野岩鉄道は明治中期に建設運動が起こったのが始まりというから、文字通り「父祖三代にわたる悲願」の鉄道である。福島県側の会津田島から会津滝ノ原までは1953年に開通したが、それから先の工事が着手されたのは1966年で、その後は国鉄の経営悪化により国鉄線としての開業見込みは立たなくなってしまった。
沿線が第三セクターを設立し、新藤原から会津高原までの全線が開通したのは1986年10月のことだった。この際、それまで行き止まり駅だった会津滝ノ原は「会津高原」(その後会津高原尾瀬口)に改名され、浅草から直通列車が走るようになった。
C11形が走った時代
さらに1987年7月、会津線は三セクの会津鉄道に転換され、1990年には会津高原―会津田島間が電化。会津線は、一気に首都圏から直通電車が走る路線に変化した。現在は東武の特急「リバティ会津」が浅草から3時間ほどで結んでいる。
筆者が会津線のSLを撮影していたころは、夜行列車で会津若松を経由しての旅だった。それを考えると、今では会津田島まで最新型特急が首都圏から直通運転していることには万感の思いがある。
国鉄時代の会津線は、1970年代初頭まではC11形SLが牽引する旅客列車が運転されていたが、その後SL牽引は貨物列車のみとなり、1日2往復程度が運転されていたと記憶している。SL大樹「土津」号はC11形の325号機が客車を牽引するので、筆者にとってはC11形が52年ぶりに会津に里帰りしたという気持ちだ。

