下野国」、福島県の「岩代国」の「岩」から命名されている。この開業によって、ローカル線の会津線はその後大きく変化を遂げることになった。

